星空を探してる

視力が落ちて、もう随分と経った。

高校生半ばくらいまではとても良く見えていて、
眼鏡の同級生が少し羨ましかったものだ。
遠くのモノが見えなくて眼を細める仕草が
とても艶っぽく見えて、ひっそりと憧れていた。

それから年月が少しだけ過ぎたら
いつの間にか世界は変わっていて、
そしたらちっとも艶っぽくはないし
あんなに憧れた眼鏡は邪魔で、
いまだに持ち歩くことはない。

あっという間に水彩画のように滲んだ世界に
ひとり放り出されてしまった。

でも。
少しくらいぼやけているほうが
生きやすいこともある。
見たいものが多少見えづらくても、
見たくないものがちゃんと見えないのは
非常に都合がよい、とさえ思う。

街のいかがわしいネオンでさえ
いつもキラキラ輝いていて(ぼやけているだけ)
お部屋の埃も気にならない(見えていないだけ)

気付いたら、星も見えなくなっていた。

それが
見たいのに見えづらくなってしまったものなのか
もともと見えなくても良いものなのか
本当はもしかしたらそこにはもう存在しないものなのか
それすらもわからなくなった。

眼鏡をかけない理由はもう一つある。

「眼鏡は異世界への入り口だ」

と、個人的には思っている。
初めて眼鏡を作った時から、感じていた。
掛けたとたん、
とたん。
たった今、目の前にあった現実は大きく歪んで
全てが嘘になる。(気がした)

瞳と世界のあいだにガラスを一枚挟んだだけで
そこは私のいた世界じゃなくなる気がした。
逆に言えば
私自身も私ではなくなる少しの心地良さもあったが、
それは時々たまに変身できればそれで良いものなのだ。

カメラも同じで、
たとえばたった今目の前に広がる綺麗な景色を、
肉眼で取り込んで自分の血潮とすべきか、
ガラス(レンズ)越しに見える私の存在しない世界を
ハコに閉じ込める作業に尽くすべきか
いまでも常に迷っている。

ファインダーを覗いている間
私はその数秒をきっと
現実からワープしているのだろう。

星は、果たして本当にそこにあるのだろうか。

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