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みっともない

ピンポーン!
玄関のチャイムが鳴る。インターホンのカメラを確認するが、誰も映っていない。おや、と思って玄関を開け、周囲を見渡すが誰もいない。やりやがったな?




妻の友人の子どもは小学生男子である。先日、深刻な顔で学校へ行ってくると告げた友人にどうしたのかと訊ねた。その表情を見て心配した妻だったが、話を聴いて笑ってしまったそうだ。
「笑いごとじゃないわよ」と友人はプリプリしていたという。




事は半年前に遡る。
友人の息子の仲間内ではピンポンダッシュが流行っていた。他人様の玄関の呼び鈴を押してバックレるアレだ。彼はあちらこちらの呼び鈴を鳴らし、逃げた。そして学童保育の仲間に自慢して廻った。ついでに指導員にも自慢をした。問題視をした指導員が彼を連れて被害?のあったお宅へ同行し謝ったそうだ。




友人は子どもを叱り、二度とやらないと約束させた。それなのにどういうわけか、また復活してしまったのだ。今度は学校で自慢し、よせばいいものを教師にも自慢した。それで教師から呼びだしをくらったという次第であった。
「あんなにきつく約束したのに。もう信じられません!」
彼女は落胆し、二度とやらない約束を守らせるにはどうしたらいいかと、妻に相談した。




妻の回答に友人は納得しなかったという。それは、飽きるまでほうっておけ、というものだったからだ。「だって迷惑じゃない!」と気色ばむ友人に、「え? だから、一緒に謝りにいけばいいんじゃない? それに、ピンポンダッシュってそんなにイケナイことかしらねえ。可愛いもんじゃない。ワタシも小さい時、結構やったわよ。アナタ、やらなかった?」




子どもは悪さをし、いたずらをし、徒党を組み、ウソをつき、ゴマカシ、迷惑をかける。そういうものなのだ。だから、その責任を大人が取ってやらねばならない。頭を下げ、みっともないところを見せてやらねばならない。大抵の場合、そんな思いをしたくない親がああでもないこうでもないと口やかましく子どもを縛るのだ。しかし、それで失敗の経験を奪われた子どもは、成長の機会を失う。




大人が子どもに口やかましく先回りして云うのは、自分がみっともない思いをする覚悟がないからだろう。してはイケマセン、すべき、迷惑などといったもっともらしい言葉の裏には、大人の弱い心がある。




子育てとはとどのつまり、子どもの日々のみっともないを引き受けることなのではないだろうか。そうやって、我が子の事で色んなところからのお呼びだしをワクワクしながら楽しみにしていたのに、それほどの事件は起きなかった。
なあんだ。もっとやらかして良かったのに。つまんないの。

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