私が生んだ子ではあるけれど「私の子」ではない。はまじさんの投稿を読んで思ったこと
インスタを見ていたら、いつも自然体で、笑顔が素敵なんだけど、カッコイイモデルの浜島直子さん(以下はまじさん)の投稿があって。
息子さんが8歳のお誕生日を迎えて、どんなことをしたか、どんなことを思ったかということを書いていらっしゃいました。
その中の言葉がいいなあと思ったので、ここにシェアしますね😊
はまじさんは、この言葉を毎朝唱えてるそうです。すごい。
毎朝ではないけれど、私もときどき同じようなことを考えていて、
息子は、私が生んだ子ではあるけれど、決して「私の子」ではなくて、
神様なのか、天なのか、どこからか授けてくれたものを、いつか、送り出す日がくるまで、一生懸命大切に育てるのが、親である私の役割なのかなと。
だからこの子は、私から生まれた子供ではあるけれど「私の子」ではないという感覚がいつもどこかにあります。
というか、そう思わなきゃいけないという、自分への戒めみたいな感じでしょうか?
親のエゴというか、勘違いしそうになることあるじゃないですか。
子供のことは私が一番知ってる、だから親である私が全部舵取りしてあげなきゃ!みたいなね。
もっとひどくなると、自分が生んだ子だから、子供に何してもいい(暴力とか)と勘違いしちゃうこともあるのかもしれないですよね。
息子は、私とは違う、1人の別人格。
可愛いから、ずっと手元に置いておきたくなるかもしれないけれど、それは違う。彼の足で踏み出す日がくるまで、一生懸命育てよう。
ということを、はまじさんの投稿を見て、改めて思うことができました😊
色んな考え方があるけれど、私はそんなふうに思っています。
それでは☕
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