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(3)企業を大事に考える人たち

 
 いよいよ「自公に投票しないで」というポスターまでが作られた。ネットで拡散されているらしい。
 商人というものは、心の中で思ったことを明確に表明しないものだ。全部が全部ではないが、曖昧にしていた方が利益につながる。今回、ここまではっきり残るカタチで行動したというのは、あの無能政権がよほど腹に据えかねていたのだろう。
 
 ただ、驚きはしなかった。ぼくの以前の顧客たちが、相当怒っていたからだ。何人かとは相対したのだが、みんな怒っていた。そのうちの1人は、「西村がっ!」と、ぼくの目を見ながら怒りをあらわにしていた。その人、とても腕っ節の強そうなガタイと眼つきなのだ。ぼくはそのニヤけた無能大臣と同じようなひょろっとした体型なので、仮想敵国に見立ててこちらに向かってくるのではないかと恐怖を感じた。それくらい腹を立てているのだ。
 
 
 
 ネットのカキコミには、ああいった「自公拒否」のポスターに批判も見られる。でもぼくは、いい方法のひとつだと思っている。
 
 政治家が個人よりも企業を優先して考えるのは、「票」以外の余禄があるからだ。
 個人では、何かやってあげても、見返りはその個人の1票だけだ。しかし、企業のために動いてやれば、票以外の余禄も入る。
 余禄は、「献金」ということもあれば、もうちょっともってまわった、「自分たちにとって都合のいい番組や紙誌をこしらえてくれること」というものもある。やはり個よりも組織や団体の方が、大きなことをやる力がある。政治家というのは、人間の種類で分けると、最も利で動くタイプの種類だから、1粒で2度も3度もおいしい方に流れるのは当然だろう。
 個には、政治家が喜ぶような余禄を与えられない。個人の献金ではたかが知れている。もちろん、ないよりはいいだろうが。
 
 今回のポスターは、排除を呼びかける、言ってみればマイナス要素の行為だ。そういった点を批判しているカキコミもいくつか見られた。批判や排除といったマイナス要素の行為は、生理的になかなか広く受け付けられないものだ。しかし個が「票」以外で影響を与える行為は、プラス要素のものを作り上げにくいのだ。
 企業などの集合体は、トップに行為が一任されているから簡単にできる。自分の勤めている大企業が、五輪のスポンサーをしているから社長室に乗り込んだ、という例はないだろう。いかに五輪が気に食わなくても、給料をもらっている以上、おとなしくしている以外ない。企業は、末端の社員の気持ちなど無視して、ことを進められるのだ。
 
 しかし個が集まった集団だと、そうはいかない。トップダウンとはいかないからだ。だから、メセナに見せかけた政党支持のような、もってまわった行為はむずかしい。内部から批判を生んだり、分裂してしまう。なにかしらの、強い動機を噛ませた結束が必要になる。このポスターは、強い怒りの結束だろう。
 
 
 
 無能政権はよほど胃腸が強いのだろう。批判にも顔色変えず、日々、ネタを提供し続けている。Yahooニュースの書き込みなど見てもいないのだろうが、もし見たとしても驚愕などせず、薄笑いしていそうだ。「ほうほう皆さん、がんばってるねぇ」などとチャチャを入れながら。
 
 怒りのネタをこれからも火にくべてくれる政権トップ。今後どれくらいポスターが広がっていくのだろう。

駄文ですが、奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。