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82. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第15節「京都撮影所(京撮)テレビ映画再始動 前編」

 1959年11月東京撮影所東撮)に再び株式会社東映テレビ・プロダクション東映テレビプロ)が設立されました。東映のテレビ映画制作は、翌年初頭まで京都撮影所京撮)で撮影していた『白馬童子』も第1部を最後に、すべて東撮で撮影するようになります。
 第二東映が誕生し、人気のある時代劇映画の製作本数が増加した京撮は、スタッフ大幅増員して対応しましたが、常にスケジュールに追われながらギリギリの状態にあり、テレビ映画を制作する余裕はありませんでした。
 しかし、テレビの普及とともに映画人気は低落、映画観客動員数が激減したことなどもあり、翌1961年、ニュー東映改称した第二東映事業は健闘むなしく撤退を余儀なくされます。
 量産によるマンネリ化で時代劇映画人気が低迷したこともあり、映画製作本数が激減、増員した社員が余剰人員となった京撮では、社員の合理化課題となりました。

① 東映京都テレビ・プロダクション始動

 1964年2月、東撮所長の岡田茂京撮所長に復帰。同時に株式会社東映京都テレビ・プロダクション京都テレビプロ)が設立され、時代劇映画のベテランスタッフたちが出向しテレビ時代劇映画制作再開されました。
 第1作は、7月24日、日本教育テレビNET現テレビ朝日)系で放送開始の『忍びの者』(1964/7/26~1965/7/30)。脚本家結束信二と監督河野寿一、二人のベテランがシリーズを担当。大映から第二東映に移籍し映画『次郎長血笑記』で森の石松を演じた品川隆二テレビ映画初主演したこの作品は人気を呼び、1年間にわたって放映されます。京都テレビプロは順調に滑り出しました

1964年NET系『忍びの者』品川隆二主演

 続いて、京都テレビプロは、NETだけでなく、日本テレビNTV)にて河野監督で松方弘樹主演『つむじ風三万両』(1964/10/29~1965/1/20)、ベテランの佐々木康監督鈴木やすし主演『天下の一大事 一心太助』を制作します。

1964年NTV系『つむじ風三万両』松方弘樹主演東千代之介共演
1964年NTV系『天下の一大事 一心太助』鈴木やすし主演

 NET系ではベテランの黒川弥太郎を主役にベテラン監督深田金之助で『六人の隠密』(1964/11/24~1965/3/30)を作りました。

1964年NET系『六人の隠密』黒川弥太郎主演

 また、1965年、大阪の毎日放送MBS)から佐々木康監督で東千代之介主演『佐々木小次郎』(1965/5/16~11/11)を初めて受注します。

1965年MBS系『佐々木小次郎』東千代之介主演

 ここからの東映と毎日放送との縁で、1971年の『仮面ライダー』が生まれました。

② 栗塚旭 『新選組血風録』『燃えよ剣』『用心棒シリーズ』大ヒット

 そして、結束信二脚本河野寿一監督でNET系で放送された司馬遼太郎原作『新選組血風録』(1965/7/11~1966/1/2)が大ヒットします。
 土方歳三を演じた主演の栗塚旭は、毛利菊枝が主宰する京都のくるみ座の俳優で、『忍びの者』から京都テレビプロ作品にゲスト出演していました。当時、大物映画俳優たちはテレビ作品への出演を渋っており、制作予算も限られていたこともあって主演に抜擢された栗塚は、この作品で一躍人気スターに仲間入りします。

1965年NET系『新選組血風録』栗塚旭主演

 結束河野の信頼を得た栗塚は、この後、NET系にて『われら九人の戦鬼』(1966/1/7~7/1)、『俺は用心棒』(1967/4/3~9/25)、佐々木康監督『帰って来た用心棒』(1968/7/29~1969/3/31)、『用心棒シリーズ 俺は用心棒』(1969/4/7~9/29)、『天を斬る』(1969/10/6~1970/3/30)と立て続けに主演します。

1966年NET系『われら九人の戦鬼』栗塚旭主演
1967年NET系『俺は用心棒』栗塚旭主演
1968年NET系『帰って来た用心棒』栗塚旭主演

 1970年栗塚は、結束脚本河野監督による司馬遼太郎原作『燃えよ剣』(1970/4/1~9/23)で再び土方歳三役を演じ、大ヒットします。この作品で『新選組血風録』と合わせ、土方歳三=栗塚旭のイメージが定着しました。

1970年NET系『燃えよ剣』栗塚旭主演

③ 近衛十四郎 『素浪人月影兵庫』『素浪人花山大吉』素浪人シリーズ大ヒット

 京都テレビプロは、映画柳生武芸帳』シリーズで柳生十兵衛を演じ、豪快な殺陣が人気を呼んだ近衛十四郎を主演に、テレビ映画柳生武芸帳』(1965/1/10~7/4)を製作、1965年、NET系にて放映を開始します。ここから近衛のテレビ映画での活躍が始まりました。

1965年NET系『柳生武芸帳』近衛十四郎主演

 京都テレビプロでは大ヒットの『新選組血風録』に続いて、近衛主演で南条範夫原作『素浪人月影兵庫』(第1部1965/10/19~1966/4/12・第2部1967/1/7~1968/12/28)を製作、NET系にて放映します。『忍びの者』の品川隆二がそそっかしい相手役の焼津の半次を演じて人気を集め、この作品も大ヒットしました。
 松竹から移籍の近衛大映出身の品川は、第二東映で近衛が初主演した井沢雅彦監督『砂絵呪縛』で初めて共演し、近衛の殺陣に感銘を受けた品川はここから殺陣に目覚めます。
 近衛演じる、酒に目がなく行儀は悪いが滅法強い剣豪月影兵庫、単純だが正義感が強く曲がったことが大嫌いな一本独鈷(いっぽんどっこ)の渡り鳥焼津の半次。第1部は原作にそってシリアスな話もありましたが、第2部からは原作を離れて猫を怖がる兵庫、蜘蛛が苦手な半次などコメディ色を強め、最高視聴率35.7%を獲得、広く人気を集めました。

1965年NET系『素浪人月影兵庫』近衛十四郎(右)主演

 けれども、原作とイメージが違うという南条からのクレームがあり、終了。焼津の半次などの設定やコメディ色の強いイメージはそのまま引き継ぎ、タイトルと主人公を変えて新たに『素浪人花山大吉』(1969/1/4~1970/12/26)として再シリーズ化し、続いて大ヒットします。
 おから(卯の花)が大好物で緊張するとしゃっくりが出てお酒を飲むとピタリと止まる、滅法強くてグルメな飲んだくれ浪人花山大吉、おっちょこちょいの正義漢、蜘蛛が苦手の旅鴉焼津の半次。近衛の豪快な殺陣とともに笑いにあふれ親子で楽しめるこの作品も人気を集めます。私は、佐々木康監督が作詞、品川が歌うエンディングの『風来坊笠』が好きで、「男意気なら焼津の半次、吹けば飛ぶよな風来坊」と、いつも歌っていました。

1969年NET系『素浪人花山大吉』近衛十四郎主演

 人気絶頂の中、残念ながら実際にも酒豪だった近衛の体調が悪化、ドクターストップがかかり惜しまれながら番組は終了し、やがて近衛は東映も退社しました。
 しかし、2年を越える休養後、新相棒のうずまき巻太(かんた)役に『仮面ライダー』でブレイクした佐々木剛が起用された素浪人シリーズ素浪人天下太平』(1973/4/5~9/27)にフリーの立場で再び主演します。

1973年NET系『素浪人天下太平』近衛十四郎主演

 残念ながら長期にわたるブランクと体調も芳しくなかったこともあり、人気はあまり上がらず、2クールで終了。近衛の次男目黒祐樹を相方として『いただき勘兵衛旅を行く』(197310/4~1974/3/21)に代わりました。2クールで終わったこの作品を最後に近衛の素浪人シリーズ幕を閉じました

1973年NET系『いただき勘兵衛旅を行く』近衛十四郎主演

④ 大川橋蔵 『銭形平次』

 『素浪人月影兵庫』が大ヒットしている1966年。このシリーズと並ぶ高視聴率の人気番組『銭形平次』(1966/5/4~1984/4/4)が登場します。

『銭形平次』大川橋蔵主演

 長谷川一夫主演で大ヒットした大映の映画シリーズ、野村胡堂原作『銭形平次捕物控』のテレビドラマ制作権を獲得したフジテレビは、主演俳優として大川橋蔵に白羽の矢を当てました。
 当時、大物映画スターたちの多くは民放へのテレビ出演を避けていましたが、時代劇映画から仁侠映画にシフトした東映との専属契約を解除しフリーの立場にあった大川は、テレビの将来性を信じ、愛着のある東映京都撮影所での撮影ならということでフジテレビのオファーを引き受け、テレビ映画『銭形平次』初主演します。  

1966年3月発行 社内報『とうえい』第97号

  水曜夜8時に始まる1時間枠のドラマは、初回から人気を集め、3月から始まった同日9時半からのTBS長谷川一夫主演『半七捕物帖』(1966/3/9~7/20)を抜いて、視聴率20%を超える大ヒット、好スタートを切りました。

1966年『銭形平次』初代お静役八千草薫

 ぐんぐん人気が上がり、翌年9月には最高視聴率35.5%に達し、橋蔵の人柄もあり、多くの時代劇の大物スターがゲスト出演して番組を盛り上げ、常時20%を超える人気シリーズとなります。
 4年目に入った1969年の第158回、お静役が八千草薫から二代目鈴木紀子に代わり、ゲストに美空ひばりを迎えて待望のカラー化が始まりました。

196年『銭形平次』第158回美空ひばり出演
1969年5月発行 社内報『とうえい』第135号

 そして、1年の契約が毎年更新され、なんと大川橋蔵主演の『銭形平次』は18年弱、888回まで回を重ね、ギネス記録登録される国民的テレビ番組となって1984年4月、フィナーレを迎えました。

1984年4月発行 社内報『とうえい』第285号
1984年4月発行 社内報『とうえい』第285号

 『銭形平次』が終わったこの年の12月7日、55歳の大川橋蔵は若くして惜しまれながら息を引き取ります。

 私は新人の頃、新宿小田急百貨店で開催された、亡くなった大川を偲ぶ『大川橋蔵展』にイベント見習いとして立ち合いました。また、番組終了と共にスタッフの多くが関西支社に転勤してきたこともあり、飲み会で撮影時の話をよく聞きました。私にとっても『銭形平次』は思い出に残る作品です。

 『新選組血風録』『燃えよ剣』「俺は用心棒」『帰ってきた用心棒』『素浪人月影兵庫』『素浪人花山大吉』『素浪人天下太平』『銭形平次』各第1話・第2話は東映時代劇Youtube


にて配信中しています。今見てもすべての作品が面白いのでぜひご覧ください。

 次回は平山亨プロデュースの京都テレビプロ作品『仮面の忍者 赤影』の話をいたします。