下らないニュース解説その17 インスタ映えするくら寿司、新京極にオープン
暖かくなってきた、というより暑くなってきた今日このごろ。
今回の話題はこれ。
「くら寿司」 さまざまな色のLED電球や「番付ウォール」など 京都に新形態モデル1号店(リンク先は公式)
このように、およそ20年前に私がホモに声をかけられた新京極(寺町やったっけ?)の一角に、インバウンド復活を見込んで作ったとのこと。
いくら店構えを派手にしたからって、肝心の味が変わってないとどうしようもないんじゃないの、まあ回転寿司に味を求める人間なんておらんやろけど、というのが第一印象。
あと本当に外国人が戻ってくるのかね、人が多くなるから戻ってこなくていいよと、京阪神だけでなく清泉寮や萌木の村みたいな田舎の山奥にまでやかましいのがいたのでウンザリした覚えのある私は思います。
※ただ、湯村温泉や石和温泉で、外国人観光客が多いからという理由で普通部屋の料金でスイートルームに泊まれたのは良かったわ。
それはそうとくら寿司!甲府(というかほぼ石和)の駐車場で従業員がパワハラを苦に焼身自殺したり、有給休暇をとらせなかったり、店頭が自腹でバイトを雇っている等の不祥事を次々と文春に暴かれているくら寿司ではありませんか。
私的には、流刑(!)で山梨に飛ばされて生魚に飢えていた頃、ライフガーデン韮崎のくら寿司に行ったことを思い出しましたわ。
その後、どうしても耐え切れず、長野を縦断して上越まで行ったのは前に書いた通り。上越はええとこやったからもう一度行きたいと、岩の原葡萄園のワインを大阪でみかける度に思っております。
前に書いた記事:六郎の旅日記上越編
ともかく、ワタミといい餃子の王将といい、外食産業はブラックばっかりやな。王将の例の事件なんて未だ解決してないし。
一乗寺の思い出
そういや餃子の王将で思い出したけど、一乗寺のゲーセン横にあった餃子の王将は、ラーメンと定食のセット(どちらもフルサイズ)で600~700円だった覚えがあります。よく天津麺とニラレバ定食のセットを食べていました。
今Googleマップを見たら、その王将も隣のゲーセンも潰れていたけど、向かいの大黒屋酒店は健在でございました。
ここは酒屋なのに酒よりもタバコが充実している店で、私が初めてアメリカンスピリットを購入したのがこの店で、280円だった覚えがあります。当時はコンビニでアメスピ売ってなかったから、タバコはいつもここで買っておりました。
こんな感じで、ストリートビューで一乗寺や白川通界隈を歩いていると、店の入れ替わり(特にラーメン屋)はあるものの、街並みはあの頃のままで、なんというか、郷愁というか望郷の念に近いものを感じてしまいます。あんなに惨めだった時代を過ごしたのに、一体どういう事でございましょうか。
左遷先の山梨(北杜市)についても同様で、武川、白州あたりから黒森の信州峠あたりまでのメインストリートや裏道をストリートビューで走っていると、当時を思い出して何ともいえない気分になってまいります。
これが八幡山や上北沢ではそうはならず、「あ、燃えた環八のドンキ懐かしい」とか「スーパーバリュー横の身代わり不動尊って何やったんやろ」とか思うくらいで、一乗寺や山梨並の感慨は湧いてきません。
これはあれやね、隠居後に駿河、あの屈辱の人質時代を過ごした駿河に住んでいた徳川家康の心境と同じかもしれんね。
ということは、私も隠居後に一乗寺か北杜市あたりに住むのでしょうか。
そしてある晩、
あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
と食あたりを起こしてくたばってしまうのでしょうか。
隠居後の老体に北杜市の寒さと人間関係はいや~キツイっすと思いつつ、今回はここまで。
追記
そういえば新京極行ってきたから写真撮ってきました。