「投げ銭」目指して早ン年な迷走日記

無知無能な無職なので、生計を立てる手段がない。
繰り返しになるが、「無知無能なので」、誰にも価値提供をすることができないから、収入を得ることができない。

そこで「このままではいつか野垂れ死ぬ…。生計の手段とまではいかなくても、補助的な収入手段を作らねば…」と、noteを始めることにした。
noteを選んだのは記事ごとに有料無料を選ぶことができるからだ。安直。
そして書いたり消したりを繰り返し、3年ほど前に「市場価値ゼロ円の私の生きる道」という記事を投稿した。
そしてその後、特にこれといった記事を書かずに更新が止まった。
投げ銭計画、速攻中断…。
(尚、Piscineの件は有料だが、その収入は公言通り丸っと寄付しているので懐にない…)

書きたいこと、書くことがない訳ではない。
そもそも毎日Twitterでしょーもない独り言を生産しているのに「書くことがない」訳がない。
ただ、「記事」となると「Twitterよりは少し丁寧に書こう」という気持ちが働き、執筆にやや精神的な負担がかかる。
そうでなくても記事の構成や進め方を間違えると「人間サンドバッグ」としてボコられる未来しかなので「下手な内容を残せないな」と躊躇する。
「一体どうしたものか」と悩み、手が止まる。

心ない第三者は、他人を叩くことを何よりも楽しみにしている。
「言論の自由」と「正義」の下なら幾らでも権利を濫用し人権を蹂躙しても裁かれないし褒められるしスカッとした爽快感を味わえて最高だと思っているような人たちだ。
あんな人たちにロックオンされたら最悪である。
私や誰かをたたきにたたいて人殺しに成功したら「私は人の命を操ることができる」という全能感を得てしまって、そりゃあ嬉しくって楽しくって仕方がないだろう(どちらかといえば中途半端に自覚して「私のせいじゃない」と慌てふためいて全力で逃亡する人の方が圧倒的に多いと思うが、敢えて白々しく「成功体験を得た人」にフォーカスする)。
「わあい!間接的に人殺しできたぞぉ☆前科のつかない殺人最高♡死ね♪死ね♪死んでしまえ♪♪みんな私の掌で転がされて、死ね😊💕」と歓喜に沸く姿が目に浮かぶ。そんなのイヤだ。

記事を投稿することによって、積極的に自殺に向かいたい訳ではない。
人殺しの支援のために身体を張りたい訳ではないし、だれかが勝手にそんな目的を設定することを許すつもりもない。
とはいえ、もとより「なにも持たない」し「身体を張る」姿勢を変えるつもりはない。さてどうしたものか。

長い間逡巡したが、結局、特にひねりもなく「日々のつれづれごとを発信していく」で良いじゃないかという結論に落ち着く。
そもそも、それ以外、発信するものが何もないし…。
ただ、少なからず「誰に」「なんのために」を考えて発信した方が良いだろうと思い、目的に応じて「マガジン」を分けることにした。

これで少しは情報発信が捗るかな。どうかなぁ。わからん…。
投げ銭をチマチマいただいて、それで少し生活を立て直すことができたら大変ありがたいと思いつつ、まぁ世の中そんなに都合よく事が運ぶことはない。
「読み手にとって価値ある情報」を提供して、「お金を払っても良い」と思ってもらえない限りは、対価を得ることはできない。まことにシビアだ。
だから多くは望まない。

とはいえ「情報発信できた」という自己満足は生まれる。
収入が0円でも気持ちとは「前よりはマシ」になる気はする。
多分…。

そういったことで、そろそろぼちぼち何かを発信していこうと思う。
多分…。

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