私ってこんな人(興味の連鎖)
小学校でローマ字を習う(私英語できるかも!)
→世界に目を向けるように
→親に頼んで英会話教室に通う
→スウェーデンの女の子と文通
→高2の夏休にはアメリカへのホームステイ
→そこで出会ったコーディネーターのキャシーさんの仕事に憧れる(日本に来た外国人の助けになるような仕事をしたい)
→日本語教師を目指して大学へ
→多種多様な文化があることを学ぶ必要性があると恩師からの助言
→国際交流サークル「Cross Cultural Club」設立
→豆腐屋さんたちとバングラデシュヘ
→日本語教育実習や国際交流の為に1ヶ月程度×4回ハワイへ
→ハワイの日本文化研究グループや関東や関西の国際交流サークルと行ったり来たりの交流
→一見遊んでいるようにみえる私たちだが、「これらの経験はいつか生まれてくる子供たちに伝えるため」だと友人と語り合い心にストンとおさまる
→卒業後日本語学校に就職内定
→台湾の補修班で日本語教師
(日本人としてのアイデンティティ、心の原風景、日本の四季、季節の行事の大切さを実感)
→帰国して岐阜大学留学生課の事務補佐
→結婚して福井へ
→2人目の出産を機に夫の実家のある東郷へ移住
→中国人社長の会社に就職(日本に住む外国人の手伝いが出来る!)
→子育てしながら、心の原風景が、子どもたちの心を強くすることに興味を持つ
→震災や夫の単身赴任を機に、3人の子どもたちを私一人で育てていくことや自身の自立について考えるようになる
→みやま木ごころ一座に最終公演までの4年間お世話になり、子どもたちや私自身も育てていただく
→台湾の原住民の合唱団の受け入れと東郷小学校の子どもたちとの交流(東郷での初めての活動)
→末っ子の中学入学を前に、今後の自分の生き方について設計しなおす
→福井で(東郷で)生きていく覚悟を決める
→福井で(東郷で)生活の知恵や料理など習えることは習い、次に繋げていく活動がしたいと地域活動に積極的に関わり始める
→越前東郷グローバル化研究会発足
→東郷での各活動に関わるうちに、大学生のころの活動と同じことをしていると自覚
→これが私の生きる道私は私らしく生きていこうと決意
→多種多様な方と出会う機会がまた増えてきた(進路について考える時期が来ている子どもたちに、出会った方の話をすることが今一番の楽しみ)
→末っ子が大学進学・人生の半分(50歳)に到達・離職
→さあ、これからどうしよう?(今ココ)
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