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さよならあの日のロッテンマイヤー

子供心。
かつて子供だった私たちが理解している感情で、例えそれを忘れ去ってしまったとしても、水底に沈んでいるだけのようなものだ。
それは、ふと心が波打った時などに戯れに水面に浮かんで来ては、一部分だけ読めなくなってしまった暗号のように、謎めいた風を装って、記憶を刺激してくる。

で、大人心という言葉があるのか知らないけれど。
大人心というものは、子供には理解がてんで及ばない。
なぜなら、子供はまだ大人になったことがないのだから。(人生2周目以降の人がいないと信じて)


早く寝なさい、静かにしなさい、ちゃんとご飯を食べなさい、宿題しなさい、歯を磨きなさい、そんなところで寝たらあかん。

これらは、大人心が、今までの経験を総動員させた結果、そのようにするのがベストと結論づけたことでして、決して意地悪な気持ちで言っているのではなく、多少「今日はやけにイラつくぜ」という日があるにせよ、まぁまぁあるにせよなのだが、良かれと思って言っている。


子供の頃、ロッテンマイヤーさんが本当に嫌いだった。
『アルプスの少女ハイジ』に出てくる、クララの教育係、ゼーゼマン家の家事の一切を取り仕切る、人生に面白みを感じることを許さない難攻不落の悪の組織の親玉である。

これはもういろんなところで書かれている『大人になって理解できるあるある』なのだけれど、大人になってからロッテンマイヤーさんの気持ちを思うと、本当に切ない。

預かった子供が、家のクローゼットにパンを隠していたり、食事中食器をフォークでガンガンと叩いて椅子の上に立ち上がったり、手塩にかけて育てた娘(しかも体が弱い上に歩けない)を外に連れ出したり、車椅子暴走させたりしとるんだもの、そりゃあ怒り狂うってものだし、中途半端にしかやってこない他の大人どもが、「いいじゃないかそれぐらい」みたいな感じで、子供達を甘やかしまくるのだ。
当然、たまにやってきて、おいしいところだけ機嫌を取って帰ってしまう大人は子供たちに大絶賛され「おばあさま、お父様、大好き!」の反動が、ロッテンマイヤー、マジうるせえばばあ(そんなこと、ハイジもクララも言いません)とさらに自分への嫌悪感に拍車をかける。

もし、私がある家に雇われて同じ役職を与えられたら、ロッテンマイヤーになるねって話だし、仮にそれで子供達に嫌われたとしたら、その切ない気持ちを切々と雇い主に手紙に書いて送ってやるし、なんなら心理カウンセラーとか用意してもらいたい。
尾木ママの著書など読んで「怒るなって言っても怒っちゃうのが人間だろー!」とか言って泣き出すんだきっと。(ごめん尾木ママの本読んだことないのだけれど)


または、『火垂るの墓』で清太と節子を預かった叔母さんも同じだ。
戦時中である。家族も戦争に向かい、当然生活も苦しい中、2人もの子供を預かるのだ。しかもその子供たちはあまり愛想がなく、手伝いをする様子もない。

子供の頃、なんと意地の悪い叔母さんなのだと思っていた。
もしも聖母のように優しくしてくれたら、清太と節子は死なずにすんだはずだと憎しみさえ湧いた。
しかしだ。
聖母とはなんなのだ。我が子に食べさせる分もギリギリの食料しか確保できないようなご時世である。己も碌に食べれらない中、実の子ではない子供2人分の衣食住の面倒を見なければならないストレスを、無いものとしてコントロールすることなど、私には、絶対に出来ない。
しかも、家を出て行った2人のことを、戦後、幾度となく思い返したのではあるまいか。
「あの子達は生きているだろうか」
「死んでしまったのなら、きっと私のせいに違いない」
「あの時、あんなに冷たくしなければ」
折に触れては自責の念に苛まれる人生だったとしたら、あまりにも辛い。
だって、彼女は鬼ではなく、ごくありふれた一般家庭の母親だったのだ。

ところで、なぜ長々と2人についてしみじみ考えたかというとだ。
突然子供心というものが、水面に浮上してきたからである。


子供の頃、一時期親戚の家に預けられたことがある。
多分、母が弟を出産する時だった。

強烈に印象に残っているのが、夜になってとてもお腹が空いているのに、いつまでも夜ご飯が出てこなかったことだった。
その家の子供たちが「お腹が空いた」と騒ぎ出しても、おばさんが夜ご飯を作っている様子がなかった。
「もう限界だ!」と子供たちが言うと、おばさんは鳩サブレを1人1枚配り
「それでも食べていなさい」と言った。

ものすごくショックだった。
うちのお母さんは、こんなものを夜ご飯にしたことはない。
どうしよう、一生ここでこの家の子供として暮らさなければならなくなったら。

しばらくするとおじさんがケンタッキーを買って帰ってきた。
「ごめんごめん、仕事が遅くなったから、今日はこれで勘弁して」
子供達は「やったー!!」とケンタッキーに群がったのだが、それも私には衝撃だった。

毎日「野菜を食べなきゃね」「これはすごく栄養あるんだよ」と、食材について熱心に説明する母に育てられてきた。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今なお私にその性質は受け継がれているのだが、子供心に「こんな夜中(子供の体感)にこの晩御飯はひどい」と思ったのと、おじさんが謝っているのが腑に落ちなかった。なぜ家にいるおばさんが料理をしないのであろうか。

これが相当ショックだったらしく、2日目以降、もうそのおばさんのうちに泊まりたくないとものすごく駄々をこね、両親を困らせたという記憶がある。
(ちなみに父は飲食業で、夜の帰りがとても遅かった)
そして、ことあるごとにこの記憶を甦らせては「あの家は酷かった」と食事に気を使わない一例として、話のネタにしていた。

私はそのおばさんのことが好きではなかった。
そんな態度であるから、おばさんもおそらく私のことを好きではなかったのではないだろうか。

それにしても謎である。
なぜ、よその子を預かる日の夜ご飯を用意してなかったのかということだ。
もし私だったら、それなりに準備をして迎え入れるはずなのだ。よっぽどの理由がない限り。
それともよっぽど私が嫌いだったのであろうか…?

大人になって知る事実はこうだ。
母が弟を出産するために家を空けることになったというのが大きなヒントである。
その家には、弟と同じ歳の子供がいた。
3月生まれの弟の出産時を考えると、その家の子供は生後間もなくから数ヶ月ということになる。
その赤ちゃんの存在が、完全に私の記憶から抜け落ちていたのだ。

私の年齢から計算すると、その家の子供達は、生まれて数ヶ月の赤ちゃんと3歳児、そして8歳児であった。
その上さらに5歳の子を預かるって、結構なハードルではないだろうか。
産後の肥立が悪ければ、相当にエグい体力消耗戦をしていたと思われる。

子供心から大人心に変換して、当時の記憶を辿ってみるとこうなるのだ。

ちゃんとした料理を作る気力も材料も家にはないからせめて「今日はときちゃん預かってるから、悪いけど晩御飯何か買ってきてね」とおじさんに頼む。
しかしおじさんは思いの外残業になってしまった。
おじさんは、ときちゃんを預かっているのだし、遅くなってしまったのだから、スーパーのお惣菜ではなく、ちょっと豪華にケンタッキーを買って帰ろうと思いついた。


大人心で読んだら、とても優しい世界になる。
しかし、預かった5歳児は「こんな家、もう泊まりたくない」とのたまうのだ、ガッデム。
「こっちだって疲れてんだよ、良かれと思ってやってやったんだよこのクソガキ」
ぐらい口に出してしまっておかしくないではないか。
いや、もちろん、言われなかったけれど。

5歳の子供に説明したとて、到底理解できぬだろう現状を、大人は静かに飲み込んで嫌われ役になっていたのであろうなと今は思う。
そして「なんであんな家に私を預けるの!?」と責める私を嗜める私の両親が、決しておばさんを悪く言わなかったのも、今なら頷けるのだ。


あの時、なぜ。

子供心に感じた大人への疑問を、不快感や怒りや憎しみを、パズルを解くように大人心で紐解いてみる。大人も案外迷っていたのだろうなと、今になって突然理解が及ぶことがある。

逆もまた然り。
イライラしている子供心をゆっくり紐解いてみると、同じ感情を抱いていたかつての自分が浮かんで来る。
出来ればあなたの気持ちを、砂金を探すような気持ちで掬いたいと思っている。

ロッテンマイヤーさんが愛で溢れていたと、いつかあなたも気づくでしょう。
だから娘よ。
あんた公文の宿題溜め込んでるやろ?
とにかく今日はいいから早く寝なさいってばよ。(金曜夜11時の感情)













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