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バンジージャンプを飛んできた

「バンジー飛んでみませんか? お金は出すので」
「行きます」

10月頭くらいだったと思う。
某所でこんな誘いを受けて、即答していた。前からちょっとだけ興味はあったのだ。

(本記事は、最後まで無料でテキスト部分をお読みいただけます)

11月29日。気温はだいぶ下がって冬の足音がすぐそこにいるけれど、空にはまだ秋の雲が浮かんでいて、渓谷の木々にもまだかすかに赤色が残る平和な日。
わたしは、バンジージャンプを飛ぶために、はるばる茨城県は竜神大吊橋までやってきていた。

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全長446m、歩行者専用としては日本最大級の長さの吊橋である。高さについては色んな記述があってよく分からないんだけれど、バンジージャンプの落差が100mということなので、たぶん湖面まではもっと高い。
下を見下ろすとこんな感じだった。写真じゃよくわかんないね。

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駐車場のそばにちょっとした小屋があって、まずはここで手続き。

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保険のために色々入力するのに加えて、体重を測るのが面白かった。測定した体重は間違い防止のために手の甲に記入される。管理番号みたいでディストピアじみてるね~と話していた。

手続きが済んだらハーネスをつけて、いざ橋へ。
わたしはノリで「一番に飛びます!」と言ってしまっていた。見栄っ張りめ。いや、実際、そこまでこわさを感じていなくて高揚感しかなかったっていうのはあるんだけど。

それでも橋の上に立つと嫌でも下の景色が目に入り、「結構高いなあ……ちょっとこわいかも……?」という気持ちが出てきた。
橋の脇にある秘密基地っぽい階段を下り、狭い通路を抜けて、橋の下側にあるプラットフォームに降り立つ。足元はスケスケなんだけれど、もうこの時には麻痺してしまっていて全然気にならなかった。

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プラットフォームに着いたらこんな人形で説明を受ける。飛んだ後、びよんびよんとなっている間にいくつかやらなきゃいけないことがあるそうだ。足のロープを外したり、上から降りてきた回収用のワイヤーを胸元にカラビナで取り付けたり。
足にゴムをつなぐためのベルトもつけられて、いよいよ飛べる形が整っていく。準備をしてくれるスタッフさんの手際があまりにも良すぎて流れ作業感すら感じるくらいで、"出荷"という言葉が頭をよぎった。

柵の向こう側に連れて行かれ、椅子に座らされ、自分の命を預けるゴムを足首のところに結びつけられる。ハーネスにカラビナをがちゃんとされて、回収の準備も整えられる。
こちらのスタッフさんは外国の方だった。

「ヒッパッテーってイワレタラドウスル?」
「これ右にひっぱる」
「コレガオリテキタラ?」(カラビナを見せつつ)
「胸のここにつける」
「ヤッテミテ」
「うん」(がちゃこん)
「OK。ジャアタッテ」

勢いがすごい。直感的に「このままだと呑まれる」と思った。
後から考えてみると、これはあえてこのような有無を言わせない対応をしているのだと思う。呑んでやらなければ、ぐるぐる色々考えてしまって飛べない人が多いのだろう。商業として回していくためには、プラットフォームでぐずらせる必要はない。飛んでもらわなければ困る。だから、敢えて「呑み」にいくのだろう。何も分からないまま飛ばせるのだろう。それが仕事だから。

でも、わたしはそれは嫌だった。ちゃんと自己を認識して飛びたかった。
だから、叫んだ。

「待って!!深呼吸する!!!」

平易な日本語を押しつける。呑まれてやらねえぞと、自らの意志を押しつける。
仕方ないなあと与えられた3秒で深呼吸する。ちょっと落ち着く。

「ココタッテ。ツマサキダシテ」

あっもう行くのか。はやいなー。
端っこまで来て、視界いっぱいに下の景色が目に入った。きれいだなあとは思ったけれど、こわいなあとは思わなかった。たぶん、3Dの現実の空間ではなく、2Dの写真と同様に認識していた気がする。

「3、2,1、」

カウントダウンが始まっていることに気付く。飛べるかな?と自問し、飛べはするな、と自答した。どんな感じなんだろう。

「バンジー!」

の声とともに飛び出す。「ひゃっほ」まで頭の中で唱えたけれど、その後0.5秒くらいの思考の記憶がない。たぶん何も考えられていなかったのだと思う。

たぶんそれから0.5秒くらい後、顔と体に風圧を感じた頃、やっと思考が戻ってきた。
「わー落ちてるすげー!!結構長い!!!これどこまで行くんだろおもしろ!!!!」って感じ。
その後1秒くらいで、自然と自分の喉から『うおおお』という声が漏れ出始めたことに気付いた。「うわなんか声出てる、なんで?」「でも楽し~~」って感じ。
それからは周りの景色を見て「きれいだなー」と思ったり、自分が繋がった先のプラットフォームを見て「高いなー」と思ったり、ハーネスに自分の体重が集中して擦れるのを「痛いなー」と思ったりしてるうちにワイヤーが降りてきて回収された。

走馬灯を見るようなこともなく、死の恐怖を感じることもなく、やっぱり最後まで「楽しい」が残っていたように思う。
むしろプラットフォームに戻ってからの方が混乱していた。ハーネス外される順番とか写真撮られる順番とかわからなかったから。


グループで行ったのだけれど、「飛んだ」後はみんなが一段階仲良くなった気がした。なれなれしくなった、と言ってもいいと思う。
元々は敬語を使っていたのだけれど、気付けば自然と敬語が外れていた。
共に恐怖に打ち克った「わたしたち」の間で、不思議な連帯感が生まれていたのだ。

一緒にクレイジーなことをやったからなのか、一緒に"死"と向き合ったからなのかは分からない。
けれど、バンジージャンプの起源が成人の儀であり通過儀礼であったという事実には、とても納得することとなった。
これはたぶん、体感しないとわからない。是非皆さんも、誰か知人と一緒にバンジーを飛びにいってほしい。きっと、「飛んだわたしたち」が形成されると思う。


帰りの車の中で、こんなことに気がついた。

そういえば落下の感覚って気持ちよかったけれど、あの感覚を味わう時って普通は死んでるんだなあ

こうも思った。

もし何かの間違いでロープが切れたら死んじゃうんだなあ。痛いのやだなあ

後からその旨を話すと、「俺は落下中、2秒くらいで気がついた」とか「言われるまで気付かなかった」とか人によって思考が違って面白い面白い。
バンジージャンプは鏡であって、自分の思考をよくよく紐解いてみると「その人がどんなところに"死"を感じているのか」がよくわかる。

わたしは結局、最後まであまり「死」を感じなかった。

「飛んでる人いっぱいいるのに死亡事故はほとんど起こってないから大丈夫でしょ」
「ハーネスがちがちにつけてこんなに太いゴムつけるんだから、死ぬわけない」
「ひゃっほー!気持ちいー!!」

これは結局、わたしが、人間の積み上げてきた色々なものを信じているということなのだと思う。

統計を信じている。
だから、「バンジージャンプ」は確率上危なくないと思っているし、だったら死ぬこともないと思っている。

機材を信じている。
だから、スキューバダイバーとしてタンクとレギュレーターとオクトパスとバディの存在を信じるように、バンジージャンパーとしてハーネスとゴムとロープの存在を信じている。

どうやらわたしは、理性の力である程度本能をねじ伏せることができてしまうらしい。
それがはっきりとわかっただけでも、よい体験だったと思う。


わたしはきっと、スカイダイビングもできると思う。
インストラクターと、メインパラシュートと、予備のパラシュートの存在を信じて、自分の命を預けて飛び降りることができると思う。

――乞う、ご期待。



スペシャルサンクス:
バンジーを贈与してくださったひらのたかひこさん
一緒に飛んでくれたみんな

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