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はじめに

 本年、東映株式会社は創立70周年を迎えることができました。これもひとえに東映作品をご覧いただいてきた皆様のおかげであり、心より御礼申し上げます。

 戦後まもない昭和26年に産声を上げた東映は、敗戦ショックから立ち上り、明日に向けて懸命に働く人々にむけて、手に汗握り、泣いて、笑って、心を揺さぶる娯楽映画を作ることで、エールを送りました。

 戦後の復興とともに東映は順調に業績を伸ばし、「もはや戦後ではない。」と言われた昭和31年、「いつでも夢を」の佐伯孝夫作詞、社員吉田信作曲、補作・編曲「エール」古関裕而で社歌「東映行進曲」を作ります。

 「絢爛豪華 堂々と 力と熱と 希望もて 高くかかげる 社旗はかがやき 光栄あるフィルムは 世界をめぐる 東映 東映 躍進東映 躍進 躍進大東映 われらが東映」誇りと勢いが感じられる社歌は現在も入社式で流れます。

 今回、70周年記念事業のひとつとして、「社歌」で歌われる、力と熱と希望が、時代の波の中でどのように歩んでいったか、東映を支える各種事業が生まれた背景や生みの苦しみと喜びについて、当時の人たちの言葉やOBインタビューなども交えつつ振り返ってまいります。

 今に至る東映を作り上げてきた人たちの姿や思いとともに、彼らが活動した時代の世相と雰囲気、そして東映の残したものをお伝えすることができればと思っています。

 東映京都撮影所のスタジオ裏、線路脇の誰も近づかない古びた倉庫。昭和50年以降の時が止まってほこりが厚くつもったその中を、先日汗にまみれて整理しました。

 そこには、昭和20年代から30年代にかけて、東映時代劇映画全盛期だった頃、撮影所で活動していた諸先輩たちの思いが感じ取れる遺物が片付けられないまま雑然と残っていました。

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 常に目の前の仕事に追われ、これまであまり過去を振り返ってこなかった東映。そろそろ、その大衆芸能の歴史を語ってまいりましょう。

 この拙稿が一助となり、これまでの、そしてこれからの東映作品が皆様の明日へのエールになれば、これに勝る喜びはありません。ぜひご一読ください。

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