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自己肯定感0→100時々90になれた私の心の旅5.やっぱり全てに意味があると思うのです。

5.やっぱり、全てに意味があると思うのです。



まだまだ少しですが、自己肯定感0で体も不調の連続だった私が、心身ともにすっかり健康になるまでの経験をいくつか書かせていただきましたけど、今回はなぜそんな風に変われるようになったのか、そのきっかけといきさつを書かせて頂こうと思います。

結構裕福な家庭で生まれたものの、幼稚園の時に父の会社の倒産から一気に没落し、博打ざんまいの父が原因の喧騒と緊張を強いられる家庭で育った私は、23歳を過ぎた頃から自律神経からくる様々な症状の悪化で寝たきりになるほどの時があっても、しんどい家から離れるために、少し体調が良くなると仕事を探し勤めに行くというような生活を繰りかえしていました。

そんな風に過ごしていた27歳の時、高校時代に発症した喘息でアナフィラキーショックを起こした私は心肺停止に陥りました。

その時は一度体を離れる経験をしましたけど、「死んだかぁ。まぁ、いっか」なんて思うほど、人生に楽しみも希望もなかったので、せっかく蘇生してもらえたのに「生きかえったんだ」と思うだけで、感謝も喜びも感じることはありませんでしたけど、それが母の気持ちを少しだけ変えてくれたのかもしれません。

母は私に結婚して家庭を持ち、子供を産み、堅実で一般的な恥ずかしくない人生を送って欲しいと思っていました。
ですから顔を合わせば「結婚しなさい」「お見合いしなさい」「結婚しないと大人として認めない。子供を産まないと女として認めない」と怒るのですが、散々な家庭の中で育った私は結婚する気になんてなれませんでしたし、子供を産むために結婚しろと言われるのも結婚相手を利用するようで嫌でしたし、当時でも私は愛を知らないと自覚していましたから、子供が生まれても愛せない、私みたいな可哀想な子は増やしたくないという頑なな思いでその言葉から逃げ回っていたのです。

そんな具合でしたから、結婚につながらないようなことは何一つ許されませんでしたし、何かしたいと口にしても、その度に「籍を抜く!」と脅され反対されるので、泣きながら言い返すことはあっても結局最後は諦めていたのでした。

でも、救急車で運ばれ半年ほどした頃、ずっと音楽が好きだった私は、なぜかふとドラムを叩きたいと思って「ドラム教室に行く」と母に言ったのです。
費用はそれまで貯めていた自分もちですけど、だとしても絶対反対されると思ったのになぜかされませんでした。

その時は不思議だなくらいにしか思いませんでしたけど、今から思えば私の命が一度失われかけたことで、母の気持ちに少し変化が生まれたのかもしれません。

そして、まだまだ喘息や色々な不調はありましたが、それから友人とバンドを組んだり、人生を楽しむことに消極的だった私自身も少しずつ変わっていきました。

そんなふうに過ごしていた28歳の終わり頃、私に初めての恋人ができました。
彼はバイト先で知り合ったカメラマンで、出会ってすぐ付き合うようになるのですが、それは恋愛からではなく、不思議な導かれるような経験を通して結ばれたのです。

恋人ができたなんて言ったら母は喜びそうなものですが、私はそれ隠しました。
もともと大手広告代理店の仕事をするくらい才能のある人でしたが、高収入のそこでの仕事を失うくらい気難しく、写真のことしか頭になく家庭には興味がない人でしたから、結婚する人としか付き合ってはいけないと言う母に紹介どころか、付き合っていることさえ言えなかったのです。

そんな状態で一年ほど過ごし、母に隠し事を続ける罪悪感と、彼との交際から生まれる様々な心労に耐えきれなくなったある日、悩みを相談した彼の知人に、私は一冊の本を教わりました。
それはシャーリー・マクレーンのアウト・オン・ア・リムという本でしたが、それを読んだ私は、そこから『人生に偶然はない』というメッセージを受け取り、ひどくわくわくしたのです。

もともと愛読家でしたが、それに興味を持った私は書店に通って、その本のあった人文科学の棚に並ぶ様々な本を読み漁るようになりました。

そこには様々な宗教や哲学書に混ざり精神世界系の本も並んでしましたが、その意味も知らない私はなんとなく気になるものを手に取るうちに、インドの哲学者や仏教の教えや宇宙人のチャネリングの本の中に同じように流れる、初めて聞く新しい概念、『自分の現実は内面の反映』『体は意識の一つの表現』などにどんどん引き込まれていきました。

そのうちによりシンプルでわかりやすく実践的な精神世界の本を中心に読むようになりましたが、そこから人生に巻き込まれ、振り回されるだけだった私の足が、地面を捉えるようになり始めたのです。

その教えをどう実践して何を得たのかは、まだまだ続く体験談の中で書きとめようと思いますが、振り返って思うのは、私が別人のような変化をするために、過去のすべての経験が必要だったということです。

あの彼に出会い悩み苦しんだお陰で様々な学びに導かれることができましたし、あの両親のもとで、厳しい体験でズタズタになった私だったから、学びを一つずつ実践して意図的に導いた変化、健康で感謝や愛や幸福を感じられる自分になれたことを実感することができたのです。

だからと言って、すべての人に喜びや学びを得るための苦労が必要だとは思いませんし、できればそんなことは少なくいてほしいなと思います。

ですから誰かがそこをスキップできるように私の経験が少しでも役に立てたなら、
私の心は喜びで輝くのです。
今は、心からその全てに感謝していますし、それを伝えすることが、私の人生なのだと思えます。

これ以降も、様々な経験を投稿しますので、のぞいていただけましたら幸いです。
ここまで読んでいただきまして有難うございました。

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