無題:2014:7:18

朝から悲痛である。なんでこんなにも複雑な心境になれるのか自分でもわからないくらい。全く今のところ身の危険もない場に居ながら、全く無関係の人々のことで心痛んでいる。どれだけ同じような思いの人がいるんだろう。もう、数なんて知らなくていいや、同じように何にもぶつけられない思いをみんなで共有したはずだ。これも、日常化しているインターネット環境を浮遊することによって、たった数年の使い手とは言え、共有するという感覚や感情が自然と身についての事か。タイムリーに流れてくるモノの真偽は定かでなくとも毎秒流れる中から自分なりに取捨選択している風だし、言語で躓くことは多いけれども、どのようにか今を追っている自分がいます。事あるごとに、あぁ、もっとお勉強すべきかしら・・いや、学ぶほどにドツボにはまるのではないか。ぐるんぐるんのスピードの中にポンッと放り投げられて、何も知らずに、その身で感じて思考し、道具を扱い、何かを見出せないものかな?と、そう期待もする。

さ、なぜに恐ろしさはぐんと早めて近づいてきてしまったのだろう。

遡ること、アメリカで起きた2001・9・11テロは大きな起点であったと想定します。その前からも不穏さは漂っていたのかもしれませんが、ワタシが記憶してる限り、それまでの数年・数十年は、なんの不安という不安が無く単純に生きていられたような時間だった気がする。あ、震災など実際に体験はしてないので言えることかもしれませんけど。そこからイラク戦争(2003開戦~2011)があったり、それでも、どこか遠くで起きている感覚でいましたし。国内で起こる事件事故が最も大きなニュースで、まだインターネットを利用していなかったというのもあるかもしれないけど、瞬時に情報や言葉を必要とするようなこともなく、ただテレビを見て、なんの危険も考えずに過ごせた時間が続いていたと思う。それは、戦後からすると60数年であり、ワタシはそのウチの30数年、なんの危惧なく過ごさせて頂きました。本当に。単純に、バカに、テレビやメディアや何もかもそのまんまを疑わず受け止めて本当に面白いと思えたことを馬鹿笑いできた。しかし静かに忍び寄っていたのだと、今なら思う。アメリカが恐れ始めたのか、怒り始めたのか、仕掛け始めたのか。とにかくココ数年で更に加速した。日本は2011年の震災があって、そのあと、それまで気にしてもなかった武力行使や憲法の話題が急に浮上してきて復興とか希望的な風景が本当にぶっ飛んだ感じがするし、代わりに戦争の情景が浮かぶような話題がやってきて、恐ろしさが近づいてきたんだよ。今は、思っても無かったような展開が目の前に用意されていて戸惑うばかりだ。

ワタシにも多くの人々にも、先々のスケジュールは有るでしょう、目標にしたり、達成するための準備や調整や努力を重ねて、その日に向かうし、本当に心から楽しみにしていることも多いと思う。でも、ソレだけを真正面に見据える事に躊躇すると言いましょうか。何なんでしょ、何か誤魔化しながらコトを進めてしまいそうな嫌らしい感じ、今まで心配もしなかったことを同時進行に並べながら気にしながら進まなくてはいけなくなった。突然最近、ザワザワしてる。今まで、本当に楽しみなことを楽しみな思いのまんまに時間を過ごせていたんだよ。それは、幸せなことなんだね。まぁ、ちょっと躓くと考えて考えすぎてしまうから、ちょっと大袈裟かもしれないし、特段気にすることじゃなかった!って、後々言えるなら幸いに進んだと安堵して収めます。が、先人が全く希望に思えないし、希望を発しない現状が悲しくて、悔しくてなぁ。人々が安心して、楽しみを思いっきり楽しむ為に、武力行使があり武器が必要なんだ!と、どう説明されても納得の理解へ結び付かない。多くの犠牲を、時を経て、歴史や記録を知ってる人々も沢山居て共有しているからこその、今時代の選択って、なんぞ?今同時代を生き、愉しみ、豊かさを共有できる道筋を創造できるはずではないのか。先人が希望にならなくてどうすんだよ・・・。

そんなこんな巡らせながら、ニガムシヲカミツブシタヨウナ顔で、ずーっと過ごしてた午前中だったのだよ。

そうは言ってもさ、どうにかこうにか、大笑いしてやりたいので、豊かさや楽しさを存分に感じて、表現文化圏の層が何層もぐーんと厚みを増していって、突き抜けた輝きを放ち、人々の希望にも導きにもなったら良いな☆と、思うのでありましたー。

到達して、乗り越える!!その先の愉しみへ。


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