「少女文学 第二号」東堂杏子のサンプル

何と申し上げれば良いのか、どえらい同人誌に参加してしまった。

以下冒頭サンプル。素晴らしい扉絵をいただいたのですが画像の貼り方がわからないので皆さん必ず紅玉先生の告知ページに行って確認してくださいお願いします。

私は、盗賊に育てられた宿命の姫君のもとにお迎えがやってくる話を書きました。宗教です。

**

「西涯ての海に往く」(サンプル) 東堂杏子


 この世界の空はいつも禍々しく赤い。
 宇宙の彼方からきた赤い雲が大陸上空で停止して世界を覆っている。「終末」って呼ばれているあれの正体はわからない。何年も前からそう。あれがもうすぐ星を滅ぼすのだという。
 だからあたしはこの小屋を出たら西涯ての海に往く。
 ずっとこの北域の山奥で育った。あたしの庭はどこまでも続く深い森、早朝の雲海に浮かぶこの丸太小屋だ。だけど時が来た。これから山を下りて西涯ての海に往く。それが運命だ。でも今はそれどころでは――

 あたしは小屋の中心にいる。
 四方の鎧戸を閉めたから視界は薄闇だ。汚れた敷物を剥いで、色の変わった床板を慎重に眺めている。
 みつけた。ここだ。床のここ。
「うおりゃ!」
 右足の踵に勢いをつけて厚い床板を蹴破った。
「よし」
 大きな穴が開いた。
 紅の巻き毛を頭の上でひとつに括り、その場に屈んで左腕を突っ込む。戦闘の準備だ。黴の臭いを嗅いだら緊張が和らいだ。指先では鼠の一族が騒いでいる。
 あった。布に包まれた金属の感触だ。
 引き抜いたのは銃だった。
 あたしは微かに鼻を鳴らす。父上が床下に隠してくれたのだ。いつかあたしが戦う日のためにと備えてくれた。ありがたい。
 宝石で飾られた高貴な銃だ。でも実戦向きだ。
 いったいどんな貴人から強奪したのだろう。父上と姉上はその持ち主を殺したのだろうか。盗賊ならば当然だ。山には熊がいるように、山には我々盗賊がいる。
 覚悟を決めて頭を振った。
 東の崖に住んでいるケリー鳥の母子が、ケンケンケーンと三回ずつ鳴いた。野生の仲間があたしに危険を報せている。もちろんわかっているよ。
 この未曾有の危機を。
「リズ姫様!」
 乱暴な声がいきなり扉を叩いた。
 小屋の扉は頑丈だ。あたしはさらに念を入れ内側から木板で封じている。籠城の基本だ。
「早朝からお騒がせして申し訳ない。中にいるのはリズ――エルヴィリア・王源=リッズェル・アッティカリア姫ですね? 悪しき盗賊団は首領以下すべて我が軍が殲滅しましたからご安心を」
 軽率にあたしの名を呼びやがって無礼者め、恥を知れ。
 銃を握りしめた。そうか父上は討たれたのか。姉上に続き 父上も亡くしてあたしはとうとうひとりぼっちだ。弾はある。だが長いこと放置されていたからまともな仕事ができるかどうか。運が悪ければあたしが負傷する。はっ。短く息を吐く。賭けるか、強運には自信がある。
「リズ姫様、我々は敵ではありませんよ」
 次に扉の向こうから語りかけてきたのは青年の声だ。
「あなたは盗賊に誘拐されずっと監禁されていたのです。あなたを救出するために我々は北の城から来ました。大いなる山脈の若き守護者ヴァーン王のご厚意にどうか応えてください」
 あたしは唇を噛む。
 息を殺して窓辺に立った。固く閉じた鎧戸の向こうに武器の気配がする。きっと包囲されている。想像したよりもずっと敵の数は多く、そして強い。
 ――姉上。たすけて。
 両目の瞼に力を込めた。躊躇する余裕はない。あたしは銃口を扉に向け一発放つ。
 たあん。
 軽快な破裂音、そして兵士たちの驚愕が揺れた。
「退がれ!」
「立て籠もりの姫君は銃をお持ちだぞ!」
 あたしは肩で深呼吸した。
 何度も額を擦って頭を振る。この状況では息をするのも忘れてしまう。背中が汗に濡れて冷たい。
「動揺するな。籠城の姫君は盗賊に育てられ盗賊として生きてきたんだ、この状況で錯乱するのも無理はない。可哀相に」
 再び若い軍人の声が聞こえた。北域の民のくせに訛りがなくて言葉が澄んでいる。

 彼らは北の城から来た軍だという。北の城は北域の王都だ。
 北域は人類の都アッティカから遠く離れた山岳地帯で、生まれつきの山の民と生まれつきではない山の民と故郷を追われた盗賊が暮らしている。父上と姉上は盗賊だ。あたしも盗賊として生き盗賊として死ぬはずだった。
 ところが五つになった春、突然、父上があたしを姫様と呼んだ。
『おお、美しい姫様よ』
 父上は毛虫のような太い指で大陸地図を広げ、西側の突端を示した。そこに輝く血塗られた都を。
『――ここが大陸の西涯て、人類の都アッティカ王国だ。惑星滅亡の危機に瀕した今、王族は海底王宮に逃れ地上を見捨てた。そしておまえはその王の落とし子である。空を覆うあの終末の災厄を滅ぼす最後の希望なのだ。儂は運命の女神からおまえを預かり育てたに過ぎぬ』
 なんてことだ。ウダガディア神話に出てくるリア姫のように、あたしは出生の秘密を知った。
 それならばあたしは父上の子ではないのか、と尋ねてみた。
『そうだ。儂はおまえの父ではない。おまえの父はアッティカの王である』
 意味がわからなかった。でも理解するように命じられたから理解した。あたしに流れているのは人類を統べる一族の血なのだ、と。
 だから父上は言った。いつかあたしは狙われるだろう。あたしの噂を聞きつけてあらゆる者が〝哀れな落とし子〟を奪いに来る。彼らは必ずこう言うのだ、盗賊に監禁されているあなたを救いに来ました。扉を開けてください、リズ姫様、扉を開けて。……
 あたしは父上の言葉を臓腑から呼び起こして反芻する。
『美しい血統の小さないくさ姫、そのときには決して扉を開けてはならない。おまえは単騎で血の故郷アッティカに帰還し、王の座を奪い取ってこの星を率いるのだ。そして終末の闇と戦え』


「隊長、お待たせしました。ようやく例の標本と分析装置が小型機で到着しましたよ」
 小屋の外から硬派な男の声がした。
 あたしは厚い壁にもたれたまま外側の気配を窺う。銃を握り直す。
「あっそう。入手したという標本は本物なの?」
 隊長と呼ばれた人物が軽やかな声を返した。この声、先刻あたしに向かって敵ではないと壁越しに語りかけた青年か。敵意は感じられない。
 気持ちの良い声だ。
 溌剌として爽やかで、巣立ったばかりのマンサ鳥が啼く声にも似ている。群れを率いるにふさわしい。
 あたしは壁に耳を当てた。
「本物ですよ隊長。分析の結果、遺伝情報のなかに人類の常識を越えた箇所がいくつも確認できました。すごいな、アッティカの王族は本当に神様の血を引いているんですね。連中が海底に引きこもってしまった今、やはり陛下がおっしゃるとおり噂の落とし子だけが最後の希望です。何しろ強大な力で光を放ち絶望の闇を砕くのだとか」
「あっは、おまえもずいぶんと俺の親友に感化されている」壁の外側で隊長が朗らかに笑い、壁の内側であたしは密やかに笑う。
「まあいいや。これで籠城の姫様が本物かどうかの照合ができる」
 隊長と副長の声が右に遠ざかっていく。彼らは会話の途中から小屋の壁に沿って歩きはじめたのだ。あたしは視線を動かす。
 軍靴の重い音が止まる。
「リズ姫様!」
 と、隊長の声があたしを呼んだ。
「お話があります。どうか扉の内側までおいでください」
 どうしよう。
 あたしは握りしめた銃を見つめる。扉の内側に寄った途端に突入されたら? こんなとき姉上ならどうする?
 あたしは素直に歩いた。
 提案に従ったことを示すためにわざと足音を立てる。あたしと同様に彼らが注意深く耳を澄ませているのがわかる。
「話とは何だ」
「お躰の一部分を試料としてご提供いただきたいのです」
「理由を説明しろ」
 あたしがそう告げると「意外と可愛い声だな」と呟くのが聞こえた。
 改めて、
「もちろんですよ姫様」
 幼女をあやす調子で跳ねた。
「今から一年前のこと、北域の偉大なるヴァーン王はアッ ティカ王家の不運なご落胤のお噂を耳にし、必ずや救出しお 迎えすると天空神に誓ったのであります。ですが集まる情報は疑わしいものばかり。そこでアッティカ王国の海底王宮に 密偵を放ち、ついに王の肉体から一滴の体液を採取しました。この機密情報を入手するために我々は大きな犠牲を払いまし た、何しろアッティカの王宮は西涯ての海の底ですからね」
「つまりどういうことだ」
「我々が得た情報と照合すればあなたに流れる血の真実が証明できます。と申しますのも、アッティカの直系族は彼らが神の叡智と呼んでいる古代装置によって生殖機能が管理されており、自由恋愛によって生まれた庶子というものは本来存在しえないのです。この鑑定はあなた様のためでもあるのですよ」
 隊長は早口で饒舌だった。自らが多く話すことでおそらくあたしに考える時間を与えているのだろう。
 敬意を払ってくれているのは確かだ。
「あたしの血が本物だと証明したいのか」
 喉に力を入れて声を低くした。可愛い声だと嘲笑されたのが屈辱だ。
「そのとおりでございます、聡明な姫様」
「あたしが本物だったら?」
「工作兵が大急ぎで鉄槌を設置します。そして不本意ながらこの頑丈な丸太小屋を吹っ飛ばしてあなたを救出し、北の城で待つ陛下のもとにお連れいたしましょう。今宵からは天空に浮かぶ黄金宮殿があなたの寝床ですよ」
「偽物だったら?」
「我々はここから去ります。急ぎ次の候補者のもとに向かわねばなりませんから」
「他にも落とし子の候補が?」
「北の城が把握している名簿ではあなたが五十三番目です。地上大陸では西側諸国も東側諸国も血眼で〝最後の希望〟を捜索していますよ。星の滅亡が近いのですから」
 変な声が出そうになってしまう。掌で口を塞いだ。
 あたしの動揺で隊長はしめたと思ったのだろう。すかさず説得の声が続いた。
「布にしみこませた血液、頬の内側の粘膜、髪の毛、何でも構いません。扉の隙間から渡していただけませんか」
 声は柔らかな熱を帯びていた。
 ――あたしは姉上の声を思い出している。
『可愛い姫様、おまえを愛しているわ。おまえはわたくし、わたくしはおまえ』

***

続きは「少女文学第二号」にて!!

以上です。