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レポ54:洲本港北防波堤灯台(2020/1/2)

兵庫県で唯一、和歌山県と接する淡路島の洲本市。かつては往来する船舶で栄え、現在はファミリーフィッシングで楽しむ港の灯台を訪れました。

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ54:洲本港北防波堤灯台(2020/1/2)

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兵庫県の淡路島を大きく横断するような洲本市は瀬戸内海の各海域と接しています。その中で洲本港は淡路島の東部にあり、紀淡海峡を挟んで和歌山県と接しています。

洲本港は淡路島最大規模の港で、北部を炬口(たけのくち)と呼び、河川を挟んだ南部にはポートターミナルなどもあり、合計3基の防波堤灯台が設置されています。

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北部は洲本港炬口(たけのくち)浦。海水浴場もあり近くまで車で入れます。フィッシャリーナになっておりボートなどが多数係留されています。

「炬口」は難読地名ですが「炬」には"たいまつ、ともしび"という意味があります。この辺りが大阪湾からの玄関口として交通拠点となり夜間に港に出入りする船のために松明を焚いていたことが地名の由来とされています。

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以前は一文字の離岸防波堤だったそうですが、現在では陸続きとなっており、釣り人が多数いました。ここには「洲本港炬ノ口3号防波堤灯台(昭和43年初点灯)」が赤灯台として佇んでいます。

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ここから他の2基も見えますが、随分と距離が遠くに感じてとても同じ港内には思えません。

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ということで、少し離れた南に移動してみます。途中、洲本川に架かる特徴的なデザインの洲浜橋(すはまばし)を渡ります。

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ちなみに洲本川は古くから生業用水や生活用水を供給するライフラインでしたが、ひとたび河川が氾濫すると市街地に甚大な被害を出していました。そこで当時の洲本町長の岩田康郎(いわた やすろう)氏が明治37年(1904年)に区画整理と河川の付替え工事を行い、埋立地に淡路紡績(後の鐘紡※カネボウ)の工場を誘致するなどで洲本は近代化を遂げていったのです。

洲浜橋を渡ってすぐの洲本港中浜(なかはま)と呼ばれるエリアへ着きました。こちらの赤灯台は「洲本港北防波堤灯台(平成5年初点灯)」でした。名前から察するに炬口浦洲本港とは別物として扱われていたのでしょうか。

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こちらも釣り人が多いです。以前の洲本港は大型船の入港も可能だったため、防波堤の足下から水深が深くなっており、タチウオやアジなど多様な釣果が期待できる釣りスポットとして有名だそうです。

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防波堤近くに公園というか広場があって子どもも遊ばせられます。駐車場からの距離も非常に近い。

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護岸は手すりがあるベランダ状の防波堤ですから女性や子どもも安心して釣りが楽しめます。防波堤から海面までの高さもないのでファミリーフィッシングにピッタリです。

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今度は白灯台の「洲本港外南防波堤灯台(昭和45年初点灯)」に向かいます。電灯がカモメの形で洒落てます。護岸から防波堤の全長約450mと非常に長い防波堤です。

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灯台に向かう途中、パイロット船(水先案内人を乗せている船)が出港していきました。

洲本港が隣接する海域は、大阪湾と紀伊水道の出入口のため太平洋と瀬戸内海を往来する船舶が多数います。そんな船舶を案内するためパイロット船が常に待機しています。

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この辺りはかつて神戸方面や大阪方面、関西国際空港へのポートターミナルとして賑わっていましたが、現在は明石海峡大橋の開通とともに路線廃止となっています。

現在ではボートピア(ボードレースの場外券売所)が稼働しており、釣り人と勝負師で賑わう港になっています。

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今回は歴史の変遷とともに盛衰する港と、常に多くの釣り人に愛される防波堤にある灯台たちを訪れました。

村上 記

年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。