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メリー・モナークin大原田 第十一話

「これを完璧にできたら」
円花さんの出している紙は、いわゆる振り表というもので、フラダンスの振り付けが、歌詞と共に描かれているものだった。パッと見ただけでも、それがペアの動きのものであるのがわかる。
「……花花の!」
 先に反応したのは友也だった。姉ちゃんは動かない。
「……そこまでの勘は戻らないよ」
 円花さんから目を逸らす姉ちゃんは、いつもの姉ちゃんではない。あの日の姉ちゃんだ。

「どうして?」
 もうフラを辞めると姉ちゃんが言った日、姉ちゃんのチームが入賞したお祝いをしようと、母さんは骨のついた大きな肉を焼いていた。
 姉ちゃんが優勝できなかったことに落ち込んでいるのは知っていた。だからこそ、食べるのがややこしそうな肉がいいのよ、と、母さんは妙に自信ありげに言っていた。
 そうして食卓に並んだスペアリブはテリテリの仕上がりで、食べ盛りの俺は『待て』をする犬みたいに尻尾を振って、姉ちゃんが「ありがとう」とか「いただきます」とか言い出すのを待っていた。
 姉ちゃんは、何も言わず誰の目も見ずに、スペアリブを掴んで、小さく齧った。それから、いただきますを言い忘れたみたいな自然な口調で
「もうフラを辞めます」と言った。
 母さんは、静かに息を呑んだ後、どうして? と聞いたけど、返事は返ってこなかった。
「辞めたいなら辞めさせてやればいい」
 父さんが、姉ちゃんにではなく母さんに言って、この話は終わりだと言わんばかりにスペアリブを手にした。
 誰も喋らない食卓に、骨つきの肉は確かにややこしくてちょうどよかった。肉をむしることに集中しているふりをしていればいい。


「あと一ヶ月ちょっとあるよ」
 円花さんは目を逸らさない。
「ずっとフラを続けている円花と、フラをやめて、今更ちょっと練習した程度の私が一緒に踊ったら、みんなもがっかりするよ」
 振り表を受け取らないまま、姉ちゃんは床が陽に照らされている部分をじっと見て、中途半端に笑う。静かすぎる時間が続く。今、骨付き肉を出されたら、せめて視線の置き場だけでも決まるのに、と思う。
 辛さも、痛みも分からなかった中学生の俺は、あの日、食事が終わったあと、わざわざ姉ちゃんの部屋に行って、言わなくてもいいことを言った。
「ちょっと負けたぐらいであんなに頑張ってきたフラ辞めるとか、バカじゃねぇの?」
 あの時の姉ちゃんの目は、怒っているというより、失望してる目だった。誰に? 自分に? 家族に?
「なんのバカにもなったことのないあんたに、私をバカにする資格はない」
 扉が閉められて、それから姉ちゃんは東京に進学して、いろいろ理由をつけて、実家から遠のいた。

「……カツク……」
 いつもは花がほころぶように笑う円花さんの口から出た言葉とは思えず、ハッとして円花さんの唇に視線を移す。
「ムカつく!!」
 二度目はびっくりするほどの大声だったので、聞き間違いではないらしい。
「自分ばっかり、花乃はいっつも自分ばっかり!!」
 姉ちゃんが驚いたように顔を上げた。
「みんなががっかりする? 嘘! 自分ががっかりするのが怖いくせに!」
 姉ちゃんの顔が歪む。
「花乃はいつも自分のことばっかり! 傷ついた? 私がソロに選ばれて? 優勝して? ハワイに行って? 人生順風満帆だろうって? 自分だけ悲劇のヒロインみたいな顔してさ、あの時の大会も、自分のせいで優勝できませんでしたってさっさと逃げて。あの時優勝したチームをちゃんと見た!? 優勝するにふさわしいチームだった。花乃は、それを見ようともしないで逃げた!」
 心臓を抉られる人、という言葉が浮かんだ。姉ちゃんはあまりの苦痛に呼吸を忘れているようだった。それなのに、円花さんはさらに続ける。俺と友也も動けなかった。
「ふっざけんな! あの時、私がソロのステージで、どんな想いで踊ったか、花乃だけは分からないといけなかったのに、花乃は私のことも見ようとしなかった!」
 弾かれるように、姉ちゃんはソロのステージの話でやっと円花さんの目を見た。
「私は、花花として踊ってた。花乃が隣にいてくれると思って踊ってた。1人で踊ったんじゃない、それが伝わると思った、だから花乃が一番喜んでくれると思った。それなのに花乃は、もう私と踊れないって! ねぇ、想像した? そう言われた私の気持ちを一度だって考えた? それとも、私が花乃より優れたダンサーだって、いい気になってハワイに行くんだって思ってた? 私はどうすれば良かった? 花乃になんて言えば花乃はフラをやめなかった?」
 円花さんの目から大粒の涙が出ていた。それを拭ったら負けだと言わんばかりに、まっすぐ姉ちゃんを睨み続けている。
「ハワイで、コロナがあって、次々にみんなが国へ帰って行った時、私、花乃への怒りでハワイに残ってた。言葉が完璧じゃないから、クムフラと意思疎通が難しくて、思ったように踊れなくて、なんのためにフラやっているのか分からなくなって、それでも、花乃が許せなくて、ずっと必死でやってきた!」
 それなのに。と言ったあと、肩を振るわせた円花さんは、突然子供みたいになった。
「それなのに、たった一通、花乃からの連絡が来ただけで嬉しくて。私、本当に嬉しくて。また踊れるって。花乃とまた踊れるかもしれないって。ねぇ、どうしてわかってくれないのぉー!」
 円花さんは小学生が泣くように、拳で涙を拭いながら、わーんと泣いていた。こんな風に泣く大人を俺は見たことがない。そう思っていたら、姉ちゃんもわーんと小学生のように声を上げて泣いた。こんな風に泣く大人を、俺はさっき見たばかりだ。危うく俺も声が出そうになっていた。
 姉ちゃんが、円花さんを抱きしめて、さらに泣く。
「ごめんー! ごめんなさいー! ……私…っ…くて……!」
「わーん」と「わーん」の隙間から、泣きじゃっくりとともに漏れ聞こえる姉ちゃんの声は、言葉を紡いではいなかった。だけど、円花さんはうんうんと頷いている。
 2人がひしと抱き合いながらオンオン泣いている光景は、光の入る白い壁の部屋の中で、まるで2輪だけのブーケみたいだった。
 それで、ブーケって何本から言うんだろう? とふと思いながら友也を振り返ったら、友也は驚くほど泣いていた挙句、2輪のブーケに参加しようと手を広げていた。
「お前……空気読めって」
 俺の涙が引っ込んで、姉ちゃんと円花さんが
「いや、君、誰だよ!」
 と、笑った。

「花花、復活ですよ!!」
 涙で泣き濡れたのが嘘みたいに、あのあと、円花さんによる鬼のようなレッスンが行われて、姉ちゃんは「やばい、花花やっぱり無理!」と叫んでいた。円花さんが
「次逃げたら、どうなるかわかってるよね!?」
 と、冗談とも本気ともつかない口調で言う。2人の顔は、笑ってしまいそうなほど、ボロボロだった。
 もちろん、俺と友也もみっちりとレッスンを受け、円花さんの泣きはらした顔を笑っている場合じゃなくなった。円花さんの本気の恐ろしさは、こないだの大学レッスンの比ではなかった。
 その帰り、そのまま埼玉へ帰るという友也を、姉ちゃんと駅まで送った。車の中で友也は、花花の復活の喜びを叫び続け、いい加減姉ちゃんも呆れている。
「もうわかったって。本番は恥ずかしくないよう頑張るから。ところで、あと1泊ぐらいしていけば良かったのに」
 昨日は非常識だと怒っていたが、むしろお礼を言わなければならないほどに色々お世話になったよねぇと、姉ちゃんが俺に言う。
「いや、おばさんを疲れさせちゃったと思うので、やっぱり非常識でした。ただ、真咲がプア・ハウオリの教室に行くって言うから、花花が揃うと思って、俺、つい、すいません。家事とか、少しでも役に立てたなら、ほんと良かったです」
 照れるように言ってから、もう一度「花花復活の瞬間も見れたし!」とガッツポーズで言った。友也は、どこのアイドルグループと勘違いしているんだろうか、俺にはてんで分からない。
「そうそう、お父さんがね、フラッシュモブしたい理由わかったよー、フラッシュモブがしたいって言うより、最後にあれがやりたいんだわ、きっと」
 姉ちゃんが、友也の花花テンションを終わらせるために、含み笑いをしながら言った。ようやく俺にも面白い話になりそうだった。




第十二話に続く

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