笑いの成果(実験物語)

前置き「一応全文公開です。実験中なので、書き換えたり書き足したりするかもしれません。」

たぶん、どちらかというと、自分の表情筋は硬めだ。豊かな表情表現はできていない方だと思うんだよ。つまり、あんまり笑ってこなかった顔だ。もう、30後半にもなって表情が硬いなんて、どうしようもないな。口角を上げようとしますと、数秒ももたないぴくぴくします。今時点で思うのは、もっと、たっぷり笑っておけば良かった!笑い損をした!と、そう思うのよ。

幼少の記憶は薄いので解らないものだが、覚えている中ではそうだな、中1の頃、高校の頃、高校出て働いたケーキ屋、東京に出てきた頃の数年、代官山のカフェ、映画館のバイト、その辺りでよく笑った。時々笑ったが、ずーっと笑える場面にはいられないものだね。そうして、移動を繰り返しながら、配置を替えながら、時々会う笑える人と、笑える場所で、よく笑った。現在の配置はというと、それほどよく笑えてない、かな。

笑うことの『気付き』なんて、なんとも思ってなかったけど。笑いが後々の顔に表れるのだと知ったら、ずいぶん、笑い損したもんだなと思ったのね。振り返れば原因はいろいろある。最もきっと幼少~中学までは、ばーちゃんとの生活。笑わせてくれる人間が少なかったのだと思う。実際に目の前で動く人間の見本が圧倒的に少ない、笑わせてくれる人間、ともに笑う人間、笑ってもらう人間が少なかったんだ。だから、笑いの成長も鈍かったはずだ。笑いだけでなく喜怒哀楽の表現そのものかもしれない。しかし、この幼少からの成長期は割と、いや結構、重要だったのだ。その頃に体感して自ら表す喜怒哀楽をさらに体感してさらにインプットすること。見本が少なかったにしろ、まだテレビがある時代で救われた点はあると思う。直接的ではなくとも、間接的に得ていた。近くに笑わせてくれる人やモノが無いなら自分で探さなくちゃならないとか、自ら笑えるようにならなくちゃならないとか、最近、やっと理解した。毎日鏡で見る顔にしっかり表れてた。

今までの笑い損はどうしようもない、仕方のない過去としまして、これからはこれからの為に笑おう。これから形成される老いてゆく顔の為、遅かろうが、笑ってきた顔だな!と後々の成果にする。理想は豊かな顔の老いた人。

笑わせてくれた人は、割と覚えていられるものだよね、だから、笑えるモノを探して、笑える人と出会って、自ら笑って、誰かを笑わせられたら上出来である。まぁ、老いてしわくちゃになる前に死するかもしれないが、老いた時の顔を、数年後のその成果を楽しみにするのだ。

なんかこう、不味そうなオバアチャンじゃなくて、おいしそうなオバアチャンになってみたいもんだ。いざ、試みるのだ。例えば、八千草薫さんのような柔らかい表情も良いなぁ。芯のある宮本信子さんの表情も良いなぁ。私の希望、ハーブ&ドロシーのドロシーさんも素敵だなぁ。見本となる笑ってる大人は沢山居た方が良いだろう。周りに笑わせてくれる人がいたら、もう少し楽に生きられたんじゃないか?と、今更ながら思うから。

笑っている大人、笑わせる能力を持ち得た大人、何十年と先に進んでる大人が、笑いを知っている人たちでいられる社会は尚のこと良い。そんな大人は多いに越したことはないぞ!そう、思ったのだ。人生で検証しよう。

さて、どなた様にもヒントになりましたら幸い〆

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