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オリンピックの顔と顔

東京オリンピックが終わった。

半年ほど前まで、一体どうするのだろうと思っていたが、この状勢の中一応の折り合いをつけられたのではないか。理不尽な事もあったり無観客の会場が寂しくもあったが、やはり自国の選手がメダルを取る姿は嬉しいものである。

このオリンピックがどういうものであったか。それは今の我々が判断すべき事では無いだろう。五年後、十年後2021年という年を見返した時、どう思い出すかなのだろう。

コロナ禍そしてオリンピック禍を経て気になるのは、「思想」の安売りである。

僕が小さい頃、親に選挙の投票先を訊いてもけして教えてはくれなかった。それが投票権を持つ者の矜持であり品格であったように思える。

それが今ではSNS上に恥ずかしげもなく思想が書き殴られ、他を貶めようと必死だ。

声高に思想を掲げることも勿論大切だ。それで少なからず歴史は変わってきた。

しかし。相手は一体誰なのか。
SNSで声を荒げる事で、一体誰の歴史が変わるのか。
言い方は悪いが思想というのものは、懐刀のように普段はうちに秘めて、命の危機(=アイデンティティの崩壊)が迫った時に相手に向かってグッと突きつけるものではないかと思う。けして爆竹のようにやかましいだけで周りの人様悉くに迷惑をかけるものではないと思うのだ。

あなたではない誰かも顔を持っている。
顔と顔を向き合わせなければいけない。

僕も薄学であり、世の中の仕組みを全て分かっているなんて事は言えない。

しかし顔も見ず思慮もなく言葉も選ばず、書き殴る思想が正義であるなんて、僕にはどうしても思えないのだ。

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