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たびのまえ、たびのあと(引退ブログ)

床近く蟋蟀が鳴いていた。苦痛に悶えながら、「あ、蟋蟀が鳴いている……」とかれは思った。その哀切な虫の調べがなんだか全身に沁み入るように覚えた。
 疼痛、疼痛、かれはさらに輾転反側した。
 「苦しい! 苦しい! 苦しい!」
 続けざまにけたたましく叫んだ。
 「苦しい、誰か……誰かおらんか」
 としばらくしてまた叫んだ。
 強烈なる生存の力ももうよほど衰えてしまった。意識的に救助を求めると言うよりは、今はほとんど夢中である。自然力に襲われた木の葉のそよぎ、浪の叫び、人間の悲鳴!
 「苦しい! 苦しい!」
 その声がしんとした室にすさまじく漂い渡る。この室には一月前まで露国の鉄道援護の士官が起臥していた。日本兵が始めて入った時、壁には黒く煤けたキリストの像がかけてあった。昨年の冬は、満州の野に降りしきる風雪をこのガラス窓から眺めて、その士官はウォツカを飲んだ。毛皮の防寒服を着て、戸外に兵士が立っていた。日本兵のなすに足らざるを言って、虹のごとき気焔を吐いた。その室に、今、垂死の兵士の叫喚が響き渡る。
 「苦しい、苦しい、苦しい!」
 寂としている。蟋蟀は同じやさしいさびしい調子で鳴いている。満洲の広漠たる野には、遅い月が昇ったと見えて、あたりが明るくなって、ガラス窓の外は既にその光を受けていた。
(田山花袋『一兵卒』より)

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お久しぶりです、先月の七大戦で引退しました古川です。フレッシュな1年生のブログに割り込み失礼します。

まずはお世話になった方々にお礼申し上げたいです。金野師範、藤井部長、寺田監督、山本コーチ、猪俣トレーナー、久我トレーナー、OB、OGの皆様、後輩、その他関係者の皆様、本当にありがとうございました。

七大戦は3位という結果で、1日目は突破出来たものの予選敗退という結果に終わりました。特に個人の戦績として不甲斐ない敗北で終わってしまい、この事実を消しゴムマジックで消してやりたいです。お世話になった皆様に結果で返すことが出来ず、申し訳無い気持ちで一杯です。

3年と少しの柔道生活を総括すると、非常に辛かったです。上に引用したのはこの間授業で発表した田山花袋の作品なのですが、大体毎日こんな気持ちでした。特に最後の2ヶ月はやっと主務が終わったのに主将を務めることとなり、七大のプレッシャーと相まってマジで悪夢のようでした。英語にするとpainfulfilled dreamとかでしょうか。

ですが、それと同時に「楽しかった」と今では思います。長期練も、亀の元立ちも、追い込み練も、貴殿の度重なる〇〇も、今となっては良い思い出です。楽しかったです。最後は以下略。もう二度とやりたくは無いですが、これだけ尊敬する人達に出会えて、これだけ感情が揺さぶられる経験はもう二度と出来ないのでは無いかと思うくらい濃密な時間だったと思います。

引退して「同期の男子が居なくて辛かっただろう」という旨の言葉をかけて頂く機会が多かったですが、とんでも無いです。先輩には優しく懇切丁寧に指導して貰い、後輩からは勇気と元気を貰いました。僕は本当に恵まれていました、運が良かったです。

実力、熱意、練習量全てで落第点であった僕ですが、先輩から受け継いだものを後輩に受け渡す、という役割なら少しは担えたのではと思います。『一兵卒』であってもチームのために出来ることは必ずある、というのが七大柔道の良い所です。いいか野郎共、今年は本当に七大優勝というunfulfilled dreamを叶えられる年です。悔いのないように頑張って下さい。誰よりも応援しています。

最後に同期へ(河本)
俺も辛かったがお前もさぞ辛かったことだろう。お疲れ様。よく頑張った。イギリスから帰ってきて垢抜けたお前には、きっと「かわいいね」と声をかけてくれる人が見つかるだろう。手始めに下北のマックあたりを探すと良い。


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