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オオカミだぞ~

狼はずるく恐い。ぼくたちはそう思っている。実際、子ども向けの絵本などに登場する狼はみな恐ろしい。人間が少し油断をみせれば、またたく間に大きな口に血を滴らせて襲ってくる。ぼくたち大人は子どもたちに、狼が人間に害をなす「害獣」だというメッセージを植えつけつづけている。




人間の歴史のなかで大型哺乳類の飼育は比較的早くから始まっており、生活の糧としての牛や豚や羊などを狼に襲われ奪われることが繰り返されてきたのだろう。人間様としては、狼はにっくき敵でありつづけたことがその原因かもしれない。でも、ほんとうにずる賢く恐ろしいのは人間の方だ。




「狼王ロボ」に出会ったのは小学生低学年のころだった。父が「シートン動物記」を購入してくれたのだ。なかでも「狼王ロボ」に興味は集中し、何度も読み返しては涙した。特にシートン自身による挿絵は秀逸で、気づくと物語のなかへ深く入り込んでいる。レベッカへ罠を仕掛ける卑怯さに、著者のシートンを恨んだりもした。狼が食事を確保すると人間はなぜ狼を殺していいのだろう。無敵だったロボは妻レベッカを失い、悲しみのあまり急速にその力が衰えてしまった。


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狼は高度な社会性をもつ動物だといわれる。
自覚という概念は人間だけの特権であると思われてきたが、近年狼にその兆候が見られることがわかってきているそうだ。伴侶を失うと自ら死を選ぶ狼がいるというのだ。自殺は自覚がなければ成立しない。ロボと同じ行動を選ぶ狼の姿がアメリカのイエローストーン国立公園ではしばしば見られるという。イエローストーンは狼との共生を選んだ世界でも数少ない地域だ。




狼を観察するうちに、彼らに夢中になる人が後を絶たない。
狼のありように心を奪われてしまうのである。彼らの社会に人間が失いつつある大切なことが発見できるのかもしれない。人間性がいま、狼に教わらなければならなくなっているのだとすれば、「人間性」という呼称さえ傲慢に思える。人間はみずから創り出した「高度な社会」にあって、生きるうえで大切なことは何か、ということさえ判断できなくなってきていると感じるが、どうだろうか。




そんな社会でも救いとなるのは子どもであろう。子どもはその存在自体が希望である。そんな子どもたちに対して大人が苛立つことを見聞きすることが多い現在である。しかし原因は常に大人側にある。それは大人が社会的圧力に染まっているから。他人から良く見られたいと気づかぬうちに思っているから。
ドイツのウルフウォッチャー、エリ・H・ラディンガーの言葉を借りたいと思う。




「家族を愛し、託されたものたちの世話をすること。遊びをけっして忘れないこと。」
「忍耐の基礎は、生命の自然のリズムを受け入れること。人間によってつくられたプログラムに順応しようとしないこと。」


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