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元日より

元日、私はウクライナに向けて祈っていた。

大阪シンフォニーホール、ニューイヤーコンサート。
演奏はウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団。

11月に義母が「子供無料招待席の抽選があるんだって」という連絡をしてきた。
孫たちに文化的な体験をさせてあげたい。
音楽が大好きで、シンフォニーホールによく出向く義母である。
じゃあ抽選に当たったら、みんなでいきましょう!
そう言ってみたものの、実は「寝てしまうんじゃないかしら?」
そんな不安を持ったまま、ダメで元々のつもりで応募したら当選した。

それで私たち一族は、ゾロゾロと思い思いの元日のおしゃれをしてホールに向かった。
「俺、寝ちゃいそうだよ」と、義兄が言い
「いびき絶対やめてよ」と、義姉が答える。
私も「寝るならバレないようにね」と笑い、娘たちにもよく言って聞かせた。
ちなみに私は、過去数回オーケストラを聞きながら非常に美しく眠っている。

ところがだ。
オープニングは、ロシアに侵攻を受ける祖国ウクライナ、キーウに向けて演奏されたものであった。
美しく正装した彼らの、美しい音色の、煌びやかなホールのその中にいながら、彼らの心を占める悲しみと祈りが、降ってきた気がした。
音楽を聴いて泣くというのは、その音楽を深く理解しないと出来ないと思っていたけれど、もっと直感的なものだということを泣きながら知った。
眠くなるだけだと勝手に思っていた類の音楽に、初めて涙が溢れた。

プログラム
子供も楽しめる有名な曲がいっぱい

その後も、クラシックに疎い私でもよく知る曲目が次々と演奏され、オペラ歌手による、蝶々夫人や、オー・ソレ・ミオ、カルメンも食い気味の姿勢で聴き入った。


素晴らしい歌声と立ち姿に興奮


指揮のミコラの背中が躍動するのをみて、「好きな指揮者」とか「あそこの指揮者は…」とか通な方たちの発言の意味を初めて知る。
はっきり言って私には「のだめカンタービレ」で得た知識しか持ち合わせていないので、千秋先輩の顔面の良さと、竹中直人演じるミルヒーがふざけているけど世界の大物、というおおよそ本物の指揮者と無関係な印象しか抱いていなかった。

でも、ミコラの背中が弾けるたびに、縮んで伸びて左から右に、右から左に動くたびに、私の心も踊った。
楽しい。音を楽しむってこういうことなのか!
まるで初めて音楽に触れた赤子のように膝が勝手に動きだす感覚。
私、生まれたて。
初めて目にした親についていく雛のごとく、ミコラの動きを追う。

そうして前半が終了した。
うわぁ!めちゃくちゃ楽しいね!
家族がみんな同じ気持ちでいると確認し合いながら休憩して、席に戻った時だった。

あら?目眩がする…??
なんとも気持ちわるい揺れを感じた。
すると会場が徐々にざわめきだす。
天井を見上げると、照明が大きく左右に揺れていた。
「ここは安全です、みなさま落ち着いてください」と言う司会の堀江さん(朝日放送テレビ)が、さすがの冷静な対応をした後、めちゃくちゃ喋りの上手なシンフォニーホール館長も出てきて、現在の状況を説明してくれた。

「石川県に震度7が出ています」

ウクライナの人たちに安全な日本で、心から音楽を楽しんでほしい。
そう思っていた。
しかし、今、この日本も安全ではないということを知る。
自然の脅威は、時間も場所も選ばない。
会場がどよめいた。
「安全が確認されるまで、休憩時間を延長します」
「ご家族の安否確認など、どうぞ今のうちに」
そんな言葉を聞きながら、さっきまでの音楽に酔いしれていた気持ちが、不安に潰される。
どうしよう。
ここで、こんなに優雅に過ごしていていいのだろうか。

しかし、30分の延長ののち、演奏は最後まで行われた。
不安な気持ちを、ひとつづつ剥がしてくれるような演奏だった。
ひとつひとつの音が、美しく包装されて丁寧に贈られてくるようだ。
どの音も、動揺などまるでしていない。
最高の贈り物として、次々と降り注ぐ。

アンコールのラデツキー行進曲で、指揮に合わせて手拍子をする頃には、幸せな気持ちでいっぱいだった。
「寝てる間に終わっていたらどうしよう」などと、誰が言っていたのだろう。
私は立ち上がって、手のひらが痛くなるまで拍手をした。


彼らの家族や友人は、今なお軍事侵攻に苦しみ続けている。
そして能登半島では大変なことが起こっている。

それでも、ひとつひとつの幸せを大切にしよう。
彼らが、祖国から離れて音楽を奏でるその気持ちを、覚悟を、信念を、私は全て理解することはできないだろう。
だけど。
悲しみに共鳴することを望んではいないのだろうなと思った。
彼らからは、悲壮感ではなく、音を奏でる幸せを感じることができたから。
どんな時も、自分にできる最高の音楽を届ける覚悟を見た気がしたから。

ちなみに、シンフォニーホール館長の言葉で印象的だったのは
「彼らが戦地で大変だからという理由で、日本に来ていただいているわけではないのです。コロナや戦争が起こる前から彼らは2年置きに来日し、その度に最高の音楽を聴かせてくれています。今回困難を乗り越えて、4年ぶり、ようやくまた彼らの音楽を聴くことが出来ることを、心から嬉しく思います」

本当に、最高の音楽でした。

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明けましておめでとうございます。

義実家を2日に出た翌日から、茨城の実家にいます。
7日まで実家の家族と楽しんだのち、大阪の日常に戻る予定。
ちなみに弟も趣味でウクレレをしているので、姉弟、やたら歌って宴をしました。
家族で歌えることがどんなに幸せなことか、日常のひとつひとつに感謝して。
小さな小さな幸せや祈りの連鎖が繋がることを信じて。
今年も、全力で楽しみたい所存です。
どうぞよろしくお願いします。

とき子






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