映画【あげまん】を観た。

(ちょっと長文になった)

たぶんきっと、世の中にあげまんが少ないんじゃ!とか、あげまんが世を救うのだー!なんて、漠然と思ったりしまして、しかし、待てよ、あげまんって実際なんだろうか、どういう技だろうか、どうすりゃなれるものだろうか?と。解らないことだらけでして、そのまんまのタイトルの映画すら、ちゃんと観てなかったなと思って、借りたんですよね。

公開は1990年ということで、演じている皆様もとてもお若いです。と、言うても主要人物で当時40代~50代ですか、俳優人生としても脂の乗った時期にあたるのでしょうか。人生の経歴としても出世とか段階的に勢いのある年代なのでしょうか。その当時を象徴するにも相応しいキャスト揃いとも言えるのでしょうかね。現在もご活躍されている方々の20数年の年月なんぞを、ふむふむと鑑賞致しました。伊丹監督のシリーズ作品の中でも、当時は話題を呼んだであろう内容ですね。きっと。

そう、公開当時はワタシ10代、映画鑑賞する習慣なども全く無く、田舎でのほんと生きて、映画ってものはテレビで放映されるものである、その程度でしかなかったので、時代を遡る作業は成人以降になってしまうわけでして。興味が無ければ素通りして躓きもしないだろう。そんなこんなで、改めて見させて頂き、率直な感想は『なんだコレ!』です。

なんていうか、このパターン化された社会構造、システム、男女の関係性、地位名誉、成功手段、出世のあれこれの顛末…。『なんだコレ!!』当時は、出世街道や作戦みたいなもの、今ほど一般的に浸透してなかったのかな、笑って見ていられる内容だったのかもしれず、しかし、20数年前にはこのように表現されて作品になっているという事実。そして、今時代を重ねて、呆れると言いますか、生々しい様々な表現になんかもう、気持ち悪さまで覚え、またしても『なんだコレ!!!』です。今も、ずーっと積み重ねて繰り返して、益々増幅して、こんがらがって複雑な網となって、誰も解き方をしらないほど、封印も修正も解体も進展も再構築もなく、今に至るのだとちょっと悲しくもなりました。

こうして、親世代(先人)に惑わされ悲劇に至る《ロミオとジュリエット現象》(と、呼んでる。)が、ただただ繰り返されているのだと。このループから抜けられないのかよーっ、抜けてみたいぞーっと唸るわけですね。なんか、もうちょっと違うところへゆかなくては、違うものを見なくては、違うものを見せなくては!と。それで、あげまん!ってのは、ちょっと違うかもなぁ~って思いました。運やツキを上げるとか下げるとかどうのこうのじゃなくて、供に並行して才能や智恵を伸ばし合って共有して分かち、供に上昇しているような流れのほうがいいかな。誰かにとってのラッキーガールやラッキーボーイくらいの感じで。

実際に公開時に観られていた成人は、今で44歳以上にあたるので、今時代を社会を創る担い手達として、人生の時を進めてきたであろう、どのようにか関与して多くの人達で今をガッチガチに染め上げてしまったであろう、そして、その下で後世として自分もどのようにか加担して今があるのだろう。そして、、、、ループ。。。

だんだん、最近は、年上の人達が創ろうとしている社会に興味が薄くなっていると言いますか、同じ野心は無いなと思いましてね。いづれは自分世代もソコに達するわけで、年上という括りに向けて妬みや僻みや恨みを抱えても仕方がないし、社会で主要に動く目立つ人達の集団を気にしながらも、同類項や、同年代や、同性類や、同じ分野、同じ業界、同時代、などで存在し生きる人達で、成り立たせている世の中では、毎時何かしらの部類に混ざり合いながら、その中で気付き、どうにかこうにか構築してゆくことだ。その、可能性や展開を探究して愉しみたい。人道的に間違った選択をしないようにも意識したい。それで、生ききったらば、老いていったらば、どんな社会が構築されるか。後々の成果としての社会がどんなもんか。どのように後世に残し伝えられるか、そんなことの興味が湧くんだな。いろんなことを知ってしまって見てしまったなりの責任でもって、挑戦してゆかなくちゃ!と思っている。でもさ、今のところ、何がどうできるとかハッキリ示せなくともいいじゃないか。許しておくれよと。やれることやれそうなことを、周囲に配慮しつつ、今を見つめて時を進めて押し上げてゆく我ら。すぐその後ろに評価し判断してくれる後世の存在。で、今は今で潰されないように、心身を健やかに保ち、どのようにか養い手段や知恵を身に付け、柔軟な感じで時代を浮遊して、愉しみながらの人生なのさ!そんなことを改めて思った映画鑑賞となりました。いろいろお勉強になりますわぁ。


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