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信長戦国歴史検定 46

検定の振返り

【11】浮野の戦いにおいて、織田信賢(おだのぶかた)の家臣林弥七郎(はやしやしちろう)と一騎討ちをした橋下一巴(はしもといっぱ)は、信長に何を教えていた?

答:鉄砲
橋本一巴は信長の鉄砲師範。
林弥七郎は弓の名手。


【12】桶狭間の戦いは、これまで今川義元が上洛する過程でおきたとされてきたが、近年ではこの説は否定されている。その理由とは?

答:尾張周辺の大名に根回しをした形跡がないため



【13】桶狭間の戦いで今川義元の首をはねたのは、毛利良勝(もうりよしかつ)です。この毛利良勝の通称とは?

答:新介

毛利良勝(新介)



【14】信長の尾張平定における出来事を時系列に並べた場合、正しいものは?
1. 清須城の攻略-稲生原の戦い-浮野の戦い-岩倉城の攻略
2. 清須城の攻略-稲生原の戦い-岩倉城の攻略-浮野の戦い
3. 岩倉城の攻略-稲生原の戦い-清須城の攻略-浮野の戦い
4. 岩倉城の攻略-稲生原の戦い-浮野の戦い-清須城の攻略

答:1
天文23年(1555)清須城の攻略
弘治2年(1556)稲生原の地戦い
弘治3年(1557)浮野の戦い
永禄元年(1558)岩倉城の攻略



【15】斎藤義龍(よしたつ)の子で、信長に美濃を追われたのは誰?

答:斎藤龍興(たつおき)

斎藤龍興





【16】信長が攻略を試みていた稲葉山城を、わずかな人数で奪取したのは誰?

答:竹中重治(たけなかしげはる)
斎藤龍興の家臣、美濃の菩提山(ぼだいやま)城主。わずか16人で奪取。

竹中重治



【17】西美濃三人衆に含まないのは誰?
1. 安藤守就(あんどうもりなり)
2. 稲葉良通(いなばよしみち)(号:一鉄)
3. 氏家直元(うじいえなおもと)(号:卜〔ぼく〕全)
4. 遠藤慶隆(えんどうよしたか)

答:4
遠藤慶隆は郡上八幡城を建設。



【18】美濃を平定した直後に信長が使い始めた印判(いんばん)は?

答:「天下布武」
読み下せば…「天下に武を布(し)く」となり、武家としての信長が天下、すなわち国家の権力を握ることを訴えたものとされる。

楕円形印


馬蹄形印
円形印



【19】岐阜城を居城とした信長は、市で自由営業を認め、座と呼ばれる特権商人の組合を禁止する政策を実行します。その政策を何と言う?

答:楽市楽座



【20】上洛する前の足利義昭(あしかがよしあき)を庇護(ひご)していた越前戦国大名、朝倉義景(あさくらよしかげ)の本拠は?

答:一乗谷(いちじょうだに)

足利義昭

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