信長戦国歴史検定 45
検定の振返り
【1】江戸時代に編纂(へんさん)された家譜(かふ)において、信長の先祖とされているのは?
答:平資盛(たいらのすけもり)
【2】信長の先祖が代々称していた官途名(かんとめい)は?
答:弾正忠(だんじょうのじょう)
官途名…武士が通称として用いた中央の官職名のこと。
【3】信長の実母は誰?
答:土田御前(つちだごぜん)
【4】織田信長の父信秀を経済的に支えた尾張の湊町は?
答:津島
【5】信長の父秀吉が居城を移した順番として正しいのはどれ?
1. 勝幡城-那古野城-古渡城-清須城
2. 勝幡城-那古野城-古渡城-末森城
3. 勝幡城-那古野城-清洲城-岩倉城
4. 勝幡城-那古野城-清洲城-岐阜城
答:2
【6】信長は天文22年(1553)に自刃した平手政秀(ひらてまさひで)を弔うために政秀寺(せいしゅうじ)を創建します。政秀寺の開山に招いた僧は誰?
答:沢彦宗恩(たくげんそうおん)
【7】家督を継いだ頃の信長は、うつけ者と呼ばれていた。これはどういう意味か?
答:ぼんやりとした人
【8】天文23年(1554)、尾張に侵入した今川義元は、信長方の水の信元を攻撃します。水野信元の居城は?
答:緒川(おがわ)城
【9】尾張下四郡守護代小田信友に殺害された尾張守護は誰?
答:斯波義統(しばよしむね)
【10】信長と対立した下四郡守護代織田氏の小守護代(こしゅごだい)は誰?
答:坂井大膳(さかいだいぜん)
小守護代…守護代の代官。守護に従って守護代が在京することもあり、守護代は有力な家臣を小守護代に任命して政務を代行させた。
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