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もう、伝えられないんだ

本当はずっと謝りたかった。
人は永久に、謝る相手を失うことがある、映画や漫画みたいに。
そして、謝りたかった気持ちを忘れようとして生きる。

中学生の頃、頭がよくて絵もとても上手くて、生徒会会長もやっている子がいた。
頭も良くて、絵も上手くて、生徒会長もやっているのに、その子のキャラクターは何故か妹だった。人懐っこくて、コロコロ笑い、プリプリと可愛く怒る。

私はというと、一部の男子に「とき姉」と呼ばれていたので、姉御肌気質なんだわ、と調子に乗っていたのだが、すぐに「ときばあ」というあだ名に変わったので、単純におばちゃん臭かったようだ。
おばちゃんキャラと妹キャラは相性が良かった。

彼女は、本当に絵が上手くて、美術の絵はよく賞状をもらっていたし、将来は画家か漫画家になると言っていた。
そして、私は、彼女が描くファンタジー漫画やギャグ漫画が大好きだった。

友達みんなをキャラクターにして、それらが学校で自由奔放に過ごしているギャグ漫画をよく描いてくれて、私はときばあの名に相応しく、いつも緑茶を啜って出てくるキャラだった。
一度「一回だけ私を可愛く描いてみてくれ」と頼んだら、目が5倍ぐらいのサイズになって緑茶を啜っている絵が渡され「こういうことで合ってる?」と真剣に言われた。
いや、なんつーか、顔じゃなくてキャラクターの方をババア的なものではなく、という意味だったんだが、目が5倍になっているギャグ漫画もとても面白かった。

中学3年間を仲良く過ごし、高校は当然のようにバラバラになった。
彼女は有名な進学校に進んだのだか、入学してしばらくして、彼女から手紙が届くようになった。
内容は、元気?とか、中学の頃が懐かしいよ!というもので、その行間に、他に色々伝えたいことがあったのだろうと思うのだけど、当時の私は全く気づけなかった。

手紙にはいつも絵がたくさん入っていた。
中学の時のギャグ漫画も時々入っていた。
1年ほどやり取りが続いていたと思う。

私も、中学時代がとても楽しかった。
中学時代が楽しすぎて、高校生活がいまいちピンと来ていなかった。
つまらないわけじゃないのだけれど、毎日バカみたいに笑っていた中学校時代が恋しくて、いつまで経っても距離が近い友人が出来ていない気がしていた。

徐々に、手紙の内容が重くなっているのを、本当は薄々気付いていた。
彼女の家のこと、体調のこと。
だけど、私は、それに応える余裕がなかった。

中学時代、おばちゃんの立ち位置で、ゲラゲラ笑っていれば楽しかったのに、高校に入って、急にオシャレをしなければいけなくなった。
オシャレな話題、オシャレなお店、そういうのを知っていないと、仲の良い友達はできないような気がし始めていた。お金が足りなくてバイトをした。
バイトをしてたら成績が下がって、母にとても怒られた。
高校1年生の私は、今思うと本当に分からないのだけれど、何故かいつも焦っていた。

それで、ある日の手紙に書いてしまったのだ。
「手紙とか書く余裕なくなってきた。テストも近いし。あなたも、絵なんて描く余裕なくなっているんじゃない?全然絵が上手くなってないもん」

返事は来なかった。
ホッとしている自分がいた。
毎日、何かに焦っている私は、絵が送られるたびにそれを褒めて、褒めて。
いや、本当に素敵だと思っていたのだ。だから褒めていた。
だけど、私は何もない。褒められるようなものを何も持っていない。
なのに、こんなにいつも褒めて。
彼女の悩みを「大丈夫だよ」と包容力あるおばちゃんを装って受け止めて。
でも私の方が、全然大丈夫じゃないんだよ、もうやめてよ。


そのまま月日が流れた。
時々、本当に時々、彼女を思い出して罪悪感に襲われたが、忘れることにしていた。

社会人になって、彼女のお母様が亡くなられたことを知った。
中学時代に、何度もお泊まりをさせてもらった。
クッキーを一緒に作ってくれた優しいお母さんだった。
友人に「お葬式、出ようよ」と言われて、少し悩んだのだけれど行くことにした。
あの日のことが謝れるかもしれない、と思った。

当日、3人の友人とお葬式に出向いたら、彼女が式の終わりにやってきて
「みんな来てくれてありがとう」と深く頭を下げた。
みんなに満遍なく、私にも。
声が上手く出せなかった。こんな悲しい日に、個人的に「手紙、ごめんね」なんて言えない。
そう思って、私も深く頭を下げて、また、それっきりとなってしまった。

その時、彼女が美術の教師をしていることを知った。
そして、さらに数年後、画家としてデビューしたのも知った。

それでもずっと、私は「おめでとう」も「ごめんね」も言えないままだった。
あの日、全然上手くならないね、と言ってしまった絵の世界を、彼女はしっかり歩いていた。
だから、私の言葉なんて、とっくに忘れているだろう。そんな風に思うことにしていたのかもしれない。


「亡くなったんだって。ずっと闘病してたみたい」

そう聞いたのは、彼女の画集を買った翌年ほどだっただろうか。
画集が出たと聞いて、友人に送ってもらった。すでに地元を離れて暮らしていたから、その時も「買っておいて」とお願いして「彼女によろしく伝えてね」と言っただけだった。

なんのよろしくだ。
何をよろしくなのだ。

私には、言わなければいけないことがあったのに。
とうとう、本当に最後まで謝れなかった。
自分の人生に、こういうことがあるのかと、ぼんやり中学時代を思い出した。
あんなに仲良くしていたのに。
高校生の時も、会おうと思えば会えたはずなのに。

怒っていたかな。
悲しんで、憎んだかな。
大嫌いだと思ったかな。
何くそ、みてろと思ったかな。
また、私と話したいと思う瞬間があの後一度でもあったかな。
それとも、私のことを思い出すことなんてなかったかな。

永久に答えは聞けない。
私は、永久に失った。
謝る機会も、自分を正当化する術も。
そうか、正当化したいのか。
「あの時、私、余裕がなくて」
それを聞いたところで、彼女が私のことをなんと思うかも分からない。

でも、伝えたかった。
「やっぱり、あなたの絵、凄いよ」

もうたくさん評価されていたから「何を今更都合のいい」と思われるかも知れない。
それでも。



微熱さんのnoteを読んで。
エリさんは私だと思った。

私がどれほど自信を失ったか、傷ついて、泣いて、悔しがったか、思い知らせてやりたい。そう思っていた。
いつか、もしどこかで会ったら、もう怒ってないよ、と言いたい。そして、また焼き鳥屋にでも入って、今度こそ美味しく食べられたらいいなと思う。
微熱さん『もう、怒ってないよ』から抜粋


全部私が彼女から聞きたかった言葉だ。


いつか、エリさんが微熱さんとほんの少しでもお話しする機会があるといいと思う。

伝えたい言葉は、永久に伝える機会を失うことがある。いつか、はもう来ない。
失って初めて、いつか、は向こうから訪れるわけじゃないと知る。
それを私は、覚えておかなきゃいけない。


微熱さんへ。
勝手に引用させていただきました。
ずっと見ないように、誰にも見せないようにしていた気持ちが、まるで噴出するように出てきて、猛然と書きました。
自分勝手に解釈してしまったけど、ありがとう。
ようやく言葉に出来ました。



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