片腕がなかったおじさんの凄い嘘と原体験

幼少の頃の話なのでうろ覚えのところが多いのだが、私が今でも尊敬している嘘を書いておきたいと思う。

私の実家は父方の祖父の影響で宗教色が強く、幼少期のある時期、地元から離れて大きい神社のお膝元で過ごしていた。
両親は日中、神社の奉公などをして過ごす。当時4歳だかの私はほとんど1日ヒマだった。
一応、そういう子供が一時期過ごすための幼稚園に通っていたらしいのだが全然その記憶がない。ヒマな日は宿泊していた部屋でゲームボーイアドバンスで遊んでいたことくらいしか覚えていない。

いくつか印象に残っていてハッキリ覚えていることは、
おじいちゃんがくれた夏みかんがぬるすぎて不味かったこと。宿に蛇が出たと外国人が騒いでいて驚いたこと。宿に見たことないサイズのでかい蜘蛛がいて驚いたこと。神社からさほど遠くない、広い水辺のある公園で、でかい鳥が目の前に降りてきて驚いたこと(多分サギ)。

列挙してみたらなんか生き物にしか興味がないみたいだが、タイトルにある片腕がないおじさんは、その公園で出会ったと記憶している。

奉公がオフの日(?)に家族で公園に遊びに行ったときだった。ふと気づくと父親が知らないおじさんと話していて、誰だろう、なんの話をしてるんだろうと気になった。
多分父親からしても知らないおじさんで、家族サービスに退屈したから、たまたまその場にいた者同士で世間話をしていたのだろう。

そしてその知らないおじさんこそ、タイトルの片腕がないおじさんだった。
上述のとおり、遠方から信者が奉公に来るような大きな神社から、そう遠くないところにある公園だ。そして、当然この付近は熱心な信者も多い場所である。
私たち家族もそうだし、おそらくおじさんも信者だったのだろう。

誤解を恐れずに書くが、私が出会った熱心な信者の方は、並々ならぬ悩みや不幸を抱えている方が多かった。
現代医療では治せない病気や、何かのきっかけで人生の歯車が大きく狂ってしまった人、大切なものを失い絶望の中にある人など。
そういう個人的な大きな事情を抱えている人が、何かを信じて救われたい、希望を掴みたいと思って集まってくる場所だ。
だから、その片腕がないおじさんにも信仰が必要なくらいの事情があったのだろう。こういうことは大変デリケートな話で、迂闊に聞き出したりしたら、相手にとてもつらい思いをさせてしまうこともあるだろう。

しかし4歳くらいのクソガキだった当時の私にはそんなデリカシーは一欠片も無かった。
なんとなくおじさんのプロポーションに違和感を覚え、その違和感の正体が左腕の欠損であることに気づくやいなや、
「え!?!?なんで腕ないの!?!?」
と開口一番、絶対迂闊に聞いちゃいけないことを、全力をもって大きな声で聞いた。
だって片腕がない人なんて、4、5年の人生で初めて見たから……

おじさんは、全身きれいに日焼けしていて、長めの金髪で、サングラスをかけ、筋肉質でガタイがよく、赤いランニングシャツのようなものを着たちょっとイカツめに見えるスタイルで、石造りの橋の上で釣りをしていた……ような覚えがある。水辺がある公園と書いたが、もしかしたら湖だったのかもしれない。

そういう少し怖そうなおじさんだったから、さすがに両親は「ヤバい」と思ったのではないだろうか。
しかしおじさんは、二の腕から先がない左腕を私に差し出しながら、にこやかに言い放った。
「おお、これか!?これな、ライオンと戦ったときに食べられちゃったんだよ!!」

そしてこの返答に私(クソガキ)は大興奮!!
「すげえー!!かっけえ!!え、痛かった!?ライオン倒した!?」

その後どのような話をしたか、どうやって別れたかは覚えていない。記憶にあるのはその会話だけで、当然おじさんの名前も、何者だったのかも知らないし、片腕がなかった真の理由も一生知ることはないだろう。

この幼少の記憶を、改めていつ頃思い出したのかも定かではないが、ある日、ある程度大人になった私が、「あのおじさんの片腕がなかった理由、絶対ライオンじゃないよな……」とふと思い出したので、だいぶ時間が経ってから嘘に気づいたのだった。

繰り返しになるが、おじさんがどんな事情で片腕がなかったのかは知らない。知らないが、その事で辛い思いをし、悲しんだり、苦しんだりしたであろうことは想像に難くない。
その上で、知らんクソガキに「なんで腕ないの!?!?」と突然言われて、
とっさに「ライオンと戦ったときに食べられちゃったんだよ!!」と笑顔で答えてくれたおじさん。
その心のどれだけ強いことか、カッコいいことか。言葉にできない。
私には真似できないかもしれない。今でも1番尊敬してる嘘だ。

……そして、少しだけ、1〜2%くらい、嘘じゃない可能性を考えてしまう。
この世には本当に様々な人生があるので、もしかしたら……マジでサバンナでライオンと戦ってきた人なのかもしれない。もしくは、ムツゴロウさん的な、動物と深い関わりがあった人なのかもしれない。
サーカスの猛獣使いのような仕事をしていた?
実は大自然を撮る写真家で、襲われてしまったとか……
妄想ではあるが、出鱈目や荒唐無稽な話にどんな理屈をつければ説得力を持つのかを考えるのは楽しい遊びだ。私は、フィクションとはつまりそういうものだと思っている。

あのとき、おじさんが身も蓋もない事実ではなく、物凄くカッコいい(おそらく)嘘をついてくれたおかげで、私はこの思い出を単なる幼少期の失敗エピソードではなく、知らない人が楽しい嘘を聞かせてくれた原体験として、少し温かい気持ちで懐かしむことができる。嘘のことが好きだ。

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