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ゴクオーくんのラスボス、サトリの欺瞞と本質


はじめに

ゴクオーくん、最高の漫画。
無料期間で全話読んだら土日終わっちまったよ…
ゴクオーくんの良いところは上げればきりがないんだけど、特に好きなところがキャラ描写や掘り下げが非常に丁寧なことで、全話面白いとかいうバケモノじみた漫画なところ。
そんな漫画のラスボスを務めながら内面描写もバックボーンも全くと言っていいほどかかれなかったサトリ。
少し考えるとふと「コイツ実はめちゃくちゃおいたわしいキャラなんじゃない?」と感じ、考察(という体の妄想)をしていこうと思う。

サトリというゴクオーくんにおける例外の塊

まずこのサトリというキャラ、ラスボスを務めながらゴクオーくんの漫画形式からはとことん外れた存在。
野望が壮大な割に王手すらかからず(※)、登場話数も少なく、なにより本音パートがない。
キャラ描写を丁寧にするゴクオーくんとしてはむしろ不自然なくらい軽い(尺の都合と言ってしまえばそれまでなんだけど)
じゃあ背景が何もないのかというとそうではないと思ってて、そう感じた部分を拾っていきたい

※:野望達成のためには天使たちを動員しなければならず、ゴクオーを倒したとしても天国と地獄の勢力がひかえていたため、実際の所かなりキツイ。(信頼支配の術を含めゴクオー相手にかなり手の内を晒しているし)

信頼支配の術

サトリと言ったらこの術。サトリを信頼した相手を意のままに操れる術。
サトリの問いかけに対して0.1%でも心を開けば術にかかるとかいう無法の極な上に、実は兵力を無限に増やしパワープレイに持ち込むことでウソを見破るプロセスを踏ませない関係上でゴクオーくんに対しては天敵ともいえる能力。
で、サトリがいつ悟った(世の中に絶望した)のかは不明なんだけど、この術の存在はかなりデカい気がする
というのもこの術、発動条件は実のところ以下の2つ
①相手に信頼されること
②(サトリに)相手を意のままに操ろうとする意志があること
私利私欲のために術を使うような俗物なら仏の魂たちはついてこないしだろうし、聖人君子なら②の発想がないため発動条件を満たさない
この術は理念のためにしか使ってないんだよね。その気になればいくらでも欲を満たせる術なのに。

この術があったから(他人の支配が容易だったから)例の理念に行きついたのか、世の中に絶望したからこの術が発現したのかは不明だけど、「人を操る力を持ちながら(歪んだ)理念のためにしか使わないから、仏の魂たちもついてくる」というあたり他者を見下すような薄っぺらい言動に反して本質的には理念を追求するキャラだったのかと思う。

仏たちの無念の魂

もうひとつにしてサトリの最大の力の源。
サトリのように世のため人のため考え抜き、絶望していった仏たちの無念の魂であり、枯渇したキセキを回復させるサトリの奥の手。
ゴクオーすら隠し続けてたあたり、こういうところが「知のサトリ」と呼ばれてた所以なんだろうか。
この仏たちの無念の魂(以下、仏の魂)たちって、作中でもそうであったように支配されているわけではなく自らの意志でサトリについていってるのよ。
ゴクオーしか知らない程の長い時間狭間に閉じ込められていながら未だについてくるあたり、サトリのカリスマ性が尋常じゃない。
他の章ボスたちは野望自体は個人が持つものだったのに対してサトリだけこの仏の魂も含めた思想集団との戦いなんだよね。
(仏の魂の説明をするときのサトリは普段の薄ら笑いがなく、神々しさすら感じる真剣な表情。仏の魂に関しては打算抜きありきのつきあいではなく、大事な賛同者として扱ってるんじゃないだろうか)
だからサトリ戦は力で打ちのめすじゃなくて、その思想に対してそうでない事実を突きつける必要があった。

サトリが「生きていた時、そして死んだ後も」って発言から元人間だと仮定したときに出てきた妄想なんだけど、サトリって実は生きていたころからこの仏の魂見えてたんじゃない?

人間への愛から奇跡の増幅を願ったユーリィ、能力の高さから野望が芽生えたサタン、ゴクオーや皆と一緒にいたかったナナシノ、無意識にからっぽの自分を埋めようとしたネクスト、育った環境から自分だけが楽しめる世界を望んだ魔男。
これまでの章ボスたちは理念や行動に対する動機がしっかりと書かれていたにも関わらずサトリの「世の中を一つにしたい」という理念に対しての動機が全く書かれていない。長い時間をかけて悟ったのも過程の話であり「なぜ悟りの道を歩んだのか」は言及されていない。

仏の魂が生まれつき見えたから、世界の残酷さとそれに立ち向かった者たちの無念を聞いたから、そしてサトリが生来は見た目の通り仏のごとき優しき精神性を有していたから、世のため人のために考え抜く悟りの道を歩むに足る理由になったんじゃない?
けど仏の魂たちと同じようにそれをなせなかった。ゴクオーに言われたようにどこかであきらめ、人類を見限り歪んだ理念に憑りつかれた故に他者を支配する「信頼支配の術」という人の幸せを踏みにじる術(=世のため人のためとは全くの真逆)が発現した。
仏の魂ともども形骸化した歪んだ理想をゆがんだ手段でなそうとする、人々を救おうとしたのに今では救われるべき存在になり果ててしまった哀れな集団がサトリ率いる仏の魂たちなんじゃないだろうか。

サトリの細かな反応集

いつも薄ら笑いをしているサトリだけど、時折真顔に戻る瞬間もある。特ににゴクオーとのやり取りで本心をにじませてそうなシーンが多いのでまとめ

【117話】
ゴクオー「ワリィがてめえのウソクサさは出会った時から感じてた。残念だったな。お前と同じく自分しか信じてねーんだよ、オレっちはな!」
サトリ「…」
地獄大戦の時点でサトリは信頼支配の術のため信頼を真心ではなく下心でつかっている。とは言えその際の「常に平和を考えている仏」自体はサトリの本心だったはずなんだけど、それを嘘くさいと言われてるのって割ときつくないですかサトリさん?

【最終回】
ゴクオー「たいそうな時間をかけて悟った答えがそんなアホみてーな答えかよ…。すべての仏の土下座しろ
サトリ「…」ピクッ
サトリは無念の仏の魂を背負って突き進んでる一方で理念そのものは歪んでしまっているので実はめちゃくちゃクリティカルヒットなやりとりと思ってる。
サトリが無意識のうちにでも己の欺瞞に気づいてるなら仏の魂を裏切っていることも気づいているわけで、それこそ土下座するしかない(真最終回でそれを突きつけれらたゆえに仏の魂は離反した)

【真最終回】
サトリ「地獄でさんざん見てきたろ?特に人間はムゴイ。特に…、悪だ!」
逆に言えば人間以外も大なり小なりムゴく悪だと思っている。仏の魂以外全て信用できなくなってるんじゃないか?

ゴクオー「人間が悪…そう分かったつもりになってるヤツらはよく言うがよ…、生まれたての赤ん坊に…、同じことがいえるか?ケケ…言えねぇだろ?」
サトリのセリフはないが直後に目を見開くコマがある。
ユーリィ戦(30話)でユーリィが言った「生まれたてはいい子だが、いずれ悪い人間に変わってしまう」をゴクオーが言う激熱シーン。
決して短くない時間を生きてきたサトリが一切反論できていない。
ユーリィの言うような個人個人の善→悪の変化ではなく、大衆ばかりに目を向けていたんだろうか?身近に生まれる命の清らかさはまるで見えていなかったっぽい。

ゴクオー「逆にオレっちがおめーに説教してやるよ邪仏…。人間は…、ウソツキで…、誰でも可能性を持ってるオモシレーヤツらだ!
サトリ「………。あっ、そう。」
サトリが人間を見限っている証拠であるシーン。サトリの理念は「人間は悪=改善の可能性なし」という結論が前提として成り立っているので、反対の意見(人間は可能性を持ってる)を認めると根幹が揺らいでしまうため無視しか選択肢がない。かつて「知のサトリ」と呼ばれた人物にしてはあまりに幼稚な対応。

ゴクオー「みたか、邪仏?これが…、みんな、いっしょになるってコトだ!」
サトリ「や や や やかましい!!!
サトリ唯一の本気のブチギレシーン。人間に可能性を見いだせず、みんな差異のない世界をいう結論しか出せなかったサトリにとって「そうしなくても人は可能性ゆえに一緒になれる」という事実をたたきつけられることはサトリの人生そのものの否定であり、もはやブチギレるしかできなかった。
かつて「知のサトリ」と呼ばれた人物にしてはあまりに(ry

結末

人間の可能性を見せつけられ、仏の魂にも離反され、サトリは敗れるんだけど、なんとこの後「悪漢べーしたにもかかわらず定番の本音語りシーンがない。」
ゴクオーくんとしては異例中の異例。
多分なんだけどサトリ、自身の言葉に関しては終始本音しか喋ってなかったんじゃないかと思う。薄っすらと自身の欺瞞に気づいていたのかもしれないがウソと言えるほど自覚的ではなく(無自覚の嘘)、そういう意味では他の章ボスたちと同様「自身の根底にあるウソを暴かれた」と思っている。
本人の言う悟りがウソ→悟ったのではなく、ただ可能性を諦めただけ。しかしそれでも形骸化した理念を打ち出せてしまったしそれを実現する力もあった。とても長い間それを見つめなおす機会もなくウソの先に作った理念を実現しようとすることでウソを本当にしようとした。
故に、それ以外は全部が本当だったんじゃないだろうか。

ひとまずそんな感じかな。自分なりに総括すると「自分の中に生まれたウソを暴かれなかったためにずっと間違い続けた、悲しい善意と絶望の末路」った感じだ。


最期に

まずは読んでくれてありがとう!
(ほ、本当に全部読んだのか!?4000字以上あった文章を!!?!?!)

こんな漫画が10年も続いていたなんて全く知らなんだ。今回全部一気に読んじゃったよ。どのキャラも魅力的で内容的にも展開的にもすごく素敵な漫画だった。
出てくるキャラみんなすきだから誰が一番って言うのは決めずらいんだけど、ここまで書くに至ったサトリとユーリィが好きです。
ワァオ…クレイジー ゼンイ モンスターズ……!

最期に、作中唯一嫌いなウソを一個だけあげときます
ゴクオー「わかんねぇ…けど…、もしかしたらオレっちたち…、夫婦だったんじゃないのか?」

安いウソつきやがってよ~~~~~~~~いずれ本当になることをウソとか言ってんじゃねぇぞ~~~~~~!!!!!!!(ゴク天過激派)

終わり


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