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86. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第16節「東映テレビアニメの誕生 中編」

④ 集団ヒーロー「戦隊」の誕生

 かつて手塚治虫が住んでいた豊島区のアパート「トキワ荘」に、寺田ヒロオを筆頭に赤塚不二夫石森章太郎後・石ノ森章太郎)、藤子不二雄後・藤子不二雄 Ⓐ藤子・F・不二雄)など、戦後日本の漫画界を担う俊英漫画家たちが共同生活をしていました。他につのだじろう園山俊二高井研一郎つげ義春長谷邦夫なども頻繁に通っており、トキワ荘日本漫画史におけるNo.1の聖地であります。
 1963年5月、元トキワ荘住人で『オバケのQ太郎』の中に登場する「小池さん」のモデルでもある鈴木伸一の呼びかけで、鈴木石森藤子不二雄の二人、つのだとその兄で電通勤務の角田喜代一の6人は、アニメ制作会社有限会社スタジオ・ゼロ(1971年解散)を設立しました。ちなみにその時には皆、トキワ荘を離れて独立しています。

 東映動画の企画課長の白川大作は、東映の実写『忍者ハットリくん』の原作者でもある藤子Ⓐも参加するスタジオ・ゼロに『七人の侍』ならぬ七人の戦士が活躍するアニメ番組の企画原案を依頼。鈴木石森藤子F藤子Ⓐつのだの5人の売れっ子漫画家が企画を練りました。
 七色の虹になぞらえ「レインボー戦隊」と名づけられた七人のヒーローは、主人公のロビン少年と彼を守る6体のロボットで構成され、ロビンと看護師ロボットリリ、頭脳ロボット教授石森、ロビンが乗るロケットロボットペガサス藤子・F、戦闘ロボットウルフと怪力ロボットベンケイ藤子Ⓐ、3人がそれぞれキャラクターを分けて担当し、『レインボー戦隊ロビン』の企画が誕生します。
 1965年1月1日号から講談社内田編集長の『週刊少年マガジン』にて連載が始まりましたが、人気が上がらず13回で終了。
 しかし、1966年4月NET系土曜夜20時から放映が始まった『レインボー戦隊ロビン』(1966/4/23~1967/3/24)は、全48話続く人気番組となり、秋田書店の月マンガ誌『冒険王』で再度連載が始まりました。 

1966年NET系『レインボー戦隊ロビン』©東映アニメーション

 後の石森章太郎の名作『秘密戦隊ゴレンジャー』につながる戦隊物のはじまりが『レインボー戦隊ロビン』です。
 この作品の放映が始まったすぐ後の5月、同じく石森原案のアニメ『海賊王子』(1966/5/2~11/28)の放映がNET系で始まります。

1966年NET系『海賊王子』©東映アニメーション

 隕石の光で動物たちと自由に会話できるようになったキッド少年が父の後を継ぎ、海賊船ハリケーン号の船長となって冒険の旅に出る海賊アニメ。主役のキッド少年の声を13歳の古谷徹が担当、声優デビューしました。

 『白蛇伝』から始まる東映動画は、映画、テレビの両方でオリジナル原作作品を数多く手掛け、その中では決まりごとのように愛嬌のある動物キャラクターが登場して生き生きと活躍し、社の作風となっています。

1966年10月発行 社内報『とうえい』第104号

⑤ 石森章太郎の名作『サイボーグ009』映画化と『東映こどもまつり』からテレビシリーズへ

 1960年に公開された東映動画西遊記』に手塚に呼ばれて参加した石森章太郎は、そこで演出を担当する白川大作と知り合います。
 その後、トキワ荘を出た石森は、1964年7月から少年画報社週刊少年キング』にて『サイボーグ009』の連載を始め、1966年まで続きましたが、編集長の交代によって第1期の連載は終了しました。
 『まんが大行進』の成功で、名作長編とテレビ短編の中間に位置する劇場用アニメ中編の企画を探していた東映動画は、1966年、白川との縁で、『レインボー戦隊ロビン』にも企画参加した石森の『サイボーグ009』に白羽の矢を当て、カラー映画化、白土三平原作の実写映画『ワタリ』と一緒に公開を決めます。

1966年6月発行 社内報『とうえい』第100号

 公開にあたっては、「大動員作戦本部」を組織し、大々的に営業宣伝活動を繰り広げ、映画公開に合わせて新たに講談社週刊少年マガジン』で第2期の連載もスタートしました。

1966年6月発行 社内報『とうえい』第100号

 1966年7月21日に公開すると、これまでの東映動画の名作長編漫画映画と違う、スピード感と迫力のある派手なアクションの連続は子供たちの心をとらえ、大ヒットします。

1966年7月『サイボーグ009』©石森プロ・東映

 翌1967年3月には、東映動画オリジナル名作長編漫画映画『少年ジャックと魔法使い』に、オリジナル短編漫画映画『たぬきさん大当たり』、ピー・プロダクション制作の人気特撮テレビ『マグマ大使』に併せて、再び『サイボーグ009 怪獣戦争』を制作し、『東映こどもまつり』として公開しました。 

1967年2月発行 社内報『とうえい』第108号

 そして、1968年4月からNET系にて『サイボーグ009』(1968/4/5~1968/9/27)がテレビアニメとして制作、放映されます。

1968年NET系『サイボーグ009』©石森プロ・東映アニメーション

⑥ 海外合作アニメ『キングコング』&『001/7(ゼロゼロナナブンノイチ) 親ゆびトム』

 1966年4月4日東映動画はアメリカのヴィディオ・クラフト・インターナショナル社と提携し、テレビアニメ『キングコング』と『001/7親ゆびトム』の共同製作を発表します。

1966年4月発行 社内報『とうえい』第98号

 その席上で東映社長大川博東映コンテンツ海外進出への抱負を語りました。
 アメリカでは1966年9月10日から1969年8月31日までABCで放映され、日本ではNET系にて『キングコング』2話の間に『親ゆびトム』が1話入る形の30分番組で、1967年4月5日から10月4日まで、水曜夜19時半に26回にわたって放送されました。
 「ウッハ、ウハ、ウハ、ウッハッハァー」で始まる『キングコング』主題歌と「あるー日ある時、ある時ある日」の『親ゆびトム』主題歌ともに印象深く、今でも口ずさむことができます。

 このように、東映動画は、現在と同様、世界と積極的に取引を行っていました。

⑦ ギャグ漫画のアニメ化・つのだじろう『ピュンピュン丸』

 1967年トキワ荘仲間つのだじろう少年画報社週刊少年キング』に連載中のギャグ漫画『忍者あわて丸』を原作に、ギャグアニメ『ピュンピュン丸』(1967/7/3~1970/3/30)を制作。月曜19時半からNET系にて放送を開始します。

1967年7月発行 社内報『とうえい』第113号

 財津一郎が歌うつのだじろう作詞主題歌「ピュンピュン丸の歌」は財津のギャグ「キビィシーィ」「サミィシーィ」が最後に入っており、人気がありました。『仮面の忍者 赤影』のパロディ、弟忍者チビ丸の泣き声「ビッエーッ」などのギャグなど満載でしたが、ワンクール12話で終了。間をあけて1969年12月29日から1970年3月30日まで14話、計26話作られ放映されました。

1967年NET系『ピュンピュン丸』

 トキワ荘出身者たちによる企画『レインボー戦隊ロビン』、それに続く石森章太郎の『サイボーグ009』の大成功によって、漫画家の能力と少年雑誌の持つ影響力の大きさを認識した東映は、つのだじろうを始め、人気漫画の獲得に乗り出して行きます。

 次回は、水木しげる赤塚不二夫などの人気漫画のアニメ化、梶原一騎のスポ根物による東映テレビアニメの隆盛についてご紹介いたします。