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障害を持つ子の親であるというのは

あた、ついまた、もうすぐ30になる発達障害(自閉症スペクトラム)の娘が、障害がなくて『普通』の娘だったら…今頃、むしろ別のことで親に心配かけたりしてるんだろうなぁ
なんて想像してみる。
自分で働いたお金で友達と遊んだり好きなもの買ったり、色々工夫して独りの生活をエンジョイしてるんだろうな〜とか…
親がよくないと思っているような友達を作ったり、危ないから行っちゃダメ、やっちゃダメって言ってるようなことをしてみたり…でもそれはそれで、ウン、青春だよね、冒険だよね!…
そんな風に子どものことを心配してみたかったなぁ…。。。
親から離れて行く娘の後ろ姿を頼もしく思ったり、してみたかった。

ダメダメ、また現実にはいないもう一人の娘像を、ないものねだりのイメージを膨らませちゃう。

障害があってもなくても、親の苦労や心配は同じなんだろうなんてずっと自分に言い聞かせてきたけど、やっぱり障害がある子を持つということはタイヘンなことなんだな、なんてやっと今頃ハッキリとわかるようになって来た。

先ず子育てアルアルが『普通』の親とは違ってて、そこからもうドンドン『普通』のお母さんとはズレて行くんだよな…

ツレが西原理恵子の漫画が好きでよく買ってくるんだけど
『りえさん手帖②』
をパラパラ見てたら
「もう誰かのために生活しなくていいんだってほっとして、安心しなきゃいけないんだけど涙が止まらない」
って、子供が巣立ったママ友達が言うくだりがあって、あ〜これは私が一生感じることが出来ない寂しさだろうな〜って溜息が出た。
この言葉を言った理恵ぞうさんの友達は、障害がある子なら親から離れて行かないと知ったらそれを望むだろうか…?
多分それはないだろう…。

でもまぁ隣の芝生は青いのよ!と自分を励ましてこれからも行くしかないし、実際、だからと言って、じゃあ障害のない新しい娘を望みますか?と言われたら答えは絶対にNOだから。
理屈じゃなくて、私の娘は代えがきかない大切な宝物だから。

最近障害を持つ人の施設で働くようになると、障害のある人のかけがえのなさをようく探して丁寧に接することが出来る自分にちょっと驚くのだけれど、親子というのは難しいモノで、近しくていつも一緒にいると逆にそういう目を保つのが難しかったりする。
だからこそ偶には親子もちょっと離れてみる必要があるんだとも思う。
だから施設でのヘルパーの仕事はとても大切なものだし、やり甲斐がある。

さて、そして私も気持ちをフレッシュにして、また娘のいいところをたくさん見ながらこれからもノコノコとカタツムリみたいにゆっくりゆっくり歩いて行こう。
それしかないんだ🐌✨🌸✨🌱

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