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5年日記を買いました、

佐光です。こんばんは。突然ですが日記について。昨年の4月から、簡単な日記をスマホアプリに残し始めました。日記というよりも、娘に向けたメッセージに近いものです。一日数行の。今日は影を見つけて楽しそうだったね、とか、ごちそうさまができるようになったね、とかそういう類のもの。なので、演劇本番だったよ、とかそんなことは一切書いてないわけです。しかし、来月からは娘も保育園。日中の彼女をしっかり見守ることができないので、この形式の日記は一旦やめよう、と思いました。

そこで、久しぶりに自分のための日記を書こうかなと。自分の身に起こったこと。娘に対して思ったこと。せっかくなので、長年憧れていた10年日記…は自信がなかったので、5年日記を買ってみました。文章どころか文字の書き方も忘れている気がしますが、一日数行くらいならちゃんと記録できるような気もします。

というわけで、ではないけれど、なんとなく気まぐれにメモに残していた今月の日記をいくつか貼りつけて今回のブログとさせていただきます。演劇一切関係ないので読まなくていいです。ではみなさん、良い春を!


【3月28日】

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友達とお互いに子供を連れて子連れがよく行くカフェに行った。前に会ったのは確か生後2〜3ヶ月頃。ランチに行ったのに、お互いに子をあやしたり寝かしつけるのに必死で、まともにご飯が食べられなかった。今回は互いに1歳前後、きっと大人しく…してくれるはずもなく。
15分ほど待って座敷の席に通してもらって子を解放する。まだちゃんと歩けないけれどハイハイで動き回る子供たちはテーブルに掴まって水の入ったグラスを引っ張りこぼすし、隣のグループのお兄さんお姉さんに愛想を振りまいてマスクをひっぱろうとするし、難易度はあまり以前と変わらなかった。いや、それ以上だったか?とはいえ車の中チャイルドシートに固定されていた娘たち、椅子に座らされるよりも座敷の方がそりゃ居心地がよかろう、楽しかろう。目の前でどんどん冷めていくドリア。お陰で舌を火傷せずには済んだけれども。
最近の若者はというけれど、隣の若者グループがとても優しかった。賑やかな我々(他も座敷には子連れグループがいたけれど)は迷惑をかけているなという自覚はあった。座敷でない席も空いたので店員さんが若者たちに「ソファ席空きましたのでよろしければ」と案内していたけれど、それでも「癒されるんで大丈夫っすよ」なんて答えてくれていた。そしてグループ内での会話の中で「お母さんって大変やね、ごはんもちゃんと食べれんやん」なんて言ってくれていたり、興味津々で近づいていった子をあやしてくれるのだ。おそらく我々が全然食事できないのを見かねての行動言動で、ひたすら平身低頭、感謝感謝であった。
もちろん、おかげで肝心の友人との会話も楽しむことができた。
自分が子持ちでない時は全然思い至れなかったことが多すぎて、しかし彼らはそこにすでに思い至っていて、令和だなあ、と雑に片付けるのも失礼な話だけれども。救われました、ありがとう。
帰りの車、娘爆睡。楽しかったね。


【3月27日】

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四国水族館に行った。夫が車を運転してくれたので私(と娘)は、童謡を聴きながら後部座席で寝ていたら到着した。寝かせてくれてありがとう。

入場してしばらくするとイルカショーがはじまるところだったが、すでに満席で入る余地がなかった。この隙に、と正午までまだ時間はあったけれどお出かけ価格の昼食を摂った。次の開演時間の15分前に会場に向かう。が、もう人だらけで座る場所はまだらにしか空いていない。ベビーカーを持っているので最前列をメインで探すと、一番奥、舞台用語では下手ですかね、そこならどうやら座れそうだった。が、すんでのところで若者3人グループに陣取られた。仕方がない。どうしたものかと途方に暮れていると、少し手前でカメコ並みの望遠レンズをカメラに付けたおじさんが手招きしてくれた。「ここどうぞ」と。窪みがあってベビーカーも仕舞える場所。何度もお礼を言って座らせてもらった。
イルカが水から飛び出してくる。飼育員さんたちはみんな若くて、その中でも男性の飼育員さんが仕切っていた。なんだか上下関係の厳しそうな雰囲気がした。就職先として水族館を選び、見事希望を勝ち取ってここにいる彼女たちのことを、その親になった気になって考えていた。獣医になりたいと昔言っていた妹のことも考えていた。いずれも私は抱くことの決してなかった夢。美しい。と思ったけれど、なぜそれを美しいと感じるのかはよくわからない。
イルカは水中からこんなに高く跳べるのか!3mくらい?自分の背丈(と言っていいのかわからないけれど)を超える高さのジャンプはわたしにはできそうにない。イルカの体が水面にぶつかって、ステージ真正面に座っていた家族が笑顔でびしょ濡れになっていた。それを期待して座っていたのだ。おそらく30分前くらいから。
ベビーカーから降りて私の膝の上に座った娘は、最近覚えたおててぱちぱちを繰り広げている。観客みんなが拍手するのを見て、真似ている。かわいい。
水族館はなんだか美しかった。水槽はどこも清潔に保たれていて苔の汚れなど見当たらず。博物館のように整った展示がされていた。各水槽の前に立てられた立て看板には飼育員さんがチョークを駆使して生き物のイラストや説明を描いている。これがまた見事で、絵心もあるし説明もわかりやすいしで、生き物への愛を感じた。
さてそもそも私自身は魚をはじめとした海の
生き物にはほとんど興味がない。ではなぜ水族館にというところだけれど、一言でいうと「娘のため」。生後11ヶ月というのはさまざまな物事を吸収する時期なのだそうで、たしかに日々新しいものを見てはじいっと凝視、観察し、大人の会話にもしっかり耳を傾けている。冬の間は、寒さもあれば感染症の不安もありなかなか外に出してあげることもできなかったので、少し成長のための刺激が足りなかったのではないかと案じていた。絵本で学ぶのも結構だけれどやっぱりなんでも実物に勝るものなし、ということで。と、そんな理由で訪れたものの、非常に楽しめた。ちょうどいいサイズ感でもあり、水族館や動物園なら避けられないような生臭い臭いもほとんど感じることがなかった。いや、感じなかった。魚をこんなにまじまじと見たのも随分久しぶりだった。
カブトガニの裏側がなんだか甲殻類って感じで面白くて、また見たいなと思った。お魚の群れも、タコの吸盤も、クラゲも。でもやっぱり触りたいかと言われると触りたくはないかな。魚たちは悪くないの。私に潔癖症の片鱗があるだけで。


【3月24日】

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三島公園といえば餅まきの記憶。おじいちゃんがやぐらの上にいて、餅を投げる。人がいっぱいいて、とても賑やかな思い出。

その頃はいろんなところで餅まきがあった。例えば誰かが家を建てることになったとき、そこで餅やお菓子が投げられる。私が一番長く住んでいた家、そこでもまだ建てる前に父が餅まきをしていたようなおぼろげな記憶がある。あとは、年越し。年末年始に神社に行くとお餅をまいていることがあった。祖父の場合は当選祝い。いずれも紅白の丸餅で、ふわふわとしていた。私はこのふわふわのお餅に慣れていたので、スーパーで硬い餅を買った時は驚いた。
三島公園。改めて調べてみると、桜が綺麗なところだと書かれてあった。幼い頃は花のことなどなにも意識していなかった。3月も下旬に入るころ、早咲きの桜は開花しているもののソメイヨシノはまだ蕾、三島公園に桜は咲いていなかった。
山を車でのぼっていく。私がまだ小学生だったころも車でのぼっていった。ちょっとややこしい道のりだけれど、しっかり覚えていはずなのにすっかりと忘れていた。
車を停めてみると心地いい風が頬を撫でた(言ってみたかった)。見晴らしがいい。山の上にある公園、なんて素敵な場所なんだろうと思った。四国中央市特有の、製紙工場の臭いもしない。祖母の家に泊まった朝に香っていた、何の花かはわからない花の匂いがした。その一瞬、弟とともにすこし大きすぎるベッドで目覚めたばかりの小学生になった。
公園はなんだかもっと広かったような気もした。売店がある!シャッターがおりている。けれど、自販機が2台並んでいるから水分補給は問題ない。
この売店で何か買ってもらうのが好きだったなあ。何を買ったのかは覚えていないのだけれど、多分何かコーラとかジュースとかだったんじゃないかな。自販機無かったでしょう、多分。というと、「三島を馬鹿にしたらだめよ、三島にも自動販売機はあるんだからね」と母が言う。なんだか噛み合ってない気もするけど、いつだって標準語の母はたぶん三島に噛み合わない。
ベビーカーを押すと車輪に芝が貼り付いてくる。昨日の雨がまだ残っている。いちばん眺めの良さそうなところまで進む。海が見える。工場も、そこから立ち上る煙も。「おじいちゃんちどこかな」というと、母は微妙にポジションを変えながら見えやすい場所を探してくれる。倉庫の屋根だけ緑なものだから見つけやすい。そのあと何も言わずに景色を眺めていたら、母もじいっと、景色かなにか、をみていた。
小さい時よく連れてきてもらったなあ、というと、私も小さい時来てたの、という。

よく恋愛物なんかで、思い出を上書きしたくない、思い出はきれいなままで、なんていう表現があるけれど、そのフレーズが何度も私の中を行き交った。わたしの記憶にある三島公園。人だらけで賑わって、映像としてはもう色褪せているけれど鮮やかな熱量がある思い出。

あの時がいちばん良かったね、と母がこぼした。
楽しかった。ほぼ毎週のように三島に通って、おじいちゃんおばあちゃんに可愛がってもらって、近所の人とも遊んで。人が集まる場所だった。ひっきりなしに来客もあり、なんだかとっても賑やかだった。祖父は私にファミコンゲームをさせてくれたし、手品をたくさんしてくれた。祖母は何かと過剰なほどに褒めてくれて面映く(今もだけれど)。楽しい思い出ばかり。

目の前の公園はとても綺麗で、緑もいきいきしていて、頬を撫でる風が心地よくて(また言ってみた)。なによりここに、娘もいる。幸せだなと感じた、これは本当にそう。だけれど、これはそれとはまったく別の幸せなのだなと自覚するのに勇気が要った。この幸せを感じるほどに、あの時の幸せが消えていく感じがする。そうやって忘れていくんだと知っているんだけど、どれも鮮やかに残しておきたくなってしまう。欲深いね。

お墓に寄って帰りましょう、と母が言ってくれた。たぶん、言ってくれるのを待っていた。
次会えるのはいつかなあ、だいぶ先だね、おじいちゃん。

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