シーソー

シーソー

一人では充分には楽しめない
一人でもそれなりに楽しめるのだろうけど

断然、対面に位置する相手がいるほうが、よりシーソーを知ることができるし、互いに脚を浮かせたり地につけたりしあいながら、互いを感じることで互いがあってこそ、より楽しい。

最近、死に向かうヒトについて、救済について、頭の中巡らせる時間が多くなっている。それで、思いついたことがあって、勢いで残してみてる。

例えば蜘蛛の糸とか、誰かを救うための上から手を伸ばすとかロープを投げるとかで救い出す!ことを想像した。と、同じように、シーソーも浮かんだ。

生きること、生きようとすること、生きていいんだ!と肯定して、生きるベクトルをグッと力つけなきゃならない、足腰力入れてグッと耐えられる踏ん張る力に寄せて頼ってそっちに力を満々とこもらせる。

負に沈もうとする力をぐぐっと上げて、フワッと軽くなって脚をぶらぶらさせても安全で、気持ちが楽になるまで浮遊させる。グッと地につく脚を頼りにしてフワフワできる。シーソー。そのうち、互いにバランスがとれてきたら、お互いにまた遊べるんだよ。沈むことの怖さも忘れるくらい、互いがあって互いで遊び合う互いの力になる。そんなシーソーの仕組みで救えることもあるんじゃないかと。想像した。
いま、どれだけ足腰踏ん張る力になれるか。

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