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レポ47:江埼灯台(2020/1/2)前編

瀬戸内海を結ぶ明石海峡大橋の淡路島側の高台に、明治時代から神戸港を見守る灯台がいます。震災を乗り越え、今もなお明かりを灯す、そんな歴史ある灯台を訪れました。

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ47:江埼灯台(2020/1/2)前編

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今回訪問する江埼(えさき)灯台は、淡路島の明石海峡大橋のすぐ近くに設置されています。

神戸以西と往復するフェリーからなら、船上からも灯火が確認できます。今回は九州から神戸行きのフェリー上から確認できました(下記画像の中段右端の白灯)。

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明け方のまだ薄暗い山々の中にあって、一際目立つ赤色の灯火です。

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さて、今回はフェリーで神戸まで向かい、神戸からは自動車で淡路島へ渡りました。明石海峡大橋を渡ると灯台のある場所まで15分程度で到着できます。

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自動車ならば北淡町江崎の「緑の道しるべ江崎公園 駐車場」に向かえば到着します。公共交通機関であれば西回りで「江崎灯台」バス停下車です。

  

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駐車場にあるこの灯台モニュメントを、江崎灯台と間違える人がよくいるようです。実物とは全然違うのですが、確かに実物を知らなければ間違えてしまうくらい立派な灯台モニュメントです。

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本物の江埼灯台は、このモニュメントを奥に進んだ先に、高台まで続く長い長い階段があり、その頂上にあります。

元々は頂上まで一直線に造られていたようですが、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災の時に地層が断裂し、大きく歪んでしまったそうです。

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約200段近くの石段を登った先に、瀬戸内海を真っ直ぐ見つめた灯台がチョコンと佇んでいました。

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江埼灯台の初点灯は明治4年(1871年)です。当時の兵庫港(現在の神戸港)を開港する際に、諸外国と貿易するにあたり諸外国から設置を要請され、1867年の大阪約定(大阪条約)によって幕府が建設を約束した5基のうちの1基です。

「灯台の父」リチャード・ヘンリー・ブラントンの手により洋式灯台としては日本で8番目に建造され、石造り灯台としては日本で3番目に古い歴史的・文化的に価値のある灯台です。

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灯台からも明石海峡大橋が臨めます。明石海峡大橋は全長3,911m、海上からの高さが297mの世界最長の吊り橋です。

ちなみに駐車場の説明板では3,910mと記載されているのは、誤記ではなく阪神・淡路大震災の影響で橋が1m延伸してしまったからと思われます。

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明石海峡は1日に約700〜800隻が往来する海上交通の要衝ですので、江埼灯台の担う役割の大きさは現代になっても変わりありません。

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阪神・淡路大震災の影響は灯台にも及び、マグニチュード7.2の直下型地震で石造りの外壁にも段ズレが起きました。復旧にあたっては当時の状況を後世に伝えるために出来る限り痕跡を残すとともに耐震補強などが実施されました。

近くに寄るとズレた部分が浮き上がっているように見えます。

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灯器部は第3等不動フレネルレンズです。

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灯台入口前に置いてあるコレは靴の泥落としだそうです。灯台内部に入ることに如何に気を配っていたかが分かります。

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灯台の後方には広大なスペースがあり、以前は退息所跡(灯台職員宿舎)だったようです。今は木々が荒れていますが、過去文献を見ると立派な官舎が建てられています(約50年前の史料)。現在では四国民家博物館に移築保存されているようです。

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石段の上から見た様子。手前にある植物は緑の道しるべのシンボルである「ワシントンヤシ」です。

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阪神・淡路大震災の影響の大きさを体感するとともに、それでもなお前を向いて淡々と仕事を果たす江埼灯台の背中を頼もしく思います。

今回は長い訪問でしたので夜の部は後編に続きます。

 レポ47:江埼灯台(2020/1/2)後編

村上 記

年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。