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「与党内野党」を標榜する人たちはどこ行った?

 

 なにからなにまで問題だらけのオリンピック。あと1週間を切ったというのに、まだまだ続く。それも、選手や施設ではなく、担当ミュージシャンときた。「こいつは意表を突かれたなぁ」という感じ。まるで弁当が腐っていて、生モノを取り除いたら、漬け物まで傷んでたといったところだろうか。この無能政権作成のスポーツ弁当は、梅干しですら傷んでしまっている。
 
 以前ライター仲間が、大谷翔平や将棋の藤井聡太のやってることを小説にしたら、あまりに度を越した活躍なので、作り物感満載でソッポを向かれてしまうと言っていた。
 このオリンピックはドタバタ喜劇の最たるものだが、これを小説にしていたら、「そんなめちゃくちゃな運営やるわけないだろ。もっと話に現実性を持たせろよ!」と、読み手にソッポを向かれてしまっていただろう。
 
 このミュージシャンの進退問題で、組織委員会が続けさせようとしていたのに対し、官房長官が難色を示していた。
 カキコミでは、この官房長官の難色を示した発言に賛意を示すものがあった。いやいや、官房長官はのちの身の保身のために言っておいただけだろう。それに第一、褒めるほどの意見でもない。あまりにひどすぎる意見が飛び交っているから、真摯な意見に感じてしまうだけだ。官房長官は単に、「ダメな人だから辞めさせては」と言っているにすぎない。
 
 また、こうやってクギを刺すのはこの党の常套手段で、今後この問題で攻められたときに、「政権内からちゃんと批判の声が上がっていた」と言えるカタチを作っているわけだ。なにより、切り貼りが得意な党だ。何か追及されたときに、「こういう動きもあった」とか、「こういう批判をしている人も内部にいた」と、反論する。誰かが小さく言った声を、うまぁく持ち出して利用するのだ。
 
 そういったときに、「与党内野党」だと得意げに言っている議員の放言が役に立つわけだ。ちなみにこの方言というのは、与党幹部にとっての、という意味だ。視聴者にとっては、まっとうな言葉だ。
 それで、「自分は与党内野党だ」と標榜する人たちは、普段は煙たがれるか、無視されるかしている。ようは横に置いて、ストックされているのだ。それで問題が激しく追及されたときに、彼らを担ぎ出して、「我が党にはこういう人もいる。こういう人がちゃんと意見を言っていた」と、うまい具合にそれら木偶人形を使うのだ。「与党内野党」の面々も心得たもので、ホントに改革したり反発したりなどしない。寄宿生物が寄宿主を食うわけにはいかないからだ。
 
 ある意味、最も質の悪い連中かもしれない。彼ら与党内野党人は政権内で出世できない代わりに、政権が支持を失って落選の嵐が吹き荒れても落ちないで済む。民意に合わせた発言をしている分、一般受けがいいからだ。おそらく今度の総選挙ではかなり与党から落選者が出るだろうが、与党内野党人は生き残るだろう。主流派にとっては腹立たしい存在で、その、うまく立ちまわる姿は、主流派がより嫌う元となってしまう。
 
 また有権者にとっても与党内野党人は、「あの党もだんだん変わってきたな」と惑わす困った存在だ。その実、変わった(軟化した)ように見せかけるだけの存在なのだ。今、この問題山積のときにていよくに引っ込んでしまっていることで、彼らの本音も分かるというものだ。
 今は出ない方がいい。今は話さない方がいい。その部分で鼻が利くのが、彼ら与党内野党人なのだ。多分、今はどこかで小さく発言しておいて、選挙前になったらひょこっと出てくるだろう。そして声高に、「あのときしっかり批判していました!」と胸を張って言うだろう。

駄文ですが、奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。