アイドリッシュセブンは青春だ

noteはまったくの初心者なので何か問題があるようでしたら教えてください!

【21.8.22追記】たくさんたくさん読んでいただけているようで感激です、ありがとうございます!コメントやtwitterでの感想も嬉しく拝読しております。
改めて、アイナナ6周年おめでとうございます。


はじめに


 アイドリッシュセブンが大好きだ。


本記事は、オタクが『アイドリッシュセブン』に出会い、好きだ好きだと叫びながら走り抜けた思春期4年間を振り返るものだ。
具体的には中学3年生だったオタクが1年ダブった末に高校3年生のオタクになる。

受験勉強の合間を縫ってぽちぽちやってみるか~!と軽い気持ちで書き始めたのに、最終的には勉強そっちのけで2万3千字を書き上げてしまった。
間違いなく人生史上最長の怪文書である。
どうしてこんなことに。


 公式のガイドラインに則り、メインストーリー第3部まではネタバレを盛大に行っている。
第4部は意識して直接的なネタバレを避けているが、都合上展開が匂ってしまっている部分が見られる。未読の方はご注意を。

また、極めて個人的主観的な1オタクの思い出話に過ぎないものであることに了承頂きたい。



 それでは、ごゆるりとお付き合いいただければ。




2017年


 私がIDOLiSH7というアイドルに出会ったのは、4年前の、2017年7月3日の、確か平日の朝の、学校に行く直前だ。

その時私は「アイドル」と「リズムゲーム」に飢えていた。まさに運命だったというべきだろうか。



 リズムゲームに飢えていたのは、当時中学3年生だった私の友人の1人が、ゲームセンターで見せてくれたリズムゲームの腕さばきに感動したからだ。
なんていうやつだっけ…あの…空中で腕振ったりもする…ピアノみたいなやつ…。

私は、その友人の華麗な動作に目を奪われた。
素早く、的確に、美しく。
その友人はピアノはまったく弾けなかったのだが、その洗練された動きはピアニストを想起させた。
めっちゃかっこよかった。

そういうわけで、私の脳内には「リズムゲーム=かっこいい」という単純な図式が出来上がっていた。

そのゲームも何回か自分で挑戦したが、すぐにやめてしまった。
素人にゲーセン通いはちときつかった。




 アイドルに飢えていた理由は、まったくわからない。
何の理由もなく、アイドルを求めていたのだ。


 当時、私はすでに立派にオタクであったが、好む作品は所謂「アイドル物」とはかけ離れていた。

好きな漫画は『進撃の巨人』で(完結したなあ…)、ゲームは『刀剣乱舞』、という具合だ。萩尾望都先生に心酔し、『ハリー・ポッター』は原点にして頂点。
日常メインのアニメなどにも若干触れたりもしたが、会話がなんだか痛々しい気がして最後までは見られない。イケメンに愛を囁かれたいという欲望も持ち合わせていない。

シリアスこそ至高、という信条を掲げていた。イタい。


 誤解を生みそうなので注釈を挟むと、私はアイナナを「ストーリーがしんどい」から好き、と言いたいわけではない。それに今は日常モノも楽しく見ている。

ただ、このイタい中学生がアイナナにハマるきっかけとして第3部の骨太なストーリーがあったのは事実だ。


 両親がクラシック好きで歌謡ショーやらバラエティやらをまともに見た経験がない。
ボカロは聴くけど流行りはよくわからない。AKBと嵐くらいは知ってる。

つまり、アイドルは地球の裏側の存在だった。


では、何故アイドルを求めていたのか?

アイナナに出会うためだった…と、都合よくロマンチックに締めておきたいところだが、男性アイドル物ブームがようやく中学生世代にも浸透しはじめていただけだったりして…。




 アイナナに出会うまでは、とりあえず『うたの☆プリンスさまっ』のマジLOVE1000%(でっかいキュウリのスペシャル心不全)で「アイドル欲」をしのいでいた。
アニメも全部見ちゃった。どうしてあんなに面白いの。
マジLOVEキングダムは見そびれた上にレンタルも配信もほとんどないため、ほとほと困り果てている次第である。地上波放送してくれ~~~~~~


何か新しいことを求めていて、いろいろ渡り歩いた。
受験生勉強しろ。今の私に言えたことではない。
『うたプリ』のアプリにも、当時配信開始されたばかりだった『A3!』にも触れた。
柄じゃないと思いながら、いくつか乙女ゲームにも手を出した記憶がある。

でも、一つとして続かなかった。




 アプリゲーム『アイドリッシュセブン』を始めたのは、そんな新ジャンル開拓期の真っただ中だった。


どこで知ったかは覚えていないが、『アイナナ』の名前は知っていた。

印象は正直、あまりよくなかった。
名前がダサいしロゴがダサいし衣装がダサい(コラーーーーーー)。

陸と大和の顔だけ知っていた。
陸はど真ん中に立っているからで、大和さんはアイドルらしからぬビジュアルが目立ったからだと思う。


ただ、App storeでの評価が妙に良かった。
他のソシャゲが星3台、よくて4…という具合だったのに対し、アイナナは4.8。
今も変わらずに4.8前後をキープしているのだから凄い。
(なんか汚いやり方で嵩上げしてるとかじゃないよね…よね…?)

レビューも好印象のものが多い。プレイヤーの熱を感じた。

しかもリズムゲームだった。
アイドルでリズムゲーム。いいじゃん。


検索してみると、ストーリー第3部の特設サイト予告動画が目に入った。

見て、衝撃を受けた。
暗い。暗すぎる。なんだこれは。イメージと違いすぎる。
シリアス厨中学生オタク、大喜びの巻。

最王手はこの暗すぎる予告だった。




 数日迷った末に、忘れもしない7月3日の朝、ようやくインストールに踏み切った。

最初のログイン時の画面は、種村有菜先生のIDOLiSH7だった。
種村先生のアイナナ絵をまとめた画集が切実に欲しいです。お願いします先生。


初めてソシャゲのチュートリアルで、「引力」を感じた。
ストーリーに人を引き込む力がある。

なんでバスケしてるの?アイドリなんとかってタイトルだよね?と戸惑いながら読み始めたが、いつしか、アイドリなんとかのことは忘れて普通に3on3の展開に引き込まれていた。もうバスケゲームでもいいやと思…そこまでは思ってない。

とにかく、アイドル物だということを忘れてバスケに夢中になっていた。




 そして、アイナナにずぶずぶの生活が始まった。


声オタではなかったので、とにかく早く、早く続きが読みたくて、音声を聞くこともせずにガンガン読み進めた。なんてことをしたんだお前。



骨太な構成。
ジェットコースターのように展開するサクセスストーリー。
転がり落ちるようなギャグパート(第2部の通称・磁場の狂った寮のシーンでこのゲームは絶対に面白いと確信した)。
まっすぐに届く言葉のひとつひとつ。
名言に次ぐ名言。
16人+αの生き様が、反発し合い、衝突し合いながら並び立つ。
笑いあり涙ありどころか、全身の感情すべてが引きずり出されるような感覚。

すべてが面白い。面白い以外の言葉が見つからない。

都志見文太は鬼才だ。
『魔法使いの約束』も面白かったです。『図書室のネヴァジスタ』がアプリ化されるということで、とても楽しみにしています先生。



始めたその日に「面白い!」と言っていたのを聞きつけ同日に始めた妹の方が最初は読むスピードが速く、先に2部に到達。2部で私が巻き返して先に3部に到達…という流れだった。

初めて「次回配信へつづく…」という表示を目にした時の達成感は大きかった(当時は第3部配信の真っ盛りだった)。
毎月配信で追加されていっていたので、何月に追いついたのかが思い出せない。
くやしい。


第3部で引金嬢だった妹は辛がっていったん脱落してしまったが(のちにまさかのŹOOĻ担として出戻り自らジレンマに苦しみに行く不思議な妹である)、私は第3部が一番好きだ。
サドビたのし~~~~~~~!!!!!!!



 肝心の音ゲーは下手でもなければとくに上手でもないという具合だ。




推しの話をさせてほしい


 和泉一織くんだ。名前がもうかわいい。


辞書登録の習慣がない私がいまだに「いちおり」と打って名前を変換し続けている彼のイメージは、多くの一織担がそうであったように、「かわいくない」から始まって、「かわいくてしょうがない」に至る。        

これはとんでもない沼だ。




 チュートリアルの最後で7人の中から1人選べ、と指示された時に私が採った方法は消去法だった。

まず衣装がはだけてる奴はいやだ(酷)。
一織、三月、壮五、ナギにしぼられる。

この外人は神宮寺レンみたいな乙女向けキャラクターだろうからやめておこう。
一織、三月、壮五。

ここまで来て、ようやくネットでメンバー情報を調べだす。学校行く前で時間ギリギリだったはずなのに何やってんだ。
そして何を思ったか、ここで壮五が脱落。

一織か三月。
あとは打算だった。

オレンジの子はショタ枠か?ショタ好きだけどなあ~…。黒髪の人なんかチュートリアルの時偉そうでむかついた…。う~んショタか…?あ、この黒髪の人高校生なんだ…高校生も黒髪も好きだしショタは時間たったら劣化しそうだし(意味が分からないし酷い)、黒髪は態度はでかいが数字も1で気持ちがいいし礼儀は叩き直せばいいし(本当に意味が分からない)……


そんなことを考えて、一織にした。
もう少しましな選び方をしてくれ。


このオレンジショタと黒髪高校生が兄弟だったと知って驚くのはもう少し後になる。
チュートリアルでもネットのメンバー情報でも書いてあったでしょうに。




 ストーリーを進める際、最初に選んだ一織に注視していたので一織担になった、というのも一理ある話だが、彼は実際、魅力的だった。

生意気なようでしおらしい。冷めているようで真剣。すごく賢いのに時々思考が貧弱。

ミューフェスの時は「よりによってお前が!?」と心の中で叫んだ。
センター交代時には陸よりも一織の方が心配だった。
少しずつ兄さん以外のメンバーに感情をあらわにし、年相応の顔を少しずつ見せていく様子がたまらなくかわいかった。


明確な境界線の感覚はなかったものの、そうやっていつの間にやら一織担になっていた。
一織かわいいよ一織。

典型的美少年で甘くてかわいい声で腰が細くて色白で女顔でチャームポイントがストレートの黒髪で現役男子高校生でケーキ屋の次男坊で毒舌でブラコンでツンデレで女装が似合って嗜好が女児でピュアピュアでカレーは中辛も食べられてコーヒーはブラックも飲めて賢くて青くてかわいくて優しくて不器用で危なっかしくてまっすぐで凛としている要素てんこ盛りのめちゃくちゃ良い子なので、皆様、和泉一織くんを是非よろしくお願いします。


現役男子高校生……現役男子高校生なんだよな……

14だった新米マネの私にとって一織くんは遥か年上のお兄さんだったはずなのに、いつの間にか年下のバブチャンになってしまっていた。
時の流れ残酷すぎるよ。



 関係性オタクの人格としてはフラウェと和泉兄弟と高校生組がアツイ。




「2人の密約」について


 私がアイドリッシュセブンに対して「面白い」以上の感情を初めて抱いたのは、3部18章5話「2人の密約」でだ。

今調べたら配信日は2018年1月27日。
そんな受験真っ盛りの時分、私はすっかり「2人の密約」にやられてしまった。




 一織は天才だと声を大にして主張していきたい。

弱冠17歳にして兄の夢を叶えるためだけにアイドルになり(思い切りがよすぎる)、急遽任されたセンターをもしっかり勤め上げる。
学業とアイドル業だけでは飽き足らず、IDOLiSH7を影からプロデュースする。
世論を完璧に読み取り、操作していく様子は聡明だ、先見の明があるなどという表現では生ぬるい。
あの逢坂壮五とあの六弥ナギと互角のチェスを展開する。ケーキ屋の息子#とは
やりたいこととすべきことをしっかり自分の中で定めて持っていて、多分IDOLiSH7のメンバーの中で誰よりもアイドルを続けるという信念にブレがない。 
                                                                              お前のような高校生がいるか。



それでありながら、というよりそれであるゆえ、一織はとにかく不器用だった。

感情より理論、正論が先走ってしまい、人間関係にトラブルを起こしやすい。
「兄より出来のいい弟」であったがために、コンプレックスの強い兄の三月ともどこかぎくしゃくしている。
和泉兄弟は早く夕日の見える丘で殴り合いでもしてわだかまりを清算してくれ頼むから
IDOLiSH7に加入するまでは友達は一人もいなかった。
自分のステータスが役に立つことを確信しているが、自分自身が誰かにとって必要だと思えていない。


一織の周囲とのふれあいの深まりはほとんど亀の歩みに等しい。
IDOLiSH7には馴れたものの、まだ周囲のグループの人間には一歩距離を置いている。

陸や環に友達だと言われて嬉しそうにしているのを見るとなんか…泣けてきちゃうのは私だけですか……





 その一織が、私の想像を超えた行動に出た。
それが、第3部18章5話だ。
フラウェ好きの方はこの数字の並びだけで思い出せるのではないだろうか。


いやコントロールってなんだよ!!!!!!!ギアつけろギア!!!!!!!!!!!!逢坂壮五もびっくりの暴走っぷり!!!!!!!!!!!

そして七瀬も七瀬だわ!!!!!!!!!!一織のこと受け入れてくれてありがとうね!?!?!?!?!?!?!?


七瀬陸の「訴求力」という難解な問題が立ちはだかり、こうするしかなかったので…という言い訳がまかり通りそうだが私にはわかる。いや全人類にバレバレだわ。

一織は七瀬さんと仲良くなりたかったんだよな………………。
もっともっと近づきたかったんだな………………………………………。


 誰かに期待をかけることに、その人の役に立つことに生きがいを見出す一織。
けれど、その期待が兄を傷つけてしまったことを気に病み続け、今も大きな秘密と嘘を抱えている一織。

陸は、一織の大きすぎる他人への期待に潰されない数少ない(地球上で唯一かもしれない)人間だ。
陸も、長い闘病と素晴らしい双子の兄のために、誰かに期待されることを切望していたから。


足りないパズルのピースのようになれる~♪ってそういうことなの~~~~~~~~!?!?


2人が互いに自分の存在をかけて相手を求めていることは、第1部サイドストーリー(リピートアフターミー「私が魔王の役になればいい」)などからもなんとなく察してはいたけど。けどさ…。
まさかここまでとはな…。びっくり…。


 何の話だっけ、コントロール、コントロールね。

つまり何が言いたいかというと、私は、一織にとっての「私にあなたをコントロールさせてください」は、「あなたは私のすべてを受け入れてくれますか?」に等しい発言だと感じた。

人間関係に自信がなくて尻込みしがちなあの一織がこんなこと言うなんて、これはもうえらい大ごとですよマジで。
青少年健全育成見守委員会男子高校生支部の者は大歓喜です。

こんな発言に至れるほど近しい人に出会えて、関係が築けて、本当によかった。



 とはいえ、初めて他者に自分を大きく曝け出そうとした時の発言なのに、やっぱり自分自身ではなくて自分の能力を前に出してしまっているあたりまだまだだなと思うし、そこが一織の危うさのミソではある。

実際にこのシーンは、一織の高いとはいえ不完全なプロデュース力と青い理想が「七瀬陸」というモンスターを利用することで何か悪いことに繋がりそうだと暗示する箇所であり、直後の九条鷹匡のポエムといい、何とも言えず不穏なトーンが漂っていた。私は鷹匡ポエム大好きなので大喜びだった。
怖いシーンとして記憶しているマネージャーの方が多いのではないだろうか。


しかし、一織が七瀬陸自身と友情を交わしたいと思っているのは事実だ。
それすらも訴求力のせいにしてしまうのは違う。

七瀬陸もまた、一織の能力ではなく一織自身を見ている人であった。
世界人口の99%がドン引きそうな申し出を「一織は友達だし、なんだかんだ信用してるから」という簡単な理由で至極あっさりと受け入れてしまったのはその表れだろう。
まじかお前。まじかお前ら。

「訴求力」「コントロール」「モンスター」といった不穏なワードに隠されて見落としてしまいがちだが、私はこのシーンを不器用な一織が初めて体当たりで他者に交わろうと試み、七瀬陸という、それをしっかりと受け止めてくれる存在に出会えた、青春の1ページだと信じたい。


私は明確に「ここからアイナナに本気で狂い始めました」という瞬間を持たないが、敢えてラインを引くとすればこの「2人の密約」になるだろう。

それまでわぁおもしろ~い!キャッキャ!!と(サイコパスか?)読んでいた物語が、明確に質量を持って直撃した瞬間だった。




和泉一織くんの人生に乾杯。





 余談だが、今私のiPadはロック画面がコントロール発言、ホーム画面が七瀬さんのアンサー「置いていかないで」になっている。
日常に「2人の密約」を馴染ませておかないと、アニメ放送時に心臓発作か何かを起こしかねない。


 アイナナに夢中になって終わった中学校終盤。
三月の誕生日ガチャで初課金に至り、3月17日に第3部が完結を迎えたことで、自らの中学校卒業をも実感した。
中学校の卒業式の日に池袋へ(秋葉原だっけ…)遊びに行ったときにガチャガチャで引いたクリアミニポスターがまだベッドの脇に貼ってある。

あ~楽しかったな~。




2018年


 2018年は、アイナナにとって飛躍の年だった。
初アニメ化、初ライブ『Road To Infinity』と、きっと最初期から応援していたマネージャーたちにとっては夢のような1年だったに違いない。

私にとっても、それは同じなはずだった。


私にとって、2018年は人生上最悪の年だったと言っていい。
楽しくもない話なので短く流すと、高校に入学してみたら心身ともにボロボロになった。

これは教訓だが、人間には規則正しい睡眠が絶対に必要だ。とにかく睡眠をとろう。
それから、休む時に「片頭痛で」という言い訳は意外と使える。風邪じゃないから相手にうつされたかもという不安感を与えずに済む上、人それぞれだからいつでも使えるうえにしんどさも測れない。
親を殺すより先に片頭痛になったほうがいい。


7月には学校に行かなくなった。

人生初失敗。人生初挫折。もう大パニック。
自分が恥ずかしくて、二度と日の目を見られないと本気で思った。
今までの友人とのつながりを絶てる限り絶ち(わずかに残されてはいたが連絡を寄越す人はそれでいなくなった)、努めて消えてなくなろうとした。

今思い返せば笑ってしまうような小さい話のようでもあるが、本当に苦しかった。



 ほとんど楽しいことも考えられなくなり、ゲームへのログインも覚束なくなっていたが(この頃刀剣乱舞をやめた)、音楽はずっと聴いていた。

これができていなかったら今ここにいないと思う。


中学時代はアイドリッシュセブンのストーリーの面白さに大きな魅力を感じていたわけだが、ここからはアイドリッシュセブンの楽曲に大いに助けられることになる。


何遍も何遍も繰り返していたのは『ナナツイロREALiZE』だった。
今調べたら発売日が6月20日だった。
当時の私はCDを手にできるくらいには元気だったらしい。 

今でもこの曲を聴くと、薄暗い部屋の二段ベッドにただ転がっていたことを思い出す。
涙でべとべとになったの頬の感覚さえ、ありありと。

再生ボタンを押すたび、IDOLiSH7が「さびしい日は 怪獣の歩幅でさ いつでも駆けてくよ 信じてろよ」と歌ってくれることだけが希望だった。
本当に、kzさんと真崎エリカさんには頭が上がらない。



1か月ほど寝まくりナナツイロを聴きまくり泣きまくっていたら、そのうち筋トレがしたくなって筋トレをしまくり(今も続けているのでムキムキだぜ)、筋トレをしまくったらだんだん元気になった。体を動かすって大事だ。

心療内科はろくな診療もせず「様子を見ましょう」と言われるばかりで毎週ウン千円と金が飛び、親に申し訳なさすぎてさらに病んだ。二度と行かん。




 学年を1年遅らせる決意をし、通信制高校への再入学も決めた頃、『Road To Infinity』のブルーレイ発売の情報が届いた。


1月の事前告知で知ってはいたものの、声優のライブというものにピンと来ていなかったためチケットを買わなかった。
買っていたとしても行われたのが一番だめな時期だったのできっと行けなかった。

Twitterでレポを漁ると溢れんばかりの想いのエネルギーに圧倒される。
翌日突如現れた「LIGHT FUTURE」のビジュアルも含めて、アイドリッシュセブンのコンテンツ力を思い知らされ、何かすごくもったいないものを見逃したかもしれないという後悔の念に苛まれるライブだった。

絶対買おうと思った。
小学生のころから貯金が趣味だったために、足りないどころか掃いて捨てるほどお小遣いは持っていたが、しっかり稼いで買いたいと思った。


この頃から「アイドリッシュセブンに対して胸を張れる自分であること」が小さな目標になり始めていた。

『Happy Days Creation!』で、「後ろめたいような 毎日じゃ 嫌だと 僕らは思う きっと同じように」と歌われているように。
これフルで歌詞知った時自分のことすぎてぶっ飛んだ。


 高校に行かなくなってすぐ、「何かをして存在価値のない人間をやめなければ」という思いに駆られるまま、遮二無二に応募した倉庫バイトを2日でやめたことはあったが(笑うとこ)、バイトに再挑戦することにした。

コンビニで働きはじめたはいいが、店長が怖すぎて3週間でやめた(笑うとこ)。
2日よりは進歩してるからいいよ。

1万数千円しか手に入らなかったので、結局2万円のブルーレイボックスの半分は今までの貯金で贖うことになった。情けない話だ。




『Road To Infinity』、または虚構としての「アイドル」について


 2019年1月23日、小さなゆうパックの包みが届いたときは本当に嬉しかった。

(半分だったとはいえ)自分で目標を立ててお金を稼いで買えたのだ。
誇らしいやら嬉しいやらで、しばらくパッケージを眺めてにやにやしていた。



 そして、私は『Road To Infinity』を目撃することになる。




いや、すごかった……。
すごかった、ほんとに。
ほんとにすごい。

そこに、アイドルがいた。
今まで私が応援してきたアイドルたちが、生きて、そこにいた。



 『Road To Infinity』で、私に、私たちに何が起きたのか。
私自身の感じたことに過ぎないが、私自身の言葉で、書いてみようと思う。



2018年7月6日、7日にメットライフドームに(いや、メッゾライフドームに?)立っていたのは紛れもなく声優だ。
仕事はアイドルではなく役者であって、『アイドリッシュセブン』は彼らの無数の仕事のうちの一つ。
20代後半から40代。
当時最低齢の斉藤壮馬さんでさえ千さんより年上である。

この間REUNIONのダイジェスト版の放送を見ていたら、横から覗いてきた父に「おじさんばかりだ」と言われ地味にへこんだ。


そんな声優さんたちだが、アイドルの再現度が本当に素晴らしかった。

視線の動かし方、ターンの1つ1つ、ちょっとした呼びかけ、表情の数々。
あの大会場で歌って踊るだけでもすごいのに、小さなところまでこだわりぬいていてめちゃくちゃすごかった。
声優なんか全然知らなかった私だが、彼らに夢中になった。


だからこそ、彼らに最大級の敬意を込めて、私はこう言いたい。


私たちはきっと、声優さんたちをアイドルだと思って「アイナナ実在する」と言っていたのではない。





 ファンはアイドルを見るためにステージに訪れる。
ステージ上には、アイドルを「演じる」人がいて、歌い踊る。
アイドルは存在しない。
見る人も、演じる人も、そのことを知っていて、そのうえで、望んでその虚構の中にいる。
見る人も、演じる人も、その「アイドル」という虚構を愛しているからだ。
その時、そこに、「アイドル」は確かに存在している。

アイドリッシュセブンで語られ続けているアイドル像であり、『Road To Infinity』で私たちが目撃したものだ。


アイドリッシュセブンのアイドルたちは(八乙女楽であってもだ)、売り出されるキャラクター像が真実の自分ではなかったり、舞台裏の事情で行動や発言を曲げられたり、体調を崩したりしながら、それでもそうして出来上がっていく「虚構の自分」を演じ続けている。

十龍之介が一番わかりやすい例だろう。
彼は気さくでピュアな漁師の息子でありながら、事務所の手で沖縄のホテル王の息子、「エロエロビースト」としてパッケージングされて売り出された。

第3部では、その売り方が仇をなして、スキャンダルからTRIGGERは失墜する。
事務所からも解雇され、一から再スタートとなった時、彼が選んだのは「エロエロビースト」をやめることではなく、TRIGGERの一員として「十龍之介」を演じ続けることだった。

「俺は俺自身が愛されたいんじゃない。俺の歌が、ダンスが、TRIGGERの一部となって愛されたいんだ」という言葉に代表される、第1部から途切れることなく主張されてきた彼の「十龍之介」という虚構への思いである。


そして、これは私が第3部でトップクラスに感動したシーンの1つなのだが、十龍之介のファンはすべて解っていた。
自分たちの応援する「十龍之介」が「エロエロビースト」ではないことに気づいていたのだ。
「十龍之介」は実在しないと気づいていながら、その虚構を応援し続けることが、彼女たちの「十龍之介」への愛だった。

彼女たちの口からそれが語られた時、私は、「十龍之介」という事務所の方針で生み出されただけの虚構は、これほどまでに愛された虚構であったのか、と感じ入ってしまった。


ファンにも、もちろん十龍之介本人にも。





 この、『アイドリッシュセブン』を貫いている、アイドル哲学とも呼びたくなる思想が、そのままメットライフドームにあった。
自分の演じるアイドルになろうとする声優の姿は、最高の虚構であろうとするアイドルたち自身の姿と重なる。


愛された虚構の姿。
私たちは、これを見て「アイナナ実在する」と叫んだのではないだろうか。






 細かい感想は省くが、一つだけ。
DAY2のIDOLiSH7第3ステージやbbbbbbbbbbbっばくない…?
あのナナツイロはいつか国宝になる。いや無形文化遺産になる。いやノーベル平和賞狙える。


 そして驚いたことに、このブルーレイがきっかけで、それまで娘の趣味にほとんど興味を示さなかった母がアイドリッシュセブンを好きになった。
突然「曲がいいわね…」と言い出し、その次の日には声優とキャラクターの名前を自分で調べて、指さして言えるようになっていた。すぎょい。
逢坂壮五とMEZZO”がお気に入りで、アニメで本編を履修中だ。
Third BEAT!も一緒に見ている。




2019年①


 4月1日に新しい学校が始まるまでは、気でも触れたかというレベルでナナライばかり見ていた。
午前中にDAY1を見て、お昼にドキュメンタリーを見て、午後にDAY2を見て…という具合だ。
それを毎日のようにやった。

楽しかったな~!あ~楽しかった!

高校行って詰んで病んで不登校になって救われて楽しくブルーレイ見て…
これ本当に1年の間で起きたの?
もうだめだと思っていた頃は永遠に感じたのに、思い返せば短いものだ。
ともあれすぐに回復できてよかったね、私。


第4部公開も2019年2月からだった。
前述の通り、第4部はネタバレが解禁されていないのでここではなるべく触れないでおく。




 2回目の新高1になってからしばらくは『RESTART POiNTER』と『DAYBREAK INTERLUDE』をとにかく聴いていた。
恥ずかしいオタクなのでね、再出発ソングに自分を重ねるわけですよ。

リスポの「キミがいる世界ならば どんな今日も超えられるさ」もデイブレの「君が笑う その瞬間 俺が俺で居られるんだ」も感情がド強くてだいすき。


私には通信制高校が性に合った。
計画実行全部自分一人で決めてやっていいの…?やることやりさえすれば何も言われないの…?誰とも交流しなくていいの…?まじで…?

ネットで「通信制高校」と調べると、直後に「人生終わり」とか「詰んだ」とかサジェストが出てくるが、合う人には合うので終わりでも詰みでもないと思う。

通信制、アリです。




 それから、また新しくアルバイトを始めた。
スーパーの品出しだったが、これがようやく続けられた。
高1のはじめ頃から高2の終わり頃まで、約1年半働いた。
私はまったくもって仕事の能がないようで、パフェやら豆腐やら甘酒やらとにかくあらゆるものを床にぶちまけまくったし、ろくに他人とコミュニケーションも取らなかったし、頓珍漢なことばかりしていたしで、とにかく迷惑なバイトだったと思う。給料泥棒である。
ずっと何も言わずに見ていてくれてありがとう、社員の人。

開店前はずっと店内にその時のオリコンランキング上位の曲(らしい)がかかっていて、アイナナの新曲が出ると大体数日間流れた。
これが大きな楽しみだった。
今流れるか今流れるかと耳をそばだてながら特売の焼きそばやらなにやらを棚に詰め込んでいるのは、結構いい時間だった。

思い出せる限りでも、『Mr.AFFECTiON』、『Bang!Bang!Bang!』、『Crescent rise』、『Re-raise』(この曲だけ2週間くらい聴けた。流石絶対王者である)、『DiSCOVER THE FUTURE』、『ミライノーツを奏でて』、『My Precious World』……。

一度ウエハースが入荷されたこともあった。あまり売れていなかったので再入荷はなかった。

体力もついたし、お金もかなり溜まった。
自然と自己肯定感が上がる。
そうして、少しずつ元通りになっていった。




『REUNION』、もしくはアイドリッシュセブンの言葉力(ことばぢから)について


 『Road To Infinity』と聞いて『REUNION』の思い浮かばない人はまずいないだろう。
あの最高の夢に続きがある。
そんなにライブが良いものだったなら是非行きたいなと思い、RTI円盤に先行抽選券が封入されるということで、楽しみにしていた。


しかし、届いてから尻込みした。
暑そうだったけど熱中症は。トイレは。ライブとか参加したことないのに。
いろいろな心配事が次々と頭に浮かんで、応募する手を鈍らせた。
要は、チキった。

結局「またいつか行けるよね」と、応募しなかった。
それでもどうしても見たくなって(4部で追加された『解決ミステリー』という曲が好きすぎてこれが生で歌われる可能性があるなら見逃すわけにはいかないと思ったのだった)、DAY1だけライビュで参加した。母も見たがったので、2人で行った。


解決ミステリーの話をしたら解決ミステリーの話がしたくなってきたぞ。
不思議な話、私は解ミスを聴くと片頭痛がほぼ百発百中で治る。
しかし、同じような人に会ったことがない。
頭痛の時は試してみて欲しい。
特に2番サビ~間奏のあたりでグワーッ!!と効く。2番サビの歌詞に興奮してるだけかも。
また、解ミスのカードは定常ガシャにあるため入手しやすく、かつラビTVが傑作なのでこちらも是非ご確認を。



 「またいつか」の見えない時代がその数か月後に来るなんて、思ってもみなかった。
もしタイムスリップできるとしたら…高校選びの時の自分の元へ行くのがベストなのだろうが、もしかしたらREUNIONの先行抽選最終日に行ってしまうかもしれない。
それくらい、あの日の決断を後悔している。
「またいつか」が来たら、何が何でも行く。

…でもまたチキりそうな気もする…自分……。



 参戦服はユニクロで買った青と赤のボーダーのTシャツと家にあった青いデニムスカート、靴下屋の赤くてメガネのししゅうのある(陸久くんだ!と思って買った)靴下だった。

シャツは使い勝手がよく、今もヘビロテしている。
靴下はその日履いたっきりだ。
ふだん百均の靴下を履いているものだから、もったいなくて履けないのだ。貧乏性…。

自作うちわも作ったが、行ったライビュ会場はおとなしい人が多かったので自然とおとなしくすることになり、あまり意味をなさなかった。
母が「何時間も映画館にいたら耳が悪くなるから」と、コンサート用の耳栓を買ってくれたりもした。


 そうして、母娘ともに初めてのことだらけのドキドキで、本番を迎えた。





すごかった……。
いや、ほんとにすごかった。


泣くつもりなんてなかったのに、開幕のムービーで泣きじゃくっていた。
人間って幸せで泣くんだなあと思った。

多分今急に死んだら、三途の川の向こうの景色はあのメットライフドームだと思う。



ちょっと面白かった思い出は、『miss you…』のイントロが流れ出した瞬間、私(一織担)が『TODAY IS』かと思って青ざめていた横で母(壮五さんが好き)が「『miss you…』だ!」と、瞳を輝かせて満面の笑みでいたことだ。

後からTwitterで壮五担と一緒に参戦した一織担のまったく同じ感想を見かけ、更にウケた。






 この話はもう多くの人によって語りつくされ、常識と化しているエピソードだが、「アイドリッシュセブンのコンテンツ力」を示す分かりやすい例であるため、改めて思い返したい。



ŹOOĻというグループは、『アイドリッシュセブン』という作品全体すらも揺るがしたと言っても過言ではないだろう。

第3部で完全なヒールとして登場した彼らは、私たちマネージャーの思い描いてきた「みんな仲良し」なアイドルたちの日常を、一瞬で消し去ってしまった。
信じてきたものが彼らの手によって壊されることに不安と嫌悪を覚え、『アイドリッシュセブン』自体から去った人も多くいると聞く。
私の妹もその1人だった。

(私はと言うと、とにかく展開の面白さに夢中で彼ら個人に対して何らかの感情を抱く暇がなかったのでフラットな気持ちで接することができていた。鈍感力の勝利である)

『拮抗のクォーター』や第4部を経て、少しずつ『アイドリッシュセブン』の世界観に馴染み始めてはいたものの、当時、彼らはまだ異質な存在であり、不安材料だった。


だからこそ、彼らがナナライの舞台に現れた時に起こったことは、誰も想像できなかったに違いない。


「ブーイングを覚悟で」歌い切ったŹOOĻ…広瀬裕也さん、木村昴さん、西山宏太朗さん、近藤隆さんのパフォーマンスは、メットライフドームを驚愕と熱狂の渦に巻き込んだ。

正直、めちゃくちゃすごかった。
ŹOOĻをまだ知らない母が、「すごく良い、一番良いかも」と絶賛した。

例えるなら、追い詰められて死を覚悟した人が、恥も外聞もかなぐり捨てて戦っているかのような気迫だった。

向けられたネガティブな感情を背負って4万人の前に立つ恐怖は、私には計り知れない。
4人に謹んで敬意を表したい。



本気のパフォーマンスは、人の心に届く。
誰もがŹOOĻの名前を叫び、求めた。

DAY1後、『Poisonous Gangster』がiTunesランキングで1位を獲り(DAY2後だったかも)、物販では次々にŹOOĻメンバーの商品が売り切れた。

あの時、私たちは第3部で描かれたことはすべて忘れて、ただただ、与えられるパフォーマンスに熱狂していた。



まるで、ゲリラライブでŹOOĻが突如現れた瞬間、TRIGGERのことを忘れ去った聴衆のように。





 ナナライの魅力の一つは、「ストーリーの追体験」である。

例えば『Road To Infinity』でのリスポの階段演出は完璧だった。
私は何度見てもあそこに差し掛かると、第2部の陸と一織のことを思ってじーんと来てしまう。
フラウェ一生一緒にいてくれや…


私たちは『REUNION』にもそれを期待し、それを「観る」つもりで行った。

しかし、私たちはそれに当事者として「参加」させられることになった。


私はこれが1stライブと2ndライブでの最大の違いだと考える。

第三者の目線で(プレイヤーはIDOLiSH7のマネージャーということになってはいるが、そうではなく)ストーリーを眺めてきた私たちが、あの瞬間、ストーリーで描かれた聴衆そのものに「なって」いた。

アイドリッシュセブンがまた一つ、現実と非現実の壁を破ったのだ。






 刺激的な体験の興奮から冷めやらず、「感想を言い合うので今日はナナライ3日目」などといった冗談がTwitterを飛び交った2019年7月8日。
アイドリッシュセブンがさらにぶちかました。


「WHAT’S NON FICTION?」


池袋駅に掲げられたその16字(16字なのだ!)は、全てを見越していたかのように、私たちを見下ろし、問いかけていた。

現実と非現実。
私たちが見たものは、感じたものは、一体どちらだったのか。

フィクションとは何か。ノンフィクションとは何か。

あれは一体なんだったのだろうか。





 アイドリッシュセブンの提供する言葉が好きだ。

それはストーリーで描かれるまっすぐな感情を伝えるための台詞の数々であったり、つめたい暗号を隠しながらもどこまでも優しかった歌詞であったり、3グループの頭文字をとって作られた『無限の道』や、7文字に集約された『再会』であったりする。

アイドリッシュセブンの持つ言葉は、いつも驚きと気づき、遊び心、愛情、パワーをこれでもかとばかりに詰め込まれている。
バンダイナムコオンラインの入社試験ではポエムを書かされたりするのかしら。


『Road To Infinity』 の後、夢の終わりを噛みしめながら月曜の朝の駅に重い身体を引きずって行った人は、そこで「LIGHT FUTURE」という言葉に出会い、未来を見たのだろう。

私自身、いったい何度言葉ひとつに興奮や感動や勇気をもらっただろう。
第4部PVで環くんの「幸せになるため以外に頑張らなくたっていいんだよ」を聞いた時はいろいろヤバかった。
KENNさんの演技も含め本当に大好きなセリフである。


それでも、たくさんの言葉の中で「WHAT’S NON FICTION?」は私の中でダントツの位置にある。

あれほど言葉を前に呆然としたことはない。




 昔からあまり物事に動じたことがなく、卒業式などでもビシャビシャに泣いている級友を置き去りにして「おつかれ~」と帰ってしまうような人間(最低…)だったので、言葉ひとつにここまで動揺するようになったのは個人的に驚きの変化だ。
緊張してお腹が痛くなる経験もアイドリッシュセブンに出会ってから知ったものだ。
心と身体ってつながってるんだなあ。


 アイナナをプレゼンする機会がもしあるなら、私はきっと「生の実感が得られます」と口走ってしまうだろう。

そこの貴方、最近「生きてる」と感じていますか?
自分の心臓がどこにあるのか、自分がどうやって呼吸しているのか、感じたくありませんか?

怪しすぎる。




 先日発表された6周年タイトル「何者にだってなれる。」も、「何者」という言葉の響きがもつ重みの、ある種のミスマッチさ、野暮ったさが絶妙でとても気に入っている。




2019年②


 8月中旬頃、LINEにどきりとする名前の通知が入っていた。
中学時代の友人の1人からだった。

たまたまその時外出中だったのだが、暑さとは関係なく汗が噴き出した。

高校で挫折して以来、誰とも関わりたくなくて音信不通の人間になり、望み通り誰からも連絡が来なくなってから1年以上が経過していた。

どうして今、なんの用で。

彼女はとてもいい奴であり、好ましく思っていたが、それでもそのLINEに既読を付けるのは、相当に肝が冷える作業だった。
そこ、夏だからいいじゃんとか言わない。


一瞬真剣に未読無視を貫いて死んだと思ってもらおうとも考えたが、結局は震える指で画面をタップした。

書いてある文面は、ごくごくシンプルなものだった。


「アイナナ好きだったよね?」
「ハマっちゃった」


地獄から天国。
オタク、小躍り。
自分が単純すぎて呆れる。


彼女から聞き出したことによると、彼女は、REUNION後のTwitterの大騒ぎっぷり(トレンドすごかったもんね)から興味を持ちアイドリッシュセブンをインストール。
そこから1か月間、怒涛の如くメインストーリーを読み耽り、当時の配信分の最新話まで追い付いてしまったのだという。

夏休みを利用して昼夜読みまくったらしい。
後に「あの時だけ別の世界の人生を歩んでいるみたいだった」と語っていた。

そして、そういえば中学でアイナナアイナナ騒いでいた奴がいたなあと思い出し、私に連絡してきたのだった。


嬉しかった。
好きなものが同じ人を得られたことももちろん嬉しかった。
でも、何よりも、ある日忽然と仲間内から姿を消し去った私に、彼女がそんなことは気にもせずに手を差し伸べてくれたことが嬉しかった。

1年以上ぶりのLINEの応酬は、何時間も続いた。



 彼女の存在に励まされてノリでネット上での交流用にTwitterを始めたりもしたが、やっぱりどうにも人と関わるのが得意でない私はすぐにやめてしまった。
人には向き不向きがある。
私は誰に話しかけるわけでもなくブツブツ独り言をツイートしている方が楽しい。




 彼女と年末のブラホワも街頭ビジョンを見に行った。
人生で初めて腰をぬかした。

その1か月後にはコロナウイルスのニュースが日常に入り込むようになっていたので、ブラホワがぎりぎり間に合ったのは本当にラッキーだったなとつくづく思う。
ほんとにすごかった。

ちなみに私の妹は、第3部で脱落して以後アイナナにはノータッチだったのだが、このブラホワでの『Bang!Bang!Bang!』MVとREUNIONのブルーレイのダブルパンチでŹOOĻのオンナとして復活してきた。
現在も旧天担現巳波担として楽しそうに地獄を味わっている。変態さんかな。


楽しかったな~~~。
ほんとに楽しかったな~~~~~~~。




2020年、「#HomeTimeTogether」とアイドリッシュセブンのNON FICTIONについて


 日常が日常でなくなるというなんとも稀有な体験を世界中の人間がすることになった2020年。
そんなことで立ち止まるアイドリッシュセブンではなかった。流石アイドリッシュセブン。愛してるぜ。


SHIBUYA109に「#HomeTimeTogether」とだけ書かれた巨大ビジョンが出たとき、誇らしい気持ちでいっぱいになった。

本来ならアニメ第2期の広告ビジョンが出るはずだった場所に、急遽(広告主名が下の方に小さく載ってはいたが)「アイドリッシュセブン」の「ア」の字もないものを差し替える潔さ。

アイドリッシュセブン、やるじゃん。

話題が広がり、声が広がっていったのがうれしくて、誇らしかった。

みて!!!!!!!私のアイドルみて!!!!!!!!!こんなやべえかっけえことできるの!!!!!!!!!みて!!!!!!!!!と街中に触れ回りたいような気分だった。




 運営の話をする機会に恵まれずハラハラしながらここまで書いてきたが、ここでようやく運営っぽい話題が出てきたので無理やり捻じ込む。

あまり「神運営」とか「運営が神」とか…同じ言葉だこれ…、そういう言い方は好きではない。
強引なジャンル勧誘の決まり文句のようなイメージがなぜかある。
運営を褒めるのって難しいな。でも褒めたい。褒めさせてくれ。
精いっぱいの言葉を使って書いてみる。




 アイナナの誉め言葉の常套句に「アイナナは現実」というものがある。

最初にこの言葉を見たとき、二次元ジャンルらしからぬリアリティの追求を称賛した言葉なのだと思った。
新規絵は「描きおろし」ではなく「撮りおろし」、他企業とのコラボは「アンバサダー就任」と呼び、様々な告知を事務員「大神万理」が行い、サインやコメントが直に書かれたCDの写真がアップされる、そんなアイドルたちが存在しているように見せる数々の努力を指しているのかと思っていた。

しかし、最近になって、この考え方は「現実」=NON FICTIONという言葉の意味のほんのわずかしか掬えていなかったかもしれないと考えはじめた。


二次元であろうと三次元であろうと、この世のあらゆるエンターテイメントはFICTIONだ。
ならば、「二次元なのに三次元みたいだ」という意味で「アイナナは現実」と言ってみても、何の意味もない。

WHAT’S NON FICTION?
『アイドリッシュセブン』をNON FICTONたらしめているものは、何か。



『アイドリッシュセブン』において、アイドルは最初からアイドルなのではなく、アイドルになろうとしている人とアイドルを信じようとしている人がいて初めて生まれるものだ…という話はRTIがいかにすごかったかを語り倒しているあたりで触れたと思う。

『アイドリッシュセブン』のアイドルは非現実=FICTIONの存在だ。
彼らの一挙一動一投足が「生きて」いるのは、彼らを「生かそう」とする、多くの関係者が…クリエイターやキャストやスタッフや本当に、本当にたくさんの人たちが…いてこそだ。

つまり広い意味で捉えれば関係者全員アイドルなんじゃないか???と思い始めた昨今である。
私が…プリキュア…??



『アイドリッシュセブン』に関わる人々は、『アイドリッシュセブン』のことが大好きだ。
大好きで、大切だ。
たまに「負けた!」と言いたくなるほどである。愛に勝ち負けはないぞ。

数々のツイートから、インタビュー記事から、オーディオコメンタリーから、ラジオ番組から、そして何よりも作品から、その熱意は手に取るように伝わってくる。


もしも冒頭の注意書きをものともせずここまで読み進めてしまった非マネージャーの方がいたなら、きっと「それは愛を装った金儲けでお前はきっと騙されているんだ目を覚ませ信者見苦しいぞ」と…そこまでは思ってない?…、少なからず感情だ愛だなんだと数字にもできないわけわからんものの話をし始めたことに疑いの目を向け始めている頃合いではなかろうか。

いいから何か見てみて欲しい。
アニメでもMVでもライブでもラビチューブでもオーケストラでも、本当になんでもいいから。



アイドリッシュセブンを通じて行われているのは金儲けだ。そりゃそうだ。
「#HomeTimeTogether」だって、話題をさらい、現ユーザーたちの信仰を深めるとともに新規ユーザーを確保するための「うまい一手」であると言ってしまえばそれまでだ。

でもそうじゃない。
そうだけどそうじゃない。

この感覚は実際に『アイドリッシュセブン』を見て、触れて、感じてみないとわからない。



これを作った人たちはこのアイドルたちが好きなんだな、と感じなかっただろうか。
何を見たにせよ、それがたとえ巷で「愛すべき問題作」と揶揄される『Leopard Eyes』MVだったとしても(私は大真面目に書いているつもりだが馬鹿にされたと感じた方がいたら本当に申し訳ない)、純粋な「見せる楽しさ」を感じなかっただろうか。
どうせなら最高の虚構を見せてやろうじゃないかという気概が、伝わってこなかっただろうか。

というか実際拘り方が半端じゃない。
アニナナなんかもう演出が芸術の域だからアカデミー賞の関係者は全員見て。


私がアイドリッシュセブンに対して抱くポジティブな感情はすべて、制作陣がアイドルたちに、虚構に全力で情熱を注いでくれていることから来ている。
結局はそこだ。

レオパMVが「愛すべき」と言われる所以である。



彼らは嘘をつくのが好きだ。だから全力で最高の虚構を作る。
私は彼らのつく嘘が好きだ。だから全力でその虚構を称える。

画面の向こう側で描かれるアイドルとファンの間にあるものであり、『アイドリッシュセブン』の、というよりエンターテイメントそのものの、核となるものであり、『アイドリッシュセブン』のNON FICTIONだ。
FICTIONだけどNON FICTIONで、FICTIONだからNON FICTION。

この最高の虚構に人類は「夢」という名前をつけた。


(自己解釈を世界レベルで拡張していることに気付いてだんだん恥ずかしくなってきた…)




 アイナナの特徴のひとつにユーザーの熱心さが挙げられる。

先日のリプトンの「アンバサダー就任」は記憶に新しい。
コンビニから瞬時にリプトンが姿を消し、リプトンを手に取ったアイナナを知らない人たちが次から次へとバズり、トレンドを七瀬陸の名前が席巻し、パッケージ保存のための図画工作やリプトンのアレンジレシピが流行り、果てには日経クロストレンドでマーケティングの視点からファンの熱心さを紹介される始末であった。




アイナナのオタクは声が大きい。時に節操がないと非難されるくらいに。
「好き」を伝えることに迷いがない。
作り手の熱に負けまいと、凄まじい熱量でアイナナを後押ししている。

本気で生み出されたものに、人は本気を返したくなる。


アイナナには「虚構を通して」「金儲けを通じて」、純粋な好意と熱意が行き交うコミュニケーションが存在している。

クリエイターとユーザー、キャストとキャラクター、アイドルとファン。

それがたまらなく気持ちいい。

他者と関わることが極めて難しくなったと言われる現代にアイナナが現れ、評価されているのは必然かもしれない。




 2020年にも立ち止まらなかった…と書いたが、あれは少し盛った表現だ。

大躍進を果たした2018年、2019年と比べれば、びっくりするほどに露出は減っていた。
7のつく日の17時にTwitterを覗いてみても、何も告知のない日々が続いていた。
数少ない特筆すべき取り組みのひとつであったアニメ第2期でさえ、緊急事態宣言により途中で打ち切られて半年延期となった。
誕生日企画『RabbiTube』やŹOOĻ1stアルバム『einsatZ』発売、過去最大規模となった劇中劇イベント『ダンスマカブル』など、いやいろいろ他にもやってたでしょ!と突っ込まれかねないが、今までのプロジェクトの密度からすれば、もっともっとたくさんの新しい驚きが用意されていたはずであることは想像に難くない。

だから、アイドリッシュセブンの情熱だけは止まっていないと示すかのようにSHIBUYA109に掲げられた「#HomeTimeTogether」を、金ヅルとしてでも信者としてでも、なんだっていい、愛しく思わないわけにはいかなかったのだ。




 「避けて書きやがったなこいつ」と思われたくないので(きっと私が第三者としてこの記事を読んだらそう思うだろう)少しだけ、炎上のことも書いておく。

私は炎上が起きたときまだマネージャーではなかったし、一連の騒動をまったく経験していない。
しかし、未だに「炎上」というワードがアイナナについて回っていることは知っている。

そういう立場の人間として、少しだけ。


ゲームを始めてすぐに、まとめサイトや様々な人の過去のツイートなどから「炎上」の輪郭は知るところとなった。
何度も言いたくなってしまうが当時受験生である。暇か。

炎上の要因となったものは、事実無根だと言い切れそうなものからこれは…と言いたくなるものまであった。

当時のたくさんの人の声に触れた。
擁護する人、失望して離れていった人、攻撃的になっている人。

気にしなければそれまでなのだが、ちゃんと自分の目で見て、自分の頭で考えて、自信をもって好きでいたかった。

たくさんの意見や剥き出しの感情に触れて、わからなくなった。

わからないなりに一つだけ信じられたのは、『アイドリッシュセブン』はめちゃくちゃ面白くて、これを作っている人たちはこの仕事が好きだという、きわめて個人的主観的な感想だけだ。
『アイドリッシュセブン』には、どんな非難や疑惑にも負けない、唯一無二の面白さがあって、それだけは絶対に本物だという確信だけがあった。

運営を擁護する気はない。
結局私は部外者に過ぎず、何もわかっていないので擁護する資格も非難する資格もない。

ただ、同じように思った人が多いから、今こうして『アイドリッシュセブン』が生き残っているのだと思っている。


感情のままに書き殴ってみたはいいけど読み返したら何も結論が出せていないことに気づいた…。

でも、今の時代なんでも燃やそうと思えば燃やせてしまうので炎上は時の運なような気もする。
運が悪かった…と言うと、擁護派の意見のように聞こえてしまうだろうか。

書けば書くほどボロが出るのでここまでで無理やり終わる。




 運営に対してまあまあムカつくこともあると言えばある。
ジェンダー観昭和で止まってんの?とたまに言いたくなるし、絵がもっと上手いソシャゲもたくさんあるし。

でもでもでもでもでもでもでもでもやっぱり大大大大大大大大大大大だ~~~~~~~~~~~~~い好きなんだわ!!!!!!!!!アイドリッシュセブンが!!!!!!!!!!!!!!!それ以外理由が要るか!!!!!!!!!!イェ~~~~~~~~~イ!!!!!!!!!!!!!!!




2021年、そしてそれから ~「おわりに」に代えて~


 5周年記念イベント『/BEGINNING NEXT』に際して、「本イベントを皮切りにサプライズをお届けできるよう少しずつ動いていきたい」と公式Twitterで述べられた通り、2021年、アイナナはまた速度を上げ始めた。

みんなVARIANT買った!?VALIANT見た!?サドビ楽しんでる~~~~!?!?
Intermezzo!6周年!!ワクワクが止まらないぜ!!!



 『VALIANT』で(すごかった………)強く感じたのは、あそこで頑張っている「アイドル」のもとに直接声を届けられないもどかしさだった。
感染状況などを鑑みれば完全無観客、収録ライブというのは文句なしの最適解だったが、それでも本当に、本当に悔しかった。

「オンラインだけど」ではなく、「オンラインだから」できることを追求したライブには、今までと何も変わらない、純粋な情熱と愛があった。

親戚同士の集まりでさえ「えぇ~こんな状況ではちょっとね、うん~会いたいけどねぇ~」で回避できる今は楽でいいやと思ったりしたこともあったのだが、あそこであんなに頑張っていたキャストに、スタッフに、アイドルたちに、生の歓声が聞かせられないならなんの意味もないと思った。

とにかく今は一刻も早く円盤化を…頼む…切実に…ギブミー斉藤九条天壮馬さんのビラビラゴージャスファビュラスマーベラスメッチャカワイイ『Treasure!』衣装……。




現在の状況が収束して、また元通りに集まって騒げるようになるのはいつだろう。
その時アイドリッシュセブンはちゃんとそこにいるだろうか。
私は変わらず彼らの前にいるだろうか。

コロナうつだか受験うつだかなんだか知らないが、最近考えるのはそんなことばかりだ。

1回だけでいいからライブ現地で見たいんだ頼む………





 最高のアイドルは「終わらないアイドル」。
これまた第3部の名言のひとつである。私第3部ほんとに好きだな。

終わらないアイドル。
くだらない幻想で、とんでもない理想論だ。
誰もが知っている。
この言葉を言った姉鷺カオルも、聞いていた九条天も、もちろん私たちも。

それでも願いたくなる。
「終わらないで」と懇願したくなる。

この瞬間この感情を『アイドリッシュセブン』と言うのかもしれない。




 小学校5年生の時に『進撃の巨人』に出会った私は、「進撃が完結するまでは俺の子ども時代終わってねえから!!!!」と主張してきた。
でも終わってしまった。
アニメで完結するまではセーフとする説を全力で支持している最中だが。


同じ論理を用いて「アイナナが終わるまでは俺の青春終わらねえから!!!!!!」と主張しはじめた高校3年生の夏である。
アイナナは私の青春だ。これまでも、これからも。

この調子では、アイナナが本当に終わった暁にはアイドルを求めて虚脱感の中ジャニーズJr.か何かを漁りまくっているかもしれない。
完全な九条鷹匡化である。
そんな人を将来見つけることがあったら、どうか優しくしてほしい。
あの人は青春を失ったのよ。かわいそうにねえ。ヒソヒソ。




 アイドリッシュセブンが、大好きだ。


2021.8.4 新曲『NAGISA Night Temperature』が最高
戸津

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