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探求の旅

ぼくは保育園児であった。
父と母は、昭和40年代当時としては珍しい共働き。ぼくには2つ上の姉がひとりいて、それぞれがちがう保育園に通園していたから、夫婦はそれはそれは毎朝てんやわんやだったそうだ。



県道からお寺のイチョウ並木へ入ってゆくと、左手に保育園の入り口がみえる。夏の盛りを過ぎるといつの間に葉が色づきはじめ、寒さを感じる頃になると銀杏の実が落ちてくる。保育園の出入りは皆急いでいて気づかずに踏みつぶしてしまうから、黄色い絨毯はぬるぬるで臭くて、いつも鼻をつまんで通っていた。




ある日、保育園でいつも通り昼食を済ませ、お昼寝の時間となった。いつも眠くならないぼくは、寝ないから暇でしかたがない。やむを得ず、探索の時間としていた。



狸寝入りで保育士さんが部屋から出ていくのを待ち、活動を始める。今日はまず、テーブルの下だ。普段、テーブルの下へもぐることは許されていなかったので、なぜダメなのかを探求せねばならない。進みゆく先をふと見上げると、テーブル上から何やら白い紐状のものが垂れ下がっている。先端には二つ突起があり、丁度手につまめる大きさ。
知ってるゾ。コレはアレだ。壁の穴に差すとテーブルの上の機械が動くヤツだ。




どうして壁の穴へコイツを差すと機械が動くのか。研究課題のひとつであった。キラリといいアイディアを思いつく。ちょうどぼくの顔にはコイツがぴったりと合いそうな穴がふたつ、開いている。鼻の穴で機械は動くのか。これは価値ある実験であろう。さっそく、スポッと鼻の穴へ差し込んでみる。おお、見事にフィットするではないか。しかし、なんだかくすぐったいだけで機械は動く気配を見せない。差し方が悪いのか? 少しグリグリしてみる。



すると、生ぬるーいものが鼻の穴からボタボタ床へ落ちてきた。血だ。鼻血が床へ垂れている。びっくりして鼻の穴へさしているものを抜いたら、更にボタボタっときた。




ちょうどそのとき、お昼寝時間が終わり保育士さんたちが部屋へ戻ってきてしまった。
「あら大変!てっちゃん、どうしたの! 血だらけじゃないの!」
保育士さんたちに戦慄が走る。
「ナニしたの? アレ、なんでコンセント? ああっ、もしかして。」
バレてしまったバツの悪さと惨状への驚きで、なすすべもなくウンウンと血だらけの顔でうなずくばかり。保育士さんたちの安堵と呆れの微妙な笑いが部屋を覆った。




良かった。みんな笑ってる。
ごまかし笑いをしたがしっかり叱られてしまった。そのとき、そいつはコンセントというヤツだと学んだのだ。壁の穴へ差さないと機械は動かないのだという。紐の中を電気っていうやつが走っているそうだ。
ほほ~う、なるほど。壁の穴がその電気ってやつの基地なのであるか。これは次のいい研究課題を発見できた。こんどは壁の穴の謎を探ってみよう。



父がお迎えに来た帰り道。壁の中がどうなっているか質問をしながら、既に次なる探求の期待でこころ踊っていた。鼻の穴は両方ともちり紙で塞がっていて、潰れた銀杏の匂いはしなかった。

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