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お墓参りに行って思い出した子供の頃のお話

こんにちは。イラストレーターのトウドでございます。
今日は数年ぶりに秋のお彼岸で都内にある母の実家のお墓参りに行ってきました。
曼珠沙華が満開でしたね。
わたくしの大好きだった祖父母や生まれてすぐに亡くなった母方のおじが眠っているお墓です。
土地柄、歴史的有名人が沢山眠る由緒あるお寺さんなんですよ。
著名有名人のお墓を観て回るだけでも興味深いお寺さんです。

突然ですけどわたくし、お墓が大好きなんです。
だってお墓って綺麗なお花が手向けてあって、それぞれのお墓に故人のお好きだったであろうお菓子や飲み物といった嗜好品が供えてあって、お線香のよい香りがして、みんなが静かに亡くなった人のことを想いながらそっと手を合わせるでしょう。
その和やかな雰囲気がいいし、ついでに言うならお彼岸の季節って春はようやく暖かくなってきて穏やかな空、秋は暑い盛りを過ぎて青く澄み渡った遠い空が広がり外出するにはとても気持ちがいいんです。
だからわたくしは子供の頃から、今でもお墓参りもお墓も大好き。

「お墓が好き」というと今でも「変わってますね」な、目を向けられますが、子供時代に「お墓大好き~!」なんて言ってたら若干心配されるかもしれませんよね。
今回お墓にまつわる子供の頃の出来事をふと思い出したのですが
とても大事な事かもしれないと思いわざわざにnoteに記してみることにしました。


・お墓の絵ばかり描いていた子供時代

子供の頃から植物が好きたったのかと言えば、もちろん大好きだったんですが、絵のモチーフとしてあまり用いなかったんですよね。
よく好んで描いていたモチーフの1つに和物がありました。
浮世絵の美人画とか、お正月の門松なんかが特に好きだったけれども中でもとりわけ好きだったのがお墓でした。
ちなみに幼少期好んで観ていたテレビは時代劇。
日本髪に憧れて七五三まで髪を伸ばし結ってもらったのですが、当時金髪だったわたくしの髪の毛では日本髪が恐ろしく似合わなくて(笑)
ショックを受けたのを今でもよく覚えています。

母はよく、わたくしの事を「紙と鉛筆さえ渡しておけばおとなしかった」と懐古しております。
母にとっては手の掛からない子だったろうと思います。
構われないのをいいことに好きなものを思い存分描いていた。
絵の中ではどんな夢でも叶うのが最高だったのです。
母はわたくしがどんな絵を描いているかにはあまり関心を示さなかったのでとにかく好き放題描いていました。

・サービス精神旺盛のあまり…

ある日のお絵かき教室での出来事でした。
お教室の時間を終え、それぞれ好きに遊ぶフリータイム。母達はお茶会に勤しんでいました。
わたくしはいつものようにお墓の絵を描いていました。
出来上がった絵を眺め “いいこと” を思い付いちゃったのです。
わたくしはお茶会に勤しむお友達のお母さんに「おばちゃんのお名前を教えて」と尋ねました。
そして聞いたお名前を自分の描いた墓石に刻み、それを意気揚々と母達に見せに行きました。
お墓の役割を理解できていなかった訳ではなかったのです。
ただ想像できていなかったのです。
それが何を意味するかという事を。
母達はゲラゲラと笑って、そしてその後その絵が何を意味するかを教えてくれました。
説明されると確かにお墓は亡くなった人が入る所なのだから、そこにお名前を刻むのは不吉というか縁起がよろしくないのだなと理解が追い付きました。
わたくしはしょんぼり。でも、その場にいた誰もわたくしの事を責めたり怒ったりしなかったのです。

・大人になってから思うこと

母は清々しい程、自他共に認めるずぼら主婦
今でもよく「手を抜く事しか考えていなかった」と当時の事を話しています。
母の作業は何でもゆっくり丁寧なので、やらなくて良さそうな事はやらないと徹底していたのでしょう。
なんで0か100だよ…と突っ込みたくなりますが、それが母が一定レベルの生活を維持するために考えて決めたことだったのだろうと思います。

なので大人しいわたくしに関しては放置気味だったのだと思います。
わたくしもわたくしで、あまり構われるのを好まないタイプでしたのでそれが良かったのだと思います。
もし、あの頃「こんな絵を描いてはいけません!」とか「何故お墓の絵なんて描くの?!」なんて言われて好きな絵を思い存分に描けなかったら、今のイラストレーターのトウド ヤヨイは存在していなかったかもしれないと思う事があります。

自分の描きたい絵に理由などありません。
ただお墓参りが楽しくてお墓が好きだから
好きなものを絵に描いた。それだけの事。
それを「何故」「どうして」「いけない!」などと咎められていたら、絵を描く事自体が嫌になってしまっていたかもしれない。

だからわたくしは自分の子供達にも趣味嗜好に偏りかわあったとしても、温かく見守ろうと思うし、
友人の子がそうであっても「伸び伸びとやらせてあげてね」と助言します。
今、もし自分の子供がお墓の絵ばかり描いていたらやっぱり少しは心配になりますが、もしその様な事があってら、それのどんな所が好きなのかお話して一緒にその良さを感じてみたいです。

・好きなことをとことんやりぬくという事

お絵かきでなくとも何にしろ、とにかく大好きな事はやり抜いた方がよいと思います。
とことんやろうとするといずれ何かしらの「壁」にぶつかることになるでしょう。
それでもめげずに続ける。やりぬく。
そうしている内にその壁の本質を見抜く力が身に付くような気がするのです。
“好きこそ物の上手なれ” といいますのもね。
やり抜くということは簡単な事ではないけれど、
その先には大きな成果が待ち受けているかもしれません。
けれどその途中、外野が余計な助言やお世話をして足を引っ張ってしまうのは、その子がその成果を得る可能性を潰してしまうかもしれないということ。

もちろん、わたくしもなんでも寛容に見守ってもらって育ったわけではありません。
むしろ人一倍よく怒られたように記憶しています。
でもこのお墓事件に関しては温かく見守ってもらえて良かったなと、親となった今つくづく思うのです。

わたくしも子の興味関心の芽を削ぐような事はしない親でありたいとぞ思うのです。
そんな幼い日の思い出をふと思い出したお彼岸の日でした。

今日は強風でお線香あっという間に燃え尽きてしまっただろうな。
また来春祖父の好きなお花を手向けに行きたいなぁ。



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