神なき祈り
神を信じないものにとって祈ることは可能なのだろうか。
祈ることは神に対してだけだろうか。例えば先祖の霊についての祈りといったものは祈りの対象は神ではない。
僕としては祈りとは向こう側にある神秘に向かっているのではないかと思っている。
例えば他人。他人に何かが伝わる事。これは神秘ではないかと思う。
伝わるかどうかすらわからないとしたら、その人が発する言葉というのは常に、祈りが込められているのではないか。
不確実なものに対する思い、不確定なものに対する思い、知らないことに対する思いといったものは神秘につながっていく。
僕たちはいつも色々なものを信じている。信じている対象への行為というのはつまるところ祈りなのではないか。
行為の一つ一つは祈りである。何に対して?、歩くこと、触ること、喋ること、世界に働きかけること。
(では、僕たちは本当に歩いているのだろうか、本当に触っているのだろうか、本当に喋っているのだろうか、
僕たちは何処を歩いているのか、今、本当は何を触っているのだろうか、誰に何を喋っているのだろうか。)
(考えようと思えばすり抜けていくこれらは「事実」としかいえない。これを僕達は信じていたのだ。なぜかはわからないけれど。)
神がいないのになぜか「ある」世界の奇妙さに震えてただこの世界の現象の向こう側に祈りを捧げる。((なぜか僕は知覚し、今ここに存在し、消えていく。)) (私たちはいつもカードが配られている。そのカードがなぜ配られるのかはわからない。)
世界は神なき祈りに満ちている。
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