実在性名取さな

まずは何も言わずにこの動画をみてほしい。


……みてくれただろうか?

もうみたよというせんせえも多いだろうし、この動画を通じて何か感じることがあったのなら、正直なところこの記事になんてもう戻って来なくてもいいとさえ思う。

ここからはただのオタクによる戯言である。興味のある方は少しばかりの時間を無駄にしていって欲しい。




……そろそろ誰も居なくなっている頃合いであろう。さて、どこから話し始めようか。

まずひとつ質問がある。みんなは“情景”というものに思い馳せた経験はあるだろうか。

良い思い出、悪い思い出、家族や友人との旅行、誰かとのさりげない会話…… きっと、誰しも一度は思い描いたことのある景色であろう。思い出はいつも色鮮やかで、それでいてどことなく淡く、そして儚い。楽しかった風景も、辛かった経験も、同じ記憶として頭の片隅に、心のどこかに残り続けている。

このさな歩きは、そんな情景にとても似ていた。

名取さなという世界を中心にした風景がそこにはあって、その世界には彼女と一人称としての自分(ここでは自分達が適当か?)だけが存在していたのだ。

彼女の姿が、仕草が、表情のひとつひとつが。まさにそこに“いた”という実在性とともに、確かに存在しているという事実を私に刻み込んだのだ。

何を世迷い言をと思うかもしれないが、何を隠そうその通りである。しかしながら、このエモーショナルな感情は間違いなく名取さなが私の中で実在している(実在していた)という何よりの証明だ。

ここで、夢について少し話そう。

起きながらにしてみる夢、寝ているときにみる夢、そのどちらもが時間が経つにつれて褪せてゆき、いずれは自分自身のどこかに吸収されてあまり表面に出てこなくなってしまうものなのかもしれないと私は考えている。もちろん例外はあるだろう。しかし、時には何かほんの些細なきっかけをトリガーに、忘れていたその夢が鮮明に蘇ってくる…… なんてこともそう稀有な経験ではない。

このさな歩きをみたとき、私はどこか懐かしいような感覚をおぼえた。きっとそれは、いつかみた夢の景色、過去に描いた情景そのものであったのだろう。

名取さなというバーチャル存在を追いかけるうちに、いつしか無意識に抱いていた彼女という存在の実在性。

シンプルながらも愛に溢れているこの2分間に、私はその存在を視たのだ。


少々熱くなってしまったのでここでクールダウンをしよう。

昨年末に配信された名取とのお出かけ配信は覚えているだろうか(アーカイブ動画Part1のリンク→https://nico.ms/so38155396)(Part10とかあって笑ったのはナイショ)。 こちらもまた名取さなの実在性を感じられる企画だった。

普段は外の世界との繋がりをあまり見せない彼女だが、こういったふうにリアルタイムで一緒に動物園を巡ることが出来る日が来るとは思ってもいなかった。それもあまりにも突然に、である。

あまりに突然の発表だったが故に全編をリアルタイムで視聴できたわけではないのがなんとも残念ではあったものの、名取さなという存在を思い起こさせる非常に色鮮やかな記憶のひとつになったと思う。


さて、さなのばくたん。開催も残り約一ヶ月ほどに迫ってきたわけだ。

彼女というバーチャル存在が、私達リアル存在・世界の中にどのようにして“実在”してくれるのか。

願わくばこの美しくも儚い夢が長く続きますように……

名取、せんせえもいんするお。





P.S. 制服名取さなの後頭部、モフりてぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…………………

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