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私の左の御神木

私は過去、フラダンスを熱心に習っていました。
そして本日、『メリー・モナークin大原田』を勝手に送りつけておりました、友人の娘さん、つまり私の娘(違う)ひーちゃんが、フラコンペティションにおいて、ソロ・カイカマヒネ部門で優勝したと連絡を受けました。
カイカマヒネは、少女という意味で、オピオ(ジュニア)部門と同じです。
円花やん…!!と泣いてます。
ああ、素敵だったんだろうな。
この前、広島に行った時、パジャマで踊ってくれた姿でさえ泣きました。
本番の彼女のステージ、現地で観ることが出来たら号泣だったと思います。
おめでとう!本当におめでとう!
彼女が、この先、どんどん美しいフラダンサーに育っていくことを祈ってます。


と、フラについて熱くなりまくっている今日この頃。

私の脇の下が、汗疹なのかなんなのか、妙な肌荒れを起こしてます。(突然の舵切り替え)

急に暑くなってきたのもあるしな、と思いつつ、久しぶりにマジマジと脇を見る。

フラダンスをしていた頃は、衣装を着ることが多かったから、脇のチェックは頻繁にしていた。永久脱毛はとっくに施しているのだが、この宇宙において『永久』を信じてはいけない。命あるもの、必ずや生きる活路を見出すものである。
私の左脇には、永久と謳われるレーザーやら光やらを掻い潜って、生き残る猛者が数名いた。

「こいつら、しつこいな!」
ある時、無性に腹が立って、お安い家庭用脱毛器にて、完全撲滅を図った。出力マックスにて何度も打ち砕く。
「もはやこれまで…!無念!」
彼らの断末魔の叫びさえ聞こえた。

ところがである。
なぜか一本だけは数ヶ月後、不死鳥のごとく蘇ることに気がついた。
磯野家の重鎮が、私の脇に生息していたという、驚きの事実である。
いや、あなたには、贅沢な平屋が東京にあるでしょうが!
さっさと家に帰りなさいよ!
私は、何度か彼と話し合いを続けた。
それでも彼は、数ヶ月経つと、私の元を訪れる。
もはや家庭裁判所を挟んだ方がいいのかもしれない。
そうなると、私が訴えられる方である、帰れ。


そうこうしているうちに、季節は巡り、大阪に転勤し、フラダンスをしなくなった私は、脇を露出する機会もなくなった。
彼を思い出さなくなって、もうすぐ3年という月日が経とうとしていた。

そんなある日である。
洗面所で何気なく見た脇の下に肌荒れを発見した。
あら汗疹?痒くもないしなんだろう…?
マジマジと見たそこに、かつて話しあいを重ねた彼が…いた。

「……お前、ずっと1人でここを守って……?」

事実上、荒れ果てた大地にただ1人佇む彼は、もはや波平ではなく、御神木のような神々しさまで漂わせていた。
しかも、長い。
メルカリで3センチの厚み内で売ることを信条としている私にはわかるのだ。
こいつ、3センチ以上ある。

実るほど頭を垂れる脇毛かなーー

いや、どこが頭になるか知らんけど。
気品がありすぎて、先が弱く項垂れているだけなのに、ついそんな言葉が漏れた。

驚いた。なんなのだこの一本。
念の為、右脇も調べたが、右は不毛地帯であった。悲しい響きだが、脇の下において、それは賛辞である。

これはもう、抜いてはいけない類のやつなのかもしれない。
ふと、そんな気持ちさえ湧いた。
しかしだ。私の脇の下は肌荒れを起こしているのである。出来れば皮膚科の先生に診ていただきたい。
50代が近づいたとて、私も乙女の端くれなのだ。3センチを超えた御神木を堂々と見せるには恥じらいが邪魔をする。
とはいえ、御神木は、数多の戦いに疲れ果て、その姿はひどく弱々しい。
気がつかなければよかったのだ。
そうすれば、皮膚科の先生も、ひょっとすると見落とすかもしれない。薬を塗ったら、ぺトッとして、存在感がまるでなくなる。
気付きさえしなければ、御神木はずっと私の左を守ってくれただろう。

「ごめん…なさい」

ピンセットで引っ張るとあっけなくそれは抜けた。
いや、ちぎれたと言った方が正しい。
毛根はおそらくそのまま残った。


あの長さの御神木に会うのは、3年後だろうか。
その頃は、娘が高校受験を控えている頃だ。
その時は、己の左に祈ろう。
私の左には、御神木が生えている。


ええ。フラダンスの話の続きでしたよ、間違いなく。




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