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メリー・モナークin大原田 第十二話

 その日は朝から晴れていた。5月にしては少し暑すぎるんじゃないかという日差しに反して、潮風は冷たさを含んだ心地のいいものだった。
 医療用ウィッグコレクションは2つに増えていた。ひとつはニット帽用、ひとつは、昼寝から起きた時に、慌てて着ける用だと言う。今日は、薄いブルーのコットンニットの帽子に、クルンとカールされたウィッグが覗いていた。
 念の為にと姉ちゃんが先生に確認を取ったら、「風邪だけは絶対に引かないでくださいね」と言われ、宿泊はしないけれど、海辺のグランピングのテントを借りることになった。フカフカのソファとベッドがあって、これはもはや室内じゃねぇか、キャンプの定義ってなんなんだ? と言いつつ、我が家は全員、その家具がひしめくテントの中で盛り上がった。
「平日なのに、繁盛しているのねぇ」
 母さんが、外にいる若者たちのバーベキューの煙を見ながら言った。
 初めこそよく食べていたが、徐々に食が細くなりだした母さんは、俺が担いで運べるぐらい軽くなっていたけれど、顔色は悪くない。
 父さんが、
「結婚記念日は特別なところでやろう、海が見える場所がいい」
 と、恐るべき棒読みで母さんを海に誘い、いよいよ、フラッシュモブの決行の日になっていた。
 平日の砂浜がこんなに大盛況なのは、全部が関係者だからだよ、と言えないワクワクが喉の奥まで迫り上がっていて、ニヤけて父さんを見たら、緊張で顔が強張っていた。今からそんなに硬かったら、母さんが何かに気づくだろう、と思いながら姉ちゃんを見ると、姉ちゃんの顔も強張っていた。
「似すぎなんだよ、この2人」
 つい、口に出してしまって噴き出すと、姉ちゃんが睨んできたので、慌ててケーキの準備をする。
 俺が、ケーキを出して、「父さん母さん、結婚25年目、銀婚式おめでとう!」と叫ぶのが合図になっている。
そしたら、椅子ごと母さんをグランピングテントの外へ出すのだ。もちろん、日差しを避けて。じゃあ、行くからな、いざ!

 驚いた母さんの目の前で、まず、『フラッシュダンス』の主題歌『ホワット・ア・フィーリング』が流れると、元体操部の舞空のメンバーがバレエを思わせるステップで踊り出す。もちろん、レオタード姿だ。目の毒なのでレギンスは履かせた。海水をバッシャリかける演出もする。
 俺は母さんが濡れないよう、絶妙のタイミングで傘を広げる。母さんが口を覆って笑った。
 曲調が盛り上がったタイミングで、バック転を披露した後、割って入るのが父さんだ。ティーリーフやシダで作ったレイを身に纏い、さもクムフラの装いである。
「曲が違いまっせ」と両腕を大きく振り、音楽を止め、それからゆっくり後方を指し示す。白い布の衣装を纏った円花さんがゆっくりテント裏から現れ、オリを唱えだす。ハワイの伝承をハワイ語で唱えるこの『オリ』と呼ばれるものは、日本語にはない独特のイントネーションがあり、厚みのある声量がないと、神聖さは半減してしまう。円花さんのそれは、体内に楽器を潜ませているような美しいビブラートを伴い、騒がしい「フラッシュダンス」の空気を、あっと言うまに一変させた。
 母さんが小さな声で「円花ちゃん……」と囁いているのが聞こえた。
 オリが終わると、イプヘケという、瓢箪の巨大になったような楽器でリズムをとりながら、円花さんのチャント(詠唱)が始まる。イプヘケの音は不思議だ。こんな単純な形で、叩き方もそれほど複雑には思えないのに、叩く強さ、指のしなやかな動きで多彩な音色を感じることができる。
 バーベキューをしていたはずの男たちは、シャツを脱ぎ、シダで作ったレイを纏って一斉にカヒコ(古典フラ)を踊り出す。もちろん、俺もその輪に入る。
 散々に練習してきた『クイ』のステップは、砂浜では音が出ない。円花さんは「音を出すためのステップってわけじゃないのよ」と笑った後「筋力がなかったら美しくないんだけど、あなたたちはそれが備わってる。砂浜でも力強さは存分に伝わる」と全員に言った。みんなが頬を染めるように喜んだのを思い出す。
 フラには、ひとつひとつの動きに意味が込められている。俺たちはそれを確認するように、丁寧に真剣に踊った。恩田先輩がその間に入って、できるだけ邪魔にならないよう撮影をしている。自分で言うのもなんだが、この映像は相当にかっこいいものに仕上がる。そう確信した。

 男たちのカヒコが終了すると同時に、次はプア・ハウオリの女性たちが、華やかな衣装を身に纏って登場し、アウアナ(現代フラ)を踊り出す。センターで踊るのは姉ちゃんだ。 
 ナプアという女性ボーカルが歌うハワイアンミュージックで、『Lawakua』(ラヴァクア)というしっとりした曲調の、カウアイ島に吹く山風を歌った曲が流れる。これは、ナプアが姉に贈ったとされている曲らしい。姉ちゃんが円花さんを思ってか、これを踊りたいと一番にリクエストした曲だけあって、全てが愛おしくてたまらないという表情で踊っていた。透明感のある歌声が砂浜に響く。波の音に、衣装が呼応するように揺らめいている。
 母さんが震わしている肩に、父さんがそっと手を置いた。その様子を見て、姉ちゃんが、踊りながらわずかに頷いている。泣いているような、笑っているようなその表情は、フラをやめて何年も経っているとは思えないものだった。

 しっとりした曲が終わると、次に流れ出すのは『カ・ウルヴェヒ・オケカイ』という、日本人に馴染みがある軽快なハワイアンミュージックが流れる。テンポを早くしているバージョンで、全員参加の総踊りだ。男女混合でリズムを刻む。海藻取りを表現した歌なのだが、曲中「ウラライホー!」と合いの手が入れられて、すごく盛り上がる曲だ。これは、父さんと姉ちゃんが向かい合って踊っていた。
 この曲を練習しだした時の父さんのテンパリぶりを思い出す。かなり早いステップに、さらに回転したり入れ替わるフォーメーションを入れられたものだから、父さんは、姉ちゃんにかなりスパルタレッスンを受けていた。
「ウラライホー!!」
 母さんが、ものすごく楽しそうに合いの手を入れた。座ったまま、手は踊り出している。

 そして、その曲で全員が捌けると、姉ちゃんと円花さんが残る。曲はBulla Kailiwaiの歌う『Aia  La ‘o Pele』(アイアラオペレ)という、火の神ペレが安住の地をハワイに見つける旅路の歌だ。カヒコの曲だが、今回選んだバージョンは、軽快なリズムでとても明るい。しかし、低い姿勢を保ったまま、テンポも早く踊ることが要求される曲で、火の神ペレを表現する神聖さや迫力を表現できないと、歌詞に合わず、フラの醍醐味を無視することになってしまう。
 花花がオピオの時、会場はこの曲に大いに沸いたものだった。華やかさと厳かさを持ち合わせた2人の表情は、観る人を魅了して離さなかった。
 姉ちゃんの額に汗が浮かぶ。オピオの年齢をとうに過ぎた2人は、あの頃と変わらないキレのあるステップでお互いを信用し切ったように近距離でダイナミックな踊りをしていた。
 見なくてもわかっていたが、友也が目を潤ませている。
HE INOAイノア NO HI‘IAKAヒイアカ I KA POLI‘O PEREポリオーペレ!!」
最後に2人が、大きな声で祈るという意味の『カヘア』を言って締めると、母さんは涙を拭いながら拍手喝采をした。




「つるとん?」
「そう、つるとん。つるとん紅海豚団べにいるかだん
「あの、昔テレビでやってた、バラエティ番組の? カップル誕生みたいな?」
「知ってる?」
「聞いたことある……」
「お父さんとお母さん、あれに出場して、カップルになったんだって!!」
「うっそだろ!?」
 円花さんと、姉ちゃんが仲直りした帰り道の車の中。姉ちゃんが笑いを堪えながら言う。
「お母さんの日記に書いてあって! 実際は、テレビに似せた、公開イベントみたいなお見合いパーティだったみたいだけど、司会も芸人さんがやってたって」
「マジで!? つるとんずが!?」
「違う違う、つるとんずじゃないって。残念! って書いてあった」
 つるとんずじゃないのかー! と友也と俺はのけぞって笑う。
「しかも、お父さん、『ちょっと待ったーー!!』やったんだって!!」
 運転に支障が出るぐらい、足をばたつかせて、姉ちゃんは身を捩る。
「『ちょっと待った』って何!?」
「知らない? 好きな人が被ったら、そう叫んで、同時告白するんだって! それで、お父さんの方を選んだのよお母さん!!」
 あんなに泣いて、あんなにレッスンして、今こんなに爆笑してるんだから、忙しい人だよな、と思う。姉ちゃんは、目に涙を浮かべながらヒーヒーと笑っていた。よく考えたら、こんなに笑う姉ちゃんを俺は久しぶりに見た気がする。
「絶対、お父さん、お母さんに二回目の告白したいんだよ!!」


 カヘアを叫んだ2人の声に割って、父さんが入る。
 Josh Tatofiの『Ku‘u Leo Aloha』(クウレオアロハ)というしっとりとしたラブソングを、父さんが1人で踊り出した。シックなアロハシャツにレイをかけた父さんは、どこから見ても立派なフラダンサーだ。
『昨夜に愛しい人が踊っていた姿を思い出す、私の声で踊って欲しい、あなたの美しさに圧倒されています、どうか永遠にそばにいてほしい』と歌っている、こってりのラブソングである。受け取り方によってはエロティックさも感じられるこの曲は、生真面目で淡々としている父さんが踊るには、相当鍛錬が必要だった。踊り手が感情を入れないと、しっとりした曲というのは、ひどくつまらないものになってしまう。
 毎朝、畑の真ん中で、父さんはひたすらこの曲を練習した。朝日を見ながら、父さんは何を思っていただろう。生真面目で、愛情表現も下手で、口癖は「うるさい」「これでいいんだ」「わかってる」。その父さんが、ラブソングを踊っている。母さんのため、そして多分、姉ちゃんのため、ついでに俺のためもあるといい。
 ゆっくり母さんに視線を送る。見てる俺は盛大に照れたが、母さんは真剣な表情だった。
 曲が終わると、父さんは姉ちゃんに白い花ばかりをたくさんあしらわれたレイを渡されて、母さんの前に進み出る。
 全員が息を呑んだ。ゴクリと聴こえるみたいだった。
 よく考えたら、結婚しているのに、フラれることってあるんだろうか?

「来世も、僕と結婚してください」
 父さんが、レイを母さんに差し出す。来世か、来世ときたか! と俺は震えた。
 それなのに。
「嫌よぅ、来世なんて、人間になれるかもわからないのに!」
 嬉しくて泣くかと思いきや、母さんが思いっきり大きな声で返した。
 おいおいおい、これだけの人数がフラッシュモブに参加してるんだぞ! と俺は頭を抱えそうになる。
 でも、そこで父さんがふっと笑った。緊張の解けた、楽しそうな声だった。
「そういうと思った」
 それから、もう一度、レイを母さんの頭の前に掲げる。
実花子みかこさん、ずっと一緒にいてください。僕が死ぬまでずっと」
 それは、姉ちゃんから聞いた『ちょっと待った!』の後に、父さんが続けた告白の言葉と一緒だった。出会った日になかなか重い告白だなと笑ったが、今、父さんの口から出ている言葉は、まさに、今、伝えるべき言葉だった。随分フライングしてたんだな父さん。
 母さんは頭を下げてレイを迎え入れてから笑った。
「はい、善処します」

 風が吹いた。ここまで一生懸命やったフラッシュモブが終わる。それは嬉しさと、ほんのちょっと寂しさを孕んだ感情で、涙が出そうな瞬間だった。
「ちょっと待ったーーーー!!」
 友也が、ピンク色のレイを掴んで、姉ちゃんのもとへと走っていく。
「おい、空気読めよ……」
 全員の声が一致する中、母さんだけが
「ちょっと待ったの使い方が間違ってる」
と噴き出した。


最終話に続く

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