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父ではないひろかずがわたしの父になった日

お前は拾ってきた子供だよ

大人になっても覚えているから子供にこんな冗談言わないほうがいい

言われたときは大泣きした記憶があるが今となってはどうでもいい。

改めて考えると辻褄の合わないことはいくつか思い出せる

母子寮にいた記憶

母子寮とはその名の通り、母親と子供しかいないところだったと記憶している

普通の2 DKくらいの部屋に共同の浴場や洗濯場などがついた寮だ

父親がいる家庭の人たちが住める場所ではない。

考えたこともなかった

学校を抜け出して駄菓子屋で買い食いしてた時、何の前触れもなくその日はきた。

せまい町だし顔なじみしかいない田舎町だ

父の電気屋のお客さんでもあるし小さな頃からよくしてくれる駄菓子屋のおばちゃん (仮)山下のおばちゃんだ。

あんた小さいうちにお父さんも亡くなって大変だったね

でもそんなことがあっても悪させんと素直に頑張らんといけないよみたいなことを言われたと記憶している

言われてみたらそうなんだけど

山下のおばちゃんはわたしが記憶してないことに驚きだいぶ困っていた。

あんた父親違うよということを家族でもない人から告げられたのだ

そりゃあわたしでも焦る。

家に帰ってとりあえず姉に聞いてみた

何あんた覚えてないの?と、

4つ上の姉はしっかり覚えていたようだ

母親にも問い詰めた どういうことやねんと

母いわく覚えていると思ってたと

覚えてねえーよ!

父ひろかずは厳しくも優しい父であった。休みの日には家族で海や山に連れて行ってくれてたし悪さをすれば本気で叱ってくれた

今でも好きな釣りを始めて教えてくれたのも父である

ひろかず意外父と言われましても

そんなことがあり一度だけ母が亡くなった父の墓に姉と三人で墓参りをしたことがある

その時思ったのだが

わたしはくだらない冗談ばかり言い、食事中にしょっちゅうおならをして家族のヒンシュクをかい、わけのわからない替え歌を唄いながら家事をする父ヒロカズガ大好きである

そしていまさら父を替えたいとも思わなかった。

タネの方のお父様、この世に生を受けたこと大変感謝しておりますし丈夫に生んでもらったおかげでわたしは健やかにジジイになることができております

父というポジションはひろかずに任せてあの世でゆっくり見物しといてください。

今年初めて、母の日と父の日にプレゼントを送った

あなた方の息子はあがきながらも一生懸命に生きています

産んでくれてありがとう。

胸を張って帰れる日が近々来るだろうから長生きしといてな。





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