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結婚は、個人と個人のもの

 以前にも書いたが、わたしは夫婦別姓の法制化を待ち焦がれている。

 つい何ヶ月か前までは本年度中に実現と言われていたパスポートの別姓併記が、いつのまにか「本年後半に改善」という話にすり替わっていたことに気づき、愕然とした。

 誤解のないように書いておくと、これまでもふたつの姓の併記は可能だった。だがかなり細かく仕事の実績などを聞かれた上での特例的な意味合いだったようだ。それが本年度内に実績に関係なく望めば両方の姓を併記できるようになると聞いていた、という意味である。

 それが2月の5日ころの新聞記事によれば、改善点を検討して本年後半にとの外相コメントがあった、とのこと。がっかりである。

 本来ならば、法制化で別姓が認められたほうがいい。パスポートに結婚前の姓と戸籍上の姓を併記するのは面倒であるし、改善しても渡航先での誤解は生じるだろう。だがそれでも、やはり併記は楽しみだった。

 別姓実現のための陳情や、その活動支援のためのクラウドファンディングがあることを先日知った。わたしも何らかの形で、支援または参加ができないかと考えている。

 ひとつ疑問に思うのは、こうした活動は匿名でおこなわれる事例が多い点だ。別姓の実現への活動は恥じることではなく、仮に国の方針と違うことを望んでも思想犯として捕まる時代でもない。冷やかしや嫌がらせには残念ながら覚悟が必要とされるが、それはこの問題のみではない。なぜ匿名で動く事例が多いのかと、ずっと考えていた。

 そして、ひとつ思いあたった。

 わたしはもう、義父母の存在がないも同然であり(死去や、高齢で認知症)、親戚たちとも付き合いがない。
 だが活動をされている若い方々の中には、すぐご近所に配偶者側の父母や親戚がお住まいであったり、お子さん同士の交流で同世代ご夫婦とのお付き合いも多いだろう。そんなとき、すでに法律で決まっていることならば別姓を実践や応援できても、法制化の兆しがないうちは、おおっぴらにできない事情があるのかもしれない。

 たしかに、わたしのようにしがらみがなくなった世代ですら、いまだ知らない人の前でこの問題を語りたくないような心の重さがある。
 結婚相手の名字になぜ抵抗があるのか、わりきって考えればいい、といった言葉に、気力がそがれる。

 結婚は個人と個人のものであり、家とするものではない。相手と同じ名字にするかどうかは当事者の判断であるべきと思う。


家にいることの多い人間ですが、ちょっとしたことでも手を抜かず、現地を見たり、取材のようなことをしたいと思っています。よろしくお願いします。