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自分の限界値を知るとき

「自分にはここまでしかできんって思ったら,諦めよ.そうやって自分を守ろ」

ぼく「もっとできるって思ったんだよねー.」

父「それが,がむしゃらってやつよ.いいのよそれで,だんだんわかってくるから.」

tonkさんnoteより

とっちょです。
note仲間のtonkさんの記事を読んでいて、tonkさんがお父さんと電話で話すシーンがありました。
コメントを書きかけたのですが、長くなりそうなので記事にすることにしました。

わたしも、かつて、自分はもっとできるって思ってました。仕事ができるようになってきた30代後半の頃。

20代の頃よりも圧倒的にできることが増えて、仕事へのモチベーションの種類が、明らかに変わってきます。職種や立場など、人による部分は大きいとは思いますが、わたしの場合そうでした。
まわりからの目も、経験が浅いから仕事はできなくて当たり前、の前提から、仕事ができる人、任せられる人、に変わってきます。

周囲から期待されること、自分が仕事をできる範囲が広がったこと、責任感、いろんなことが重なって。
そして、限界を超えてから、はじめて、自分の限界値を知りました。

勢い余って限界値をかなり超えちゃってたり、限界値があることをわかっていなくて走り続けてしまうと、そのぶんは、やっぱり跳ねっ返りがきます。
なんで、できると思ったほどできないのかは、やはり体力的な問題もあると思います。(20代の頃に比べると肉体的に無理ができなくなっているため)

でもほんとに、できるのに、やりたいことがたくさんあるのに、できないんです。そして、自分がやりたいことがなんなのか、よくわからなくなっていく。

だからこそ、やりたいことをできる限り実現するためには、体力が落ちた頃、管理職になって、他の人と協力して仕事を分担してうまくやっていく力が問われるのかなとも思います。

ここで、自分ひとりで抱え込むタイプでは、限界がやはり、思っているよりもできないってなっちゃうし、逆に、一緒に仕事をしていた周りの人が倒れていったり。

なので、結局、自分の限界を知って、『諦めることを決める』のは、どちらにしろ必要なことなのかなと思います。
だんだんわかってくる、というのは、限界値とのつきあい方というか。

一度大きな限界を経験してからも、それが全てではなく、むしろ、仕事でもそれ以外でも、『思ったよりもできなかった』、『思った以上に疲れてしまった』というようなことの連続で、だんだん気づくようになり。そこで根性論で『もっとできる』って思っても、できないものはできないんですよね。

できるとしたら、それこそ、限界値を底上げする努力。睡眠の質を上げる、食べるものを変える、筋トレやジョギングをする、瞑想する、勉強するなど、一朝一夕じゃないことなのです。

あれもこれもできるはずって思って、タスクを詰め込んで動くと、大切なことを守れないときがあります。大切なことを守りつつ、タスク管理もしっかりできるのが理想かもしれませんが、わたしの場合、そもそもタスク管理自体があまり得意ではないので、詰め込まずに、後回しにすることは、思い切って後回しにしています。

今なんか、朝ごはんの片付けを後回しにして、noteを書きながら猫と遊んでいました。
ちなみに、記事を書いているのは、書きたいことを忘れないうちに書くため、猫と遊ぶのは、できるだけ、猫を優先すると決めているからです。基本、呼ばれたら行きます。

一度にできることや、1日にできることが、そう多くないとわかっていなければ、優先順位をつけることも重視できないと思います。
なので、自分の限界を知り、諦めることは、人生に良い結果をもたらすきっかけになると思っています。

大切なことはなにか、そして、優先順位はなにか。できなかった自分を責めない。自分の心は自分で守る。
自分に優しい気持ちで生きられるように、心を育てていけたらいいなと思います。

今日は雪が降っています。
今日のミッションは、道の駅で野菜を買うこと、コメリに行ってみること。料理、掃除。

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