レポ63:通港北沖防波堤灯台(2020/9/30)
山口県北部の長門(ながと)周辺では、かつて冬場に捕鯨をしていました。今回は港の灯台を訪れ、鯨とともに生きた港湾史に想い馳せます。
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◼️レポ63:通港北沖防波堤灯台(2020/9/30)
山口県長門(ながと)市から橋を渡った先にある青海(おおみ)島。周囲約40kmの島東部にあるのが通(かよい)浦です。
通(かよい)の名の由来は、かつて対岸の三隅の漁師がイワシ漁をするためにここまで通っていたが、海を渡ってくるのに時間がかかるので、とうとう小屋をつくって居を構えたので通浦と呼ばれるようになりました。
通港北沖防波堤灯台。左舷標識(白)ですね。
現在は漁港となっている一本釣りでイカやマダイ・ブリ・マアジ・イサキなどを漁獲している船舶の往来を見守っています。
通浦のマンホールには鯨(くじら)が描かれています。Web情報によると、マンホールの数は300以上あり、地元では鯨絵を踏まないようにしているんだとか。鯨はとても大切にされている通のシンボルなんですね。
それもそのはず、通港の目の前にはくじら資料館があり、かつてこの通浦で行われた古式捕鯨に関する記述や国指定重要民俗文化財でもある捕鯨用具が史料として数多く展示されています。
当時、四大古式捕鯨基地として「紀州捕鯨」の太地(たいじ)、「土佐捕鯨」の室戸(むろと)、「西海捕鯨」の呼子(よぶこ)、生月(いきつき)そして「長州・北浦捕鯨」の通浦、瀬戸崎(現在の仙崎)、 川尻があり、四大捕鯨基地では、長州・北浦捕鯨の規模が一番小さかったそうです。
通浦の鯨組は江戸時代の延宝元年(1673年)に長州藩に取り立てられ、明治41年(1908年)まで、235年間にもわたって網取り捕鯨が行われました。
通浦は内海である仙崎湾の突端にあり、沿岸にそって回遊魚が大島・三隅の間の瀬戸から入り、時計回りに移動して南下していきます。鯨も同様のルートで入るため、下り鯨の漁期(旧10月~翌3月)には町人総出で古式捕鯨をしていました。
そのため周辺には山見と呼ばれる見張り番を置き、鯨が通過したら狼煙を上げ、それを合図にいっせいに船を漕ぎ出したとのこと。300人の鯨組が船団となって鯨を網に追い込み仕留めるために死闘を繰り広げました。
毎年7月下旬ごろに開催される「通くじら祭り」では、資料館の外に置いてある全長13.5mのシロナガスクジラを海に浮かべ、古式捕鯨の実現を行うとのこと。間近で見るとかなりの迫力です。
資料館には国指定重要民俗文化財でもある130点以上の捕鯨用具が展示されており、当時の様子がありありと想像できます。
鯨組は300人ほどからなる組織で、捕鯨労働者である漁夫にも10種類程度の職制があり、地位の上下や給与も決められていたそうです。
くじら資料館の裏手には、国指定史跡の「青海島鯨墓」もあります。鯨は冬季に出産・育児のため南下しますが、この時期に捕鯨された母鯨のお腹の中にいた胎児の鯨を埋葬しているのです。
この鯨墓には鯨の胎児70数体が眠っており、捕獲した鯨にも人間と同じように戒名を付けて過去帳に記録して位牌とともに三位一体で葬りました。全国にある鯨墓のうち、実際に鯨の胎児を埋葬したのはここだけといわれています。
通漁港のそばには田ノ浦漁港があります。そこには右舷標識(赤)の通港田ノ浦防波堤灯台が設置されています。
田ノ浦はかつて捕獲した鯨を解体するための浜でした。当時鯨肉はかなり高価でしたが、通では「町内赤身」として各戸に分配されていたとのこと。
田ノ浦防波堤灯台がある遊歩道波止以外は釣り禁止だそうです。釣り人情報によると、通漁港は水深も深く、波も穏やかで釣りがしやすいそう。
そして、灯台マニアには重要情報ですが、この田ノ浦漁港から潮場ノ鼻(しおばのはな)灯台へ続くアプローチが始まります。詳しくは前回レポートを参照ください。
内海なので波風は非常に穏やかでゆっくりと時が流れているかのようでした。このような場所にかつては捕鯨の一大集落ができているとは、時代の移り変わりというのは不思議なものですね。
この港の灯台も昭和生まれですので、流石に当時の様子までは知らないでしょうね。
村上 記
年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。