見出し画像

防波堤の景色

 夕陽が空を赤く染めながら、彼方の水平線の向こうへと向かっていく。もう少しで太陽が水平線と重なり、ダイヤモンドのように光り輝く瞬間が訪れるだろう。
 私はそれを見るために、スカートが汚れるのも気にしないで防波堤のコンクリートにお尻をつけて眺めていた。手持ち無沙汰に自販機で買ったサイダーを飲みながら。サイダーを口にするとシュワッとした甘い発泡がはじけて気分を晴らしてくれた。でも、どんよりとした気分はすぐに復活してしまう。
「はあ、どうしたらいいんだろう」
 私は抱え込んだひざに頭をうずめた。もう動きたくもない。こうしてずっと座ったままでいて、答えが出ないままタイムリミットを迎えて、全てを台無しにしたかった。
 もんもんと悩んでいると、後ろから足音が聞こえてきた。ジャリと砂をすりつぶすような音。もしお母さんだったら「放っておいてよ」と叫んだところだけど、あらわれたのはクラスメートの雄馬だった。
「さやか。こんなところで何してんだよ」
「なんでもないわよ。夕陽を見てるだけ」
 だから放っておいてよ、という言葉は飲み込んだ。事情を知らない雄馬に当たったら、さすがに可哀そうだから。
 雄馬は「ふうん」と相づちを打つと私の隣に座る。馴れ馴れしいなと思うけど、こんな田舎の過疎地では同級生は兄弟みたいなものだ。全員のちんちんを見ているし、全員におっぱいを見られている。いまさらこれくらいでドギマギはしない。
「なあ、最近、ずいぶん暗いな。悩みでもあるのか」
「ないわよ。毎日、同じ日の繰り返しだなって思っているだけ」
「なんだ、それ。刺激が欲しいのかよ」
「刺激ね。欲しいといえば欲しいかな」
 悩みを吹き飛ばしてくれるくらいの刺激なら大歓迎だ。それが悲劇でも、私なら悲劇のヒロインを演じ切る自信がある。でも、この町で大事件といったら「赤潮が出たぞ」と漁師が騒ぐだけの平和な町なのだ。
「だったらさ、前に言ったことを考えてくれよ」
「前って?」
 私はとぼけたけど、雄馬は真面目な顔をしている。
「付き合ってくれ。お前のことが好きなんだ」
 真っ赤な夕陽に照らされているので、雄馬の顔が赤いかどうかわからない。きっと、それは逆もしかりで、私が照れて顔が赤いのか夕陽のせいかは彼にはわからないはずだ。
「ありがとう。でも、もうちょっと待って」
 そう言うと雄馬は私の腕を掴んできた。バスケをしている彼の力は私の腕を折りそうなほど強かった。
「いつまで待てばいんだよ。俺はもう待てねえよ」
 雄馬はさらに力を込めて私を引き寄せようとする。それが止まったのは、私が抵抗したからでも、彼が怖気づいたからでもない。後ろから声が聞こえてきたからだ。
「おーい。さやか、雄馬」
 雄馬はパッと手を離し、声がした方を睨んだ。私も振り返ってみると、一つ年下の樹が駆け寄ってきている。樹も長馴染みで、みんなの弟のような無邪気な男子だ。
 雄馬はバツが悪くなったのか、立ち上がって砂を払い、「早く答えを聞かせてくれよ」と言って樹の方へ歩き出した。雄馬と樹はすれ違いざまに言葉を交わしたようだが、雄馬は樹の頭をグーで殴ってから去っていく。いつものことだ。
 殴られた樹は頭を抑えながら、笑って駆け寄ってきた。
「さやか。雄馬がひどいんだ。何してたのって聞いただけなのに殴ってきた」
「まあ、かわいそう。樹は良い子なのにね。なでてあげる。よしよし」
 ふざけて樹をあやした。樹も素直になでられていたけど、彼はすぐに真顔になった。
「雄馬と何を話していたの」
「将来について、少しだけ」
 そう言うと樹は素直だから、疑いもせずにうなずいた。
「そっか。雄馬、お父さんの漁師の仕事を受け継ぐんだよね。漁師は大変だから悩むよね」
「そう言う樹は、村役場に勤めるつもりなんでしょ。昔から言っていたもんね」
「そう。俺は一生ここにいる。村を有名にするんだ」
 そう言って樹は太陽に向かって拳を突き上げた。マンガの主人公みたいだなと思っていると、樹は私の顔を見て笑う。
「俺が村長になったら、さやかはファーストレディになるんだよ」
「ははっ。いつの間に私と樹が結婚することになってのよ」
「えー、だって、昔、約束したじゃん」
 樹は笑ったが、すぐに真面目な顔になった。
「ねえ、今でもさやかのこと好きだよ。必ず幸せにするから、俺と結婚して欲しい」
 まっすぐな目で見てくるから、真っ向から否定はできなかった。
「ん。考えておくね」
「絶対だよ」
 そう言って樹も去っていった。
 残された私は体育座りで沈みゆく太陽と見つめている。ちょうど太陽のてっぺんが水平線と重なった時、キラリと強い光を放った。まるでルビーの中に光が生まれたような、神秘的な光だ。子供の頃からこの光景が好きで悩みがあると見に来ていたけれど、今日はぜんぜん悩みが消えない。
 別に、二人の間で揺れ動いているから悩んでいるわけじゃない。私にはまだ二人に打ち明けていないことがあって、それが重たくのしかかっている。
「はあ、どうしよう。どうやって、来年から東京へ行くって言えばいいんだ」
 どうすれば二人が傷つかずに私を笑顔で送り出してくれるのか。そのことばかりを真っ暗になっても考え続けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?