見出し画像

経歴と罪悪感のあらいだし

人生において、一番生き生きして楽しかったのって、欲を認識し、その達成に向かって努力していた時。感覚を信じ、あまり深く考えず(これが好き)で突き進んできた。

ただそれが自ずと仕事に絡んだ「欲」だったから、結果手に入れるところがゴールになってその中での努力を仕切る事が難しかった。特に自己管理が必要になる社会で顕著にこの傾向が表れている。

下記は私の経歴。私はこの約10年の仕事経歴の中で、努力ができなかった不甲斐なさと逃げたことに対する罪悪感を抱えている。重い。なんか重い。ずっと罰せられている気分。

ただ、いろんな経緯からもう、この被害者意識にうんざりしていて、他人軸から自分軸にシフトたいと思っている。

ここから罪悪感を洗い出して、手放して次のステップに行く足がかりにしたいと思う。

◆就活時代

・ウエディングプランナーになるために3回生から式場でアルバイト。面接に受からず、営業を学ぶため、と保険会社に入社。2年という期間を決めてその期間は努力をした。

・途中から海外ウエディングへの興味に変わったのでスクールに通うお金を貯めるため努力

→仕事内容に興味はないが、自分の興味による目標のためなので、前向きに勤めあげる事ができた。

【罪悪感】お金を貯めるために友人と遊ぶことをセーブすること、遊びを断ることで嫌われるのではないかと感じていた。


◆海外ウエディングスクールへ

・好きなことに没頭し、興味の赴くまま海外ウエディング市場調査をした。憧れていた業界に触れ、現地を見、海外での初一人暮らし。全てが新鮮で、とても刺激的だった。

→心が動かされるほどの興味は幸せ。今でも一番の良い経験だったと言える

【罪悪感】共通点のない他人と関わることが苦手なのではないかと感じること。例えばドミトリーで出会った方、ミクシィで出会った友達。同じ境遇ではない人と何を話していいのかわからない。(共通点のある人は別)人見知りか?と思い出した経験。

◆式場紹介

・海外専門の会社には縁がなく、しかし2番目に興味のあった式場紹介の会社に入社。ずっと目標にしていた業界で働く事が出来ることで非常に心躍り入社する日の幸せなきもちは今でも鮮明。ただ、その中でどんどん自分の次の欲が出てきて、社内で必要とされている会社が決めた目標や、理念に沿きれない。今振り返ると、ただ努力をしていなかっただけとも言えるように思う。いや、やり方がわからなかった。それを知る、達成する、ということに対して甘んじていたと思う。

成績はぼちぼち。やっぱり海外ウエディングの仕事をいつかしたい、私の居場所はここじゃないのではないか、と次第に感じだし、結果「東京に出て転職、いろんな経験をしたい」と言う欲の達成のための仕事に。運よく仕事で上京させていただいた。さらに社内の初部署に転任させてもらう。しかし結果営業成績にコミットする度量がなく、29歳を目前にこの先を考えた末退社を決めた。

ステップアップと考えると聞こえは良いが、自分の好きな事で毎日を埋めたかった。鋭い、当時の統括に「本当の止める理由は?」と聞かれたことを未だ覚えている。

【罪悪感】上の立場なのにマネジメントができない。人を怒れない。管理ができない。結婚式の仕事なのに、自分は恋愛下手。デートを優先しがち。恋愛がうまくいっていない時には接客が嫌。上京させてもらったのに目標達成できない。暑苦しい取り組みにはしらけた気持ちになってしまう。ロープレをしたくない。

◆旅行ライター

大好きな業界に飛び込むと決めたものの、非常に激務のため数ヶ月悩んだ。その際につなぎの派遣でライター職に採用いただき日本のおしゃれ・流行りをレポートするライター職に就いた。もうこれが、思いの外楽しくて、幸せで。

・自分で穴場をリサーチしてまとめる

・おしゃれに写真をとる

・記事を書く

・記事閲覧数を意識

・社内の方にたいへん喜んでもらう

これがとても嬉しくて、嬉しくて。また土日やすみであることも幸せで。ただ、辞める理由として掲げていた「海外ウエディングプランナーになること」を諦めているようで罪悪感があった。少し、諦めきれない気持ちもあった。結婚式関係のことはやっぱり大好きで。だから土日だけアルバイトを・・・というつまみ食いをしようとアクションをした結果興味のあった会社から正社員起用の話がきて、悩みに悩んだ結果結果2ヶ月で転職をすることに。

【罪悪感】長年目標にしていた仕事を諦めて、違うことをすること。短期間で仕事をやめること。

◆海外ウエディングプランナー

おもて面はキラキラした仕事、中は大変とよく言われるこの仕事。飛び込んでみると仕事内容は自分の能力以上の事務仕事、営業。一人一人のお客様と会話する楽しさはもちろんあるが、やはりメインは当日失敗なく結婚式が遂行すること。基本的には成約した方は自分が最後まで責任を持って対応する。私は、目標達成にコミットしてこなかった分本当に辛かった。ケアレスミスに対する責任感が薄く、頭ではわかっているのにミスばかり。これも、いま振り返るとやり方を知らなかったからだと感じるが。。現地にいる人たちと、電話メールだけで物事を進め・指示して行くことも私にとっては苦痛だった。見えない分、気を遣ってガンガン希望を伝えられない。さらにお客様からの問い合わせやいった言わない問題、引っ張っていってくれないからというクレームやお見積もりについてのクレーム。

正しく、丁寧に、間違いがなく人を引っ張って目的地まで連れて行くこと。本当に苦手でできなかった。各方面からの他人への期待に応えることが辛かった。

【罪悪感】ケアレスミスをすること。なんでも聞いてしまうこと。同じことを何回も間違えること。段取りよくできないこと。聞いたこと、いったことを忘れてしまうこと。上と代表の顔色を伺って話をしてしまうこと。肌荒れがひどいのに、明るいブースで接客すること。宣材写真がブサイクなこと。インスタなどの発信が続けられないこと。Excel・計算が全然できないこと。ロープレをしたくないと思っていること。引き継ぎの際に、同僚にたくさん迷惑をかけること。すごく悩んで飛び込んだ業界なのに、やめるという選択をしたこと。

ごめんなさいごめんなさい が私の口癖だった。こんなに恋い焦がれて得た仕事なのに、私はみんなに迷惑しかかけていない。

もう、限界だった。環境はよかった方だと思う。土日は休めない最大のデメリットがあるも休みの数は多いし、ボーナスもあった。都会だから環境も良い。歩いているだけで気分良い。でもこのままいくと私が壊れてしまうと思った。結果、なんとか退職まで漕ぎ着けたが引き継ぎ後にも同僚に迷惑をかけているという事実に押しつぶされそうだった。せっかくできた大事な仲間にも、連絡するのが申し訳ない気分になっている。私がダメなせいで、ごめんなさいと思っていて、それが辛い。


現在は、縁あって東京を離れた。決めたら、動くって本当だ。2018年末に男女とも大きな出会いがあって、私はいまここにいる。

仕事についても・土日休み・彼氏との時間・休日に仕事のことを考えないこと・一人で他人の期待を背負い、100パーセントで対応して行くこと・営業スマイルをしないこと・定時上がり・一人一人にデスクがあること

という条件を優先して決めた。今度はパワハラに負けそう問題などあったが、嫌われることを恐れず現状を変えるために行動をして、今非常に穏やかに働けている。また、今まで出会わなかった層の40代の仕事ができる人たちの元で学ばせてもらっている。もちろん全てはできないが、苦手だと思っていた書類チェック、ケアレスミスの撲滅、優先順位の付け方、Excel、少しずつ意識と行動を変えることができてきている。

会社に勤める、と言うことは、会社の期待に添い賃金を受け取ると言うこと。それを長い間、甘く見ていた。自分の欲・好きなことができる場所と捉え、興味外のところに自分の能力以上を求められた時に努力ができない。

そんな、自己欲のことしか考えていない快楽野郎だった。10年かけて、これがわかり罪悪感の助長をしてきた。

今回ここで見つかった罪悪感は、設定によるもの。自分の設定を変えることで、変われると思う。また同時に他人軸で人の言動・顔色・意見に非常に左右されやすいので自分軸で自信を持ちたい。

プラスの面は、新しいことへの学習意欲が強く、学ぶのも非常に早いことと
新しい環境にどんどん適応していく能力が高いこと。これを強みに自分を立て直して行く。