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クジラのおばちゃんへ

クジラが亡くなった。


平山さん(仮名)にはこの夏も会った。
父と同じ胃癌を患って、それが再発して、随分と痩せていた。
だけど、私の中で彼女は大きくて強いクジラだったから、きっと次の帰省でも会えると思っていた。

平山さんは、父の小学校からの同級生で、母の親友だった。
家族ぐるみでよく川遊びに行った。
おじちゃんは、銛を手作りして、何もないような場所にあっという間に火を起こして、捉えた獲物を次々と焼くような人だった。
きのこにも山菜にも詳しくて、しょっちゅう山でよくわからない荷物と帰ってくる。

どこへ行っても生き延びて行けそうなのに、屋根がある家の中では何も出来なくなるらしく、平山さんは「あの人、本当に何にもしないのよ!」とよく家に遊びに来ては、ゲラゲラ笑いながら文句を言っていた。

今年の夏に帰ったときは、おじちゃんが家に来て
「朝ごはんがなくて嫌になっちゃう」とうちの母に愚痴っていて、母が盛大に怒っていた。
「あんた、あんなに痩せた妻にご飯作ってやろうって思いやりはないの!?本当に、屋根がなかったらなんだって出来るのに!」

母に怒られたおじちゃんは、ペロッと舌を出して
「おっかねーおっかねー」と笑っていた。

母は、自分の親友が先にこの世からいなくなるのを、とっくに覚悟していたみたいだった。
「あんたの本、早く送ってくれないと、平山さん読めなくなっちゃうよ」
そう言われて、私は「まさか」と笑った。

いつ帰省しても、平山さんは必ず家に来てくれて、
「少ないけどお土産代ね」と必ず五千円をくれた。
「40とっくに過ぎてるのに、お小遣いなんてやめてよぉ」
と笑う私に
「あんたはぬいさん(母)の娘なんだからいいの!」とぎゅっと腕を掴む。

平山さんの娘さんは、私と同じ年齢でダウン症候群だ。
幼稚園から中学校まで同じ学校に通っていた。
母は、娘のキーちゃん(仮名)のことも大好きで、しょっちゅうプールや映画に一緒に行った。
母は、私に「キーちゃんと一緒に遊んでやって」と一言も言ったことがない。
自分が率先してキーちゃんと遊びに行っていて、「あんたも来たいならおいで」というスタンスだった。
私は、全く優しくない娘だったから、自分の気の合う友達とばかり遊んだし、キーちゃんとの会話がうまく続かないことに正直イライラしたりしていた。
「なんでお母さんはキーちゃんと遊ぶの?キーちゃん自分のお母さんと遊べば良いのに」
一度母にそう言ったら
「だってお母さん、キーちゃんの友達だもん」
そう言った。

大人になって、それが平山さんにとってどれだけの光だったかが分かった。
「ぬいさんの娘だからよ!」
そう言って5千円を握らせる平山さんは、私を通して、いつも母にありがとうを伝えていたんだと思う。


平山さんがもうすぐこの世からいなくなる。
淡々と受け入れていた母は、ついに来たその日、淡々と連絡をくれた。
「おじちゃんと、キーちゃんは大丈夫なの?」
そう聞いたら、
「大丈夫にするしかない。これは順番なんだから」と言った。

私の結婚式に、平山さん一家も親族席に呼んだ。
キーちゃんが、私の花嫁姿を見て
「いいなぁ、あたしも結婚したいなぁ」と、クシャッと笑った。
「出来るよぅ」なんて無責任なことは言えなくて
「キレイでしょう?キレイだったこと忘れないでね!」と言ったら
「うん!忘れない!」と力強く頷いて、今も時々思い出したように
「キレイだったんだよねー」と言ってくれる。

「これは順番なんだから」

本当に順番なんだろうか。
順番で言うのなら、うちの両親の方が順番は早く来てもおかしくはない。
父も同じ胃癌だったし、2人の子供は自立した。
屋根があると何も出来なくなっちゃうおじちゃんと、時々グループホームから帰りたいと連絡してくるキーちゃんを残していかなければならない平山さんは、今際の際に何を思ったのだろう。

いつだって笑いとばす力のある人だった。
もしかすると「はー!やっと自由よ!」とゲラゲラ笑っているのだろうか。

なんとなくだけど、母は今、平山さんが何を思っているのか知っているかもしれないと思う。
「順番なんだから」
そう言って自分を納得させている母が、ちゃんと泣いていると良いなと思う。

私は、遠方でただ、母の相棒のクジラがいなくなった喪失感を噛み締めている。



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