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手術死亡率の先にあるもの

こんにちは、みひろです。

骨巨細胞腫という骨が溶けて腫瘍が出来る病気を患っています。手術をして1ヶ月半、感じたことの記録です。Twitterでは、自分の為になるべく前向きに呟いていますが、今回は前向きではいられなかった話を。でも最終的にはハッピーな話です。

手術死亡率10%

それが私の目の前に提示された数字でした。低い?高い?皆さんはどう感じるのでしょう?一般的には、それなりに高い数字のようです。私にとっては、低くもあり、高くもある数字に感じています。

理由を書くにあたって、私の病歴が深く関わってくるので、記載します。少し長くなりますが、お付き合い下さい。段落をとばすと、簡潔にまとめたものを読めます。

2019年2月背中に痛み、整形外科受診。レントゲン異常無。肋間神経痛と診断。4月通勤時に息切れと動悸、血中酸素に異常無。精神的ストレスによる症状として心療内科紹介。6月息切れと咳が酷くなり、呼吸器内科受診。レントゲンで右肺が真っ白に写る。急遽、総合病院へ紹介。7月生検で肉腫と診断、がん専門病院へ紹介。再生検の入院中に胸腔の腫瘍が気管を押し潰し、窒息。急変してICUへ。緊急手術にて気管ステントを挿入する。骨巨細胞腫との診断がつく。ランマーク注射による治療を開始。腫瘍が巨大かつ位置の問題で、手術による切除は不可能と言われる。9月退院。腫瘍の肥大は止まり、ランマーク治療を外来にて継続。徐々に腫瘍の外側から骨化が進み、体積は減少傾向に。12月腫瘍による圧迫ストレスで気管内に肉芽ができ、呼吸困難。気管支鏡切除のため入院。2020年5月再び、肉芽ができる。切除の為、入院。MRIにて腫瘍の一部増大を確認、呼吸器への圧迫が強まる。6月呼吸苦にて入院。手術検討するも設備的な問題で不可。7月大学病院に転院し、腫瘍切除手術。9割方とれる。原発である肋骨・浸食した脊椎の腫瘍切除に向けて外来治療中。

まとめると①病気発覚と同時に三途の川を渡りかけた②手術不可、根治的治療不可と言われていた③1年間、いつ呼吸困難になってもおかしくない状況にいた(医療用麻薬の服用で日常生活を送れていましたが)、こんな感じです。

骨軟部腫瘍の手術は整形外科が担当することが多いのですが、私の場合は気管への圧迫を取り除くことが最優先事項だった為、呼吸器外科がメイン。その他にも麻酔科、心臓外科、血管外科、放射線診断科など沢山の方が手術に携わってくれました。転入院してから手術までの1週間、各科の医師が代わる代わる病室を訪れ、その度に、1回の手術で取り切れる腫瘍の大きさではないこと、どんなに危険で大変な手術なのかということ、しかし手術しなければ近いうちに息が出来なくなって命を失う可能性が高いこと、を繰り返し説明されました。

手術は出来ないと言われてからの1年間、私は長く暗いトンネルの中を歩いている気持ちでした。それはゆるやかな下り坂で、その先には死という行き止まりがあることを、ずっと気が付かないふりをしてきました。そして、思っていた以上に行き止まりは近かった。なんとか探しだしてもらった新しい道は、崖のふちを歩くようなもの。渡りきれたとしても、その先には何があるのか。

そんなことを考えながら、私は「本当にイチかバチかの手術なんだ。」と思い込み、かなりの覚悟をもって、正式な術前説明に臨みました。手術死亡率10%です、と言われた時「良かった!思ってたよりも低い!」と自然と声が出ました。神妙な顔つきでいた先生方は驚いていました。先生方が普段執刀されている、肺がんの定型手術(やり方がある程度、マニュアル化されている手術のこと)は約0.5%なんだそうです。その20倍。しかも肺への癒着や、切除による出血リスクなど、どこまで腫瘍が取れるかは、開胸してみないとわかりません。

同意書にサインしたのは、乗り越えてやるとか、生き抜いてやるとか、そんなテレビ番組が喜びそうな理由ではありません。手術をしなかった場合の1ヶ月先、1週間先、明日死んでるという確率より低いと思ったから。ただそれだけです。

母はよく冗談で、1年前に窒息した時のことを「あんたが死んじゃった時はさ~」とか「1回死んじゃって生き返ったんだからさ~」などと言います。私はいつも「死んでねーわwww」と笑って返していますが、母が午前3時、急変の連絡を受けてタクシーで駆けつけている間、私の死を覚悟したんだな、母なりのトラウマ対処法なのかなと思っています。手術の同意書は、輸血や身体拘束など沢山ありますが、1年前の気管ステント手術の際は、何の準備もなく、これだけのことを母1人に決断させていたんだなと思うと、ペンがとても重く感じました。

幸いなことに、先生方が想定していた中でもベストな道筋で手術は進み、最高目標であった腫瘍の約9割を切除することが出来ました。手術をして1ヶ月、残っている脊椎と肋骨の腫瘍除去手術に向けて、外来でのランマーク治療を再開しようかというところです。脊椎の手術も出来る病院は限られていますし、麻痺などの後遺症リスクも高く、またシリアスな話に向き合わなければいけません。

手術死亡率10%と聞いたあの時、よく、サイン出来たなと思います。だって10%ですよ?手術死亡率について改めて考えた時、ふと5年生存率という言葉が心に浮かびました。辛く感じることの多い言葉ではありますが、5年あったら、数字って変わると思うんです。がん専門病院で治療していた時、他のがん種で治験に参加して頑張っている仲間を沢山見てきました。医療の進歩はめざましく、患者さんや沢山の人達の努力で5年生存率は日々上昇している、と肌で感じます。でも手術死亡率は術中(正確には手術から30日まで)に死んでしまう確率です。本人の努力で、どうにかできるものではないと思いました。次の手術で、もし同じような数字が提示されたら、すぐにサイン出来る自信はありません。でもそう思うのは、「死ぬか生きるか」という状況から、当面の命は大丈夫そうだから「どう生きていくか」、に悩みがシフトしたからなんですよね。本当に悩みってつきません。

ただ、こんな風に悩みながら自宅でnoteを書いている未来があるなんて、1ヶ月前は全く想像も出来ませんでした。術後の先生方の打って変わったような笑顔と「次の手術も、頑張れ!」という言葉をこれでもかとかけてもらって、怖いからやりたくない、なんて言えません(汗)応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。手術大成功宣言!へのリプライを今も大事に読み返しています。生きると決めて呟いたTwitterと

このnoteのように死について考えた気持ちは、表裏一体、切り離せないものだと思います。本当のところは、嬉し涙の何十倍も、恐怖と悲しみと怒りで泣き叫びました。今でも、その気持ちが波のように押し寄せる時があります。

手術を機に、がん、肉腫で闘病されている方がツイートを見て下さる機会が増えました。その場の呟きだけではなく、少しまとまった記録があっても良いかなと思い、手術と合わせて、この1年間をざっと振り返ってみました。肉腫といっても、骨巨細胞腫は良性と悪性の間の中間腫という特性上、具体的な治療法の参考にはならないと思い、書く手がとまることもあります。ただ、絶望の繰り返しから、明るい光が見えてきたことは記録に残す意味があるんじゃないかと思いました。暗いトンネルを歩いている時の気持ちも。

まとまりなく、長い話を読んで頂き、ありがとうございました。どうか皆さんにも光がさしますように。私も光に向かって一歩ずつ進んでいきます。



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