現時点の自分の解釈

捉えの違いは様々あれど、書いてみよう。

そもそも政治って、人々のいろんな思考・思想・感覚・価値観・主張なんかが分裂したモノを似た者同士を集合させた集団がいくつかと、その集合体に当てはまらない人たちが存在して、それらをまとめて政治としてるでしょ。政治が主となる国を基本にしている間は、その生まれた国で、一定の期間まで政治を選択できず、良し悪しも問えず、先人にお任せし、一定の年齢に達したら、自分と似ている思考や思想の政治やその代表を選択できるようになって、政治の長が主導する社会の中で、生活や人生を形成してゆく。

一定年齢に達するまでには、何かしら自分なりに思考や思想を育み、社会を造る一員となるべく、何かしら学び得て準備する期間だったんだろうと思います。でも、そのような確かな教育があるわけでは無かったと思いますし、その一定の年齢に達しても、すぐには選択する権利を使いませんでした。その権利を使える頃には、住み慣れた土地を離れたし、慣れてもない土地の何かを決める決め方なんぞも解らなかったし、何を選択の基準とするのか解らない・・・などと理由づけしてしばらく放ってました。

でも、自分なりの思考や思想や感覚を持ち、それなりに世の中を見ていたら、土地や環境を変えても順応して、自分と似ているモノを、自分との違いや反発するモノを、区別・判断・選択する能力を活かせたはずだと、今更思ったりします。そう、出来なかったのは、社会の一部という自分の存在意思が意識が全く無いままに成長し、そうした知識や能力を開花させ育むことを怠った、人間的にも不活発な育ち方だったのでしょう。

最近になって、やっとこ、芽生えたと言いましょうか、吸収して自分なりに理解し表現するまでに活性してきました。随分と時間がかかってしまいましたが、社会の一部としての役割を担うべく、さらには地球体の一部としての生き物の役割を担うべく、今時代を生きる皆さんと同時代を進行してゆけたらなと思っているよ。改めてよろしくお願いしますね。

解釈というか、長くなりそうな?気もする。ので、始まりのあいさつみたいになりました。では、この辺で。。。

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