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ゴブリン無宿 #2

【承前】

「やりやがったなッ!!」

「糞が!!囲め!!所詮は薄汚えゴブリン一匹だろうがッ!!」

 仲間の首が飛んだ。その衝撃を一時忘れさせる程の憤怒で顔面を染め上げ、野盗達は大声で叫ぶ。それもそうだろう。こんな辺境といえども少し大きな街へと出れば、薄汚い安酒場くらいはある。そこで、ぬるい麦酒と茹でただけの豆を一皿を頼むと、それだけで銅貨五枚だ。

 つまり、貴様らの首にはその程度の価値すら無い、と、目の前の痩せぎすで貧相な風体の、襤褸布を巻きつけるように腰元で合わせて紐で括っただけの格好をした、この亜人は、そう、言ったのだ。

「よくもほざきやがったなァ。テメエの素っ首の方こそ、切り取ってやらあなッ!!」

「その鶏冠みてえな髪を引っ掴んで、そこら中引き摺り回してやるからなぁ、覚悟しなァッ!!」

 己の生命を買い叩かれ屈辱に息巻く男達は、くすんだ金髪を逆立て、側面は剃り上げたかのように暗緑掛かった肌を顕にした、亜人の頭を睨めつけつつ、それでも手堅く周りを取り巻く。

 正面に一。その後方に二。左右に一ずつ。

 ベロリと長い舌で口唇を舐めあげ、ゴブリンは対手の力量に見当をつけるが如く、右目を眇める。

 構えた鍔のない片刃の直剣は、刀身が薄く幅も狭いが、妙に長い。ゴツゴツとした剥き身の木柄を含めると、一般的な人間男性の胸元までしかないであろう使い手の身長と、ほぼ同じくらいに見える。

「何だァ、途端にだんまりかよ!!エエッ!?」

 既に勝利を確信しているのか、残虐な笑みが、錆剣を弄ぶように振る野盗達の口元に浮かび始める。

「ビビって当然だぜェッ!!その無駄に長え腕でそんなモン振り回してんだ。不意でも突かなけりゃあ、当たる訳が無えもんなアッ!!」

 そう。一般的にゴブリン族は小柄で足も短いが、何故か腕だけは長い。眼前のこの亜人の腕も直立したとしても、指先が地を触る程の長さである。おそらく、その長大な得物との合わせ技で、尋常ならざる間合いからの斬撃を走らせたのであろう。その分、動作が大きく、見切るのは容易い、と。男達は、そう結論づけたようだ。

「このまま膾にしてやるぜェッ!!」

「楽に死ねると思うんじゃねェぞ!!」

 野犬の威嚇が如く吠え続ける男たちは包囲を、狭めーーー。

「ーーークケェッ!!」

 しかし、先手を取ったのはゴブリンだ。

 怪鳥音が口元から轟くと、真正面に殺気が飛んだ。まともに受けた正面の男は、為す術なく竦んでしまう。間合いからは外れている筈の後方の二人も、思わず防御を固めた程だから無理もない。

 しかして、ゴブリンは。

 砂を蹴立て、右手方向に飛んでいた。

「ぶわっ、げほっーーー!?」

 巻き上がる砂を浴びた、左の男は咳き込む。が、ゴブリンが飛んだ方向。右手に位置する男は、既にそのような事すらもできない。胸元に組み付いたゴブリンが、グルリと首に巻き付かせるように腕を回し、刃を食い込ませているのだから。

「ふたぁつ」

 蛇を想起させる動きで刃が滑り、掻き落とされた首が、宙を舞うーーー。

「ぁぶっーーー!?」

 竦んだ正面の男は、倒れる仲間の首の切断面から迸る鮮血を浴び、真っ赤に染まった。慌てて視界を覆う黒ずんだ紅を拭い、口内に流れ込んだ鉄の味を吐き捨てようと顔を背けた先に、死体を足場に再び跳ね飛んだ、鉤鼻の死神が、笑っていた。

「みいっつ」

 その笑い顔を眼に焼き付けたまま、首が、宙を舞うーーー。

「んなっーーー!!」

 ようやく砂を払い、向き直った男は、まさに瞬く間に生まれていた首なしの死体に目を剥く。その有り得ざる光景に目を奪われてしまった為、視界下端で近づく死の予兆を、男は見逃した。繰り出した斬撃の勢いのまま、クルクルと回転する襤褸布ーーー否。ゴブリンだ。

「よおっつ」

 呆然とした表情のまま、首が、宙を舞うーーー。

 ドウッ、ドドウッ、と音を上げ、首なし死体が倒れ伏す。遅れて、軽い落下音が、三つ。

「ーーー随分と『使う』じゃねえか。何者だぁ、テメエ」

 辛うじて引きつった笑みを口元に貼り付けたまま、最後方に陣取って居た野盗の首領格であろう髭の男が問うた。

「いや、とんでもねえ。名乗る程のもんじゃあございやせん。特に、落ちたりとはいえ、都随一と謳われた剣術家、ミドゥ様のお弟子様には。そうでやしょうーーー」

ーーーザナン様、とゴブリンが名を呼ぶ。

 髭面の男は、驚いたように眼を見開き。

 右前方の仲間に向け視線を飛ばした。

 視線の先に居る蓬髪の男ーーーザナンは、その視線を強いて無視し、顔の横に剣を立て、前後に下肢を踏ん張った、その半身姿勢を崩さない。そう。今、歩数にして十歩程か。その先で血振りするゴブリンの間合いに、既にして己が居る事を、ザナンは理解している。

「ーーーまさか、ゴブリンを刺客に使うたあ、あのジジイ、耄碌が極まったかよ。だが、問題ねえ。返り討ちにしちまえばな」

 じっとりと脂汗が、ザナンの額に浮かぶ。一方、対手は余裕すら漂わせながら、ケヒヒ、と品のない笑い声を漏らす。

「いやはや、やつがれが如きゴブリンに、そこまで気を張る必要はございやせんや」

 そのゴブリンの構えは、といえば。ゆったりと、がに股の短足を左右に軽く開き、上体は前傾。長刀は両手で握り込み、左腰の辺り。

 ザナンは、敵の斬撃を、死体に変わる瞬間の仲間の姿を、脳裏に浮かべる。

(……奴等は、皆、姿勢を崩され、あるいは剣を構える前に、綺麗に首を断ち切る一撃を食らってやがった。加えて、斬撃に特化していると思しき片刃剣が得物、ってこたぁーーー)

ーーーつまりは先手で致命打を与える、まさしく暗殺剣技。それが対手の剣理と、ザナンは見た。

(……であれば、その必殺に合わせ、返し技を叩き込むしかねえ!)

 だが、敵は人間ではない。ゴブリンだ。腕の長さ、足の短さ、様々に脳内で補正を掛け、剣の軌道を予測する。

(……大丈夫だ、イケる。大分、錆びついちゃいるが、勘は鈍ってねえ、はずだ)

 兄弟弟子数人と連れ立って出奔して以来、格下を集団で甚振るばかりで、稽古なんぞしていないが、今それを悔やんでも仕方がない。と覚悟を決める。

 だが。動かない。

 敵手のゴブリンは、前傾の姿勢で、腰だめに刃を構えたまま、微動だにしない。

「……く」

 汗が眼の側を伝う。ジリジリと互いの殺気のみが場を満たしていく。

(……何故、動かねえ。否。当たり前だ。オレの狙いなんぞ、ヤツもお見通しだろう。待っているのか、オレが堪えきれなくなるのを)

 腕が痺れるような感覚。流れる汗の不快感。果ては太陽の眩しさすらも。己の集中を邪魔しているようにザナンには感じられた。

(……長期戦は不利。なら、誘う、しかねえ!)

 ザナンが辿り着いた結論は、フェイント。相手をこちらの想定通りに動かす、誘いの一撃を放つのだ。勿論、対手の速度が予想を上回っていたのなら、無残な死と敗北が待つであろう。

(この姿勢からなら、踏み込みからの袈裟懸け。ヤツは同一軌道で刃を擦れ違わせるように斬り上げるだろう。得物の長さ分だけ、ヤツの方が先に届く。が、軌道を曲げて、刃を撃ち合わせられればーーー)

 見えた、と。ザナンは思った。こちらが優位を取れるのは、得物の頑健さ。もし致命の速さで撃ち合えば、先にゴブリンの刃は歪み、下手をすれば曲がり折れるであろう。知らず、ザナンの口元には、獰猛な笑みが浮かぶ。

 ゴブリンは、それをただ睨め上げるのみ。

 互いの殺気が増していく。腕が、脚が、張り詰める。解き放たれる、その瞬間を目指して。そして、数分を待たずして、その時ーーー殺気の臨界点、破局が訪れる。

「ーーーおらぁッ!!」

 裂帛の気合とともに、ザナンは踏み込むーーー否。

 踏み込んだ、その瞬間に。

 刃は、ザナンの首を、通り過ぎていた。

「いつぅつ」

 唄うような、ゴブリンの声を聞きながら、ザナンの首が、宙を舞うーーー。

(……出足を完全に合わせられた。違えな。向こうが先に動いていたのか、こちらの剣撃の、数瞬前に)

 完敗、じゃねえか。と思う間もなくザナンの意思は、途切れた。

「ーーーヒイイィッ!!」

 髭面の男は、金縛りが解けたかの如く、その場にへたり込み、悲鳴を上げた。剣なぞ、そこらに放り投げている。

「おやおや、薄汚え亜人風情に、そこまで取り乱すこともありますまい。一応、野盗団の首領でやしょう?」

 神速の剣撃を放った後にも関わらず、息一つ乱さず、ブルンと血を振り落としながら、ゴブリンが、男を見下ろす。

「ーーーま、待て。アンタの狙いは、ザナン、だろう?お、オレは関係ねえ、いや、確かにオレの下に居たが、そんなやべえヤツだとは、知らなかったんだよ」

 なあ、見逃してくれよ、と恥も外聞もなく、命乞いを始める髭男。

「……さあて。ですが、そちら様の首も、銅貨一枚にはなりやすからな」

 ゴブリンの、眼が細まる。

「か、金か!?それなら、ほれ、ここだ、ここにある!ヘヘッ、見ろよ銀貨が数枚、一枚きりだが金貨もある。な、これなら良いだろ!?」

 首から下げた巾着を、懐から引き出すと、髭男は、チャラチャラと音を鳴らし、口を開いてみせる。男の宣言通り、そこには銀の煌めきが見え、巾着から取り出した一枚は、まさしく金貨であった。

「……ほおう」

流石に、心が動いたのか、ゴブリンは金貨を受け取り、繁々と眺めた。

「……どうだ?見逃してくれりゃ、お前のもんだ。文句、ねえだろう?」

 この反応を、是、と解した髭面の首領は、人心地ついたかのように、笑みを浮かべた。

 だが。

 金貨は、首領の胸元に、ポン、と投げ返される。

「ーーーへぇっ!?」

「いやはや、首領様には申し訳ねえんでやすが、やつがれはオツムの方があんまりよろしくないんで。金貨なんざあ、あんまりにも大層なもんに過ぎまして、コイツの価値ってもんが、何やら綺羅綺羅しておりやすこと以外、さっぱり分からねえんでやす。どうにも、やつがれにゃ精々がとこ、銅貨五十枚が理解の及ぶ世界でやして」

 髭男の間抜けな声に、本心からの苦笑いを口元に浮かべて、ゴブリンは答えた。

「………ッ!!」

 しかし、すぐさま己の命綱が喪失したことに気付いた髭の首領は、村の入口に向かって、転がるように走り出そうとーーー。

「これでーーーむっつ、と」

 後ろを向いた瞬間には、刃は最後の仕事を果たしていた。

 首が、宙を舞うーーー。

 首領の体が倒れ、静かになると、近くの家の物陰から、いつの間にやら隠れていた村長がこわごわと這い出してきた。

「……あ、アンタ、これは。い、いや、貴方様は一体ーーー?」

 ケヒヒ、と顔を歪め、笑うと、村長に向き直ったゴブリンは、答えた。

「昨晩、申し上げた通り。家々を周り食を乞うて巡礼なんぞ致しておりやす。ジブと申すちんけなゴブリンでございやす」


                Photo by Dino Reichmuth on Unsplash

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